151.彼の魂の価値③ -遠雷-
読了目安→5~9分
「みなさーん、足跡の続き見つけたッスー!」
出ていった時と同じように、猫のごとく塀の上を伝って小柄が戻ってきた。座って休むニカナグの横に、板についた猫かぶりで控えていた眇目が口を開く。
「では、行きましょうか、あるじ」
「は、はひ……」
探索が再開される。ニカナグはチラリと、傍らの眇目に視線を回す。
あれから彼女はこの耳長を、異形の怪物でも見るような目で観察している。
『なんの為に、アンタみたいなお花畑ちゃんに繋がれてると思ってるのか――』
『ちょっとはマシかも――』
彼の発言がふたつ、ぐるぐる頭を回り続けている。後者の意味はやはりよく分からない。何かを勝手に審査され、勝手に評価されたことだけはなんとなく読めるくらいだ。
が、前者は無理に解釈するなら……、
(え? それって大人しくしててくれるって意味で合ってる? 本当に?)
ひとまずは、あの瞬間から黒い尾はゆらゆらとうねりだして、もう動きを止めることはなくなっていた。アネアに話しかけられるとややイラついたように反応が荒くなる気もするが、それ以外は――、
(……恐らくは……平常心なの、かな……?)
とりあえず、触ったら刺し返されそうだったあの不機嫌は直ったと言えるのかもしれない。
……どうしてそうなったのか、ニカナグにはやはり全然全く掴めないままだったけれど。
と、その時ふと前方のアネアが、こんなことを呟くのがニカナグの耳に入った。
「変なの。何でかしら? すごくたくさん歩いたなって思ってたのに、ここに出るのね……」
「う……? どういうこと、かな、アネアくん?」
彼女がニカナグを振り返る。
「あの、ここって、うちの畑の脇から続いてた道からなら、十分くらいで着いちゃう場所なんです。近所の男の子たちとか、家の仕事サボって、ここまで探検だーとか言って遊びにきてるし。
……今はみんな、怯えて森の中まで来れないけど……」
アネアはしばし周囲を確かめるように首を伸ばした。それから、スッと指をさす。
そこには離れたここから眺めてもかなり目立つ、三階建ての家にも匹敵しそうな巨木が鎮座していた。
「多分あの木の向こう側にこの村の広場があって……そこからうちまで真っ直ぐ道が続いてるのよ、特使さま」
「それ、は……」
ニカナグは眉をひそめる。話を聞いていたのか、こちらを振り返る小柄とも目が合った。
実際ここに来るまでに、彼を先頭に二時間近くは歩いたはずだ。足跡を読むため通常より歩みはゆっくりだったが、それでも普段の歩速でも一時間以上はかかる距離だっただろう。
円いつり目も上目遣いに片手を上げ、小柄がおずおずと口を開く。
「それ……って、わざと真っ直ぐ歩かないでここまで来たってことになるんすかね……?」
「そう、なのかもしれない、な……?」
ここまでの異状体の二頭の動きを考えると、なくはない話だ。もしやこれも、追ってくる者たちを撹乱するためなのだろうか。
とにかくは気を取り直して歩き続ける。
そのうち足跡は道の角を曲がり、先程アネアが指差した大木のある方角に向かい出した。
それから数分後には、
「……この、木に、登ってるッスね……」
少年の指が、ざらついて硬そうな樹皮に付く、真新しい引っ掻き傷をなぞっていた。小柄が枝葉の隙間を見上げている。
その木は、先ほどアネアが示したあの巨木そのものだった。ニカナグも共に視線を上げてしまう。
幹は大人三人の腕でようやく囲えるくらいだろうか。樹高も高いが横幅も広く、こんもりと山のように繁っている。相当の樹齢なのか葉陰は周囲の廃屋や塀の上まで覆い、密度も濃かった。
その、ごつごつした根元をぐるりと検分し、小柄が言う。
「爪跡は二頭分で変わんなくて……なのに見たとこ、幹からは降りた痕跡がないっス……」
「そう、なのかい?」
素人考えかもしれないと思いつつ、彼女も思わず周囲を観察してしまう。
「……なら、ここまでのこの〈虚棲ミ〉の動きを考えると、枝づたいに移動して別の……それこそ、そこの塀の向こうとか、あっちの崩れかけの屋根とかに着地して逃げてたり、するかもしれない、んだね?」
幾つかある枝を示しながらニカナグが問う。
「スッ、姐さんのいう通りッス……」
しかし小さく頷く小柄はニカナグの顔を見ず、夕陽色になりだした西の空を仰ぐ。かと思えば刻一刻と東の空を覆いだしている灰色の雲にも、思い詰めたような視線を向けた。
遥か向こうで、遠雷が低く唸る。
鈍いニカナグにも、言いたいことはわかる。雨が降りだしたら獣追いは難しくなることが、小柄には誰よりも理解できているのだろう。
「……だ、だけど、とにかく今は、君だけが頼りなんだ。アネアちゃんの為にも頑張ってもらえないかな?」
ニカナグが少女の肩に触れながら問うと、彼女もそれに応じるように小柄を見つめた。
「助手、さん。お願いします。あたし、お兄ちゃんに会いたいの……」
とたん、先刻まではたしかに小柄の面差しにあったやる気と誇りが、消えかけの灯火に油を注したかのように戻ってくる。彼は胸の前で拳を握り混むと、
「……スッ! まだ諦めるには早いッスよね! 足跡の続き、ギリギリまで探しやしょう!」
鼻息も荒く、軽快に靴を脱ぎだした。ソルスガに支給されたのかその靴は真新しく、身に付けるのも青と白のエナタルの民族衣――昨日の服をそのまま譲って貰ったのだ。
やや長い衣の裾をたくしあげ、下のパンツの裾紐をきつく絞って、するすると大樹の上とへ登りだす。
「すごいわ、助手さんって木登りも上手なのね……」
やがて一番下の枝に小柄が残した微かな枝の揺らぎが消えると、アネアはニカナグの手を肩に置かれたまま、ふと隻眼の耳長族を振り仰いだ。
夕陽の輝きを斜めに伸ばしだした太陽を侵食するように、もう雲の端はニカナグたちの頭上までかかっている。
「……ねえねえ、護衛さん、あの雨雲、本当にこっちまで来ると思いますか?」
それは、すがり付くような言葉だった。
ウルシンの家族として、彼女もタイムリミットが迫っていることを信じたくないのだろう。
祭祀面の紫瞳が、背に冷たいものを押し付けられたように游ぐのと同時、隣の黒い尾もパタリと揺れる。
「残念ですが、この空の感じなら降らないほうがおかしいと思いますよ? それに小柄くんが『降る』と言った雨が降らなかったことは、これまでにも余り無かったので」
確かに彼の言う通り、森を抜けていく風は確実に、ひんやりと温度を失っていた。それは時に雹や雷まで伴うような、強い雨の降る兆しでもある。
言葉づかいは優しくても、慰めにもならないような言葉だった。
「そう、なんですね…………」
――楽しくぶち殺したい。アネアが嫌い。
彼の脅しを胸によぎらせるニカナグは、これ以上、彼女をこの毒には触れさせまいと慌てて横から話しかける。
「あ、アネアくん、訊いてもいいかい? あれってこの村の〈門〉だよね?」
気が逸らせれば何でも良かった。
木の根に押し広げられ、波打って隆起し、草に飲み込まれる石畳の向こうを視線で示す。荒れ放題の小道の先には、この旧村の広場があった。
その中央には、都市ニムドゥーラにあった物と同じように、白い石の膚を鈍く艶めかせ、アーチ状をした〈門〉が静かに佇んでいる。
中央大広場にあったものは香と灯を焚かれ、花を撒かれ、美しい帯布の幟旗で周囲を飾られていた。
ここの〈門〉もまた、ともに住む者を無くしても、荒れ放題だった他の旧村内の場所とは正反対に草を刈られ、きれいに整えられている。
「こ、ここの〈門〉……、誰も住まないのにどうしてこんなに周囲を綺麗にされてるんだい?」
「ああ、それはえっと……」戸惑うような視線。「……特使さま、それは普通のことなんじゃ……?」
訝しげに傾げた首で見上げられ、気まずくなる。話題になるならなんでもいいと、思いつくままに問いすぎたかもしれない。
〈門〉は、廟や祠のようなものだ。そしてどこにでもある。世界の各地、人の住まない場所にも点在する。
いつから存在するのか、由来すらしれない古代遺物だ。
ただ、すべての種族の祖先はかつて〈稀人〉としてここから連れてこられたと、それだけは確かに伝えられている。
ゆえに神々や先祖と同様に神聖視される。聖処だから、あるいはこの世界に新たな同胞を迎えるための場所だから、多くの人々は手の回る範囲で周囲を整えて祀る。それが、多くのものにとっては当たり前だ。
「じゃ、じゃあアネアくんは、〈稀人〉に会ったことはあるかい?」
「ないです。特使さまはある?」
ニカナグの胸を、仏頂面をしたイチヘイの目つきの鋭さとハナトの健気さがよぎる。
「二人……だなあ」
「えっ、二人も!? すごいすごい!」
先祖は皆〈稀人〉だと伝えられるとしても、〈稀人〉自体はそうポンポンとやってくるものではない。アネアがこんなに驚くのも無理はない。
興奮気味に、どんな人だったのかと問うてくる。
二人の性別と背格好を伝えると、彼女はまた目を輝かせた。
ちなみにそれを共に耳にする眇目は、七日前にあったイチヘイたちとのイザコザを回想でもしているのか、アネアの背後で鬱陶しそうに目を細めている。
「素敵! あたしと同じくらいの女の子?! あたし、いつか稀人のひとと会ってみたいんです!」
「うんうん」
「お兄ちゃんと、どんな世界から来た人なんだろうねってお話したことがあって!」
「うん。……あっ」
どうしよう。ニカナグは焦った。
ウルシンに繋がる話題に戻ってしまったからだ。ついでに気を逸らそうと思ったのに。
しかもその思いはとっさに顔に出てしまっていたのか、アネアの表情を曇らせてしまう。
「あっ、えっと……」
迂闊だった。アネアはいい子だと思う。だから「雨は降るだろう」と眇目に断じられたときのように、それ以上は何も言わなかった。
申し訳ない気持ちに駆られる。
その時、上の枝がガサガサ揺れて、「おわ?」となにかに気づいたらしい小柄の声が小さく届いた。
「なんだろ、アレ……」
聞こえてくる言葉に、ニカナグは重なる枝々の奥を見上げた。鬱蒼と繁る枝葉の陰から、猫のように枝を渡る足裏がちらちらと白く浮き上がって目に入る。
「どうしたんだい、小柄くん」
「姐さん、なんかあっちの屋根の上に、ヒラヒラって揺れる赤い布みたいなのが……」
「布? えっ……!?」
――その瞬間、身体の表面がざわりと粟立ったのは、何も返ってくる言葉に嫌な予感を覚えたからだけではない。
唐突に、強烈な妖力が探知範囲内に侵入して来たためだ。
すごい勢いで近づいてくる。
話しかけることを一瞬躊躇ってから、ニカナグは眇目に視線を向けた。
「眇目く――」
しかし言いきるより前に、アネアを挟んで嫌な顔をしていた眇目の耳もまたクルリと回りだしていた。
顔つきまでもが、一瞬で変わっている。
鼻筋に皺を寄せ、耳だけが自分たちの歩いてきた方角を捉えている。
それはニカナグがここまで一度も目にしてこなかった、研ぎ澄まされたような真剣な顔つきだった。




