149.彼の魂の価値① -二人きり-
読了目安→4~7分
―▪❈●❈◆❈●❈▪―
――――アネアをどう守るべきか考えてみても、その手段を実行に写すのがニカナグ自身だということだけは、どう悩んでも確定だった。
一方、一行は小柄を先頭に、ゆっくりと森の中を進んでいく。足跡は相変わらず二頭分だ。
あれからも足跡は二度ほど途切れ、その度に周到に止め足が使われていた。
そのうち足跡は、廃村のような場所にさしかかる。森の中に突如現れる人工物に、ニカナグは新鮮な気持ちで辺りを見回した。
村と言っても、かつて道であったであろう地面にはところどころ湿地に生えるような背の低い木や植物が茂り、薄く土砂や落ち葉が積もる。
剥がれて、崩れかけた土壁。草を生やし、半ば落ちた屋根。家同士を区切る石積みの塀。時折道を分断するように点在する大きな水溜まりは、道の脇を流れる大小の排水路が詰まって溢れた箇所だ。
まるでかつての人の暮らしが朽ちて雨ざらしになっているような、少し不気味な場所だった。
「ア、アネアちゃん、ここは?」
「んと……、おじいちゃんが子供の頃くらいまでは、みんなここに住んでたらしいんですけど。
でも昔にあった大嵐のあと、近くの川の流れが変わっちゃって、そこから良く洪水にあうようになったって……。それで、少しだけ高台に引っ越そうって、領主さまの力も借りて、今のウィミテーラができたって聞きました」
「すごいな、よく町の歴史を覚えてるね……」
「えへへ……おじいちゃんが教えてくれるから」
肩をすくめてはにかむ顔には少し癒される。同時に、背後で大人しく沈黙したままの眇目の気配に、また少し胃が重くなる。
その時、「おわ……」と上がる声があった。
彼は後頭部を人差し指でポリポリ掻きながら、足元に視線を向けている。
「ぐう、また止め足ッス。しつこいッス……」
今度は細い路地の途中だった。
この手段が頻出するようになってから、全員、小柄の示す足跡を荒らさないよう避けて歩いてきた。そんな三人の足元から後ろへと、路地の中を小柄の視線が走る。ニカナグにはさっぱり分からないが、彼にはきっとその軌跡が見えているのだろう。
「……この異状体どものここまでの跳躍力を見てると、この塀くらいなら子供を咥えてても飛び越えられそうなんすよね……。どこで方向を変えてるのか、ちょっと時間をかけて探さないといけないかもしれないッス、姐さん……。すいやせん……」
とても申し訳なさそうに、その視線がニカナグを捉える。しかし、彼以外に追跡のできる者はいないのだ。ついでにニカナグもニカナグで、〈魔法族の眼〉で妖獣の気配を探知していたが、今のところ周囲に異常な魔力反応はなかった。
「大丈夫。危ない妖獣は回りにいないから気にせずゆっくり探してくれ。――あっ、でもあんまり離れたところの敵とか、魔力の強くない普通の人……ただの盗賊とかはワタシの力じゃ視きれないから、充分気をつけてね」
さらに、探知範囲はニカナグを起点に周囲百メートルほどなこと。それ以上は精神的にも能力的にもさすがに限界になること。
そんなことを淡々と伝えると、彼は安心した様子で、自分の身長くらいはある脇の塀を軽々とよじ登る。
「ありがとうございやす! 姐さんと、センパイと、アネアさんはちょっと待ってて欲しいッス。自分、なるべく早く見つけてきやす!
……それに早く見つけて進まないと……、ホントに雨が来ちゃうんで……!」
焦ったようにそう言って、塀づたいに地面へ目を凝らしながら木々の向こうへ消えていった。
「……じゃあ、小柄くんが戻るまで小休止、かな?」
「かしこまりましたー」
途端、眇目は塀の切れ目から誰かの家だった敷地に入り込み、かつては水小屋だったのであろう残骸に近づく。貯水用の石組の桝から、いまだに滾々と湧き出る水を見つけると、彼はそこに膝をついた。
その表情は、相変わらず完璧な護衛を演じている。
「お二人も少し休まれては? 休憩って大事ですよ」
言って、ばしゃばしゃと手を洗いだす眇目。
「う……。そう、だね?」
ニカナグは一瞬その振る舞いに戸惑ったあと、アネアに顔を向けた。
「私たちも休もうか?」
しかし、そこでアネアは何故かもじもじと俯きだす。
「あの……、特使さま。こんなこと特使さまに言って良いか分かんないんですけど」
「うん?」
控えめな手招きで呼び寄せたニカナグに、耳打ちしだす少女。
「ちょっと……ご用を足しに行っても良いでしょうか……?」
「えっ、あ? もちろん!」
(まぁ、こんなこと、女の子は同性以外には言いづらいよね……)
「すぐ戻ります!」と駆け出す背中を見送ってから、ニカナグははたと気付いてしまう。石升のそばに座り込む眼帯の顔に目が行った。
(えっ、あれ。これ……二人きり……。――二人きり?!)
先程からのアネアへの危機感を思うと、好機といえば好機。
しかし危機といえば危機。
ニカナグは隠しきれない挙動不審さを端々に潜めながらも、なるべく自然な仕草で彼のそばに寄っていく。
「こ、小柄くんは、ああ言ってたけど、雨なんて本当に降るんだろうか?」
「ああ、アイツ? アレ、天気だけは言い出したらほぼ当たるんで、そういうのだけは便利なんですよ、あのクソチビ」
なんの抑揚もなく、俯いたままニカナグと目も合わせようとしない雑な返しが飛んできた。
しかし丁寧語の隙へ僅かに戻るその傍若無人さに、反射的に安堵してしまったニカナグは、彼の耳としっぽが未だ気配を消している事実を、この瞬間からしばらく失念する。
反面、じっと考えていた。
ニカナグは、水面に口をつけて水を飲みはじめた眇目の姿を盗み見る。
〈魔法族の目〉は開いたままであるため、今は誰を目にしても、魂に流れ込む〈円環の河〉の流量と、それを魔力として視た時の量や資質が色や波長として良く見えた。
この片目の男も、魔法を学んでいないだけで、エニには劣るとも魔力だけはそこそこ持ち合わせている。耳長族には珍しいことだ。
……そして、強い魔力持ちゆえに呪いを使える。
いや、正確には強い魔力を持っていたが故に、何かの拍子に呪い持ちを発現してしまったというべきか。
彼の魂の器には、やはり視えるものだけにわかる特有の歪みが今もあった。
そうしてそれだけで、この男がいかに人を怨み、憎んだ過去があるかが透けて見える。ニカナグは本物と比較できたことはないが、呪い持ちの持つこの魔力は、妖魔のものにどこか似るのだと言う。
呪い持ちは非常に珍しいが、『その力を得るまでの経緯』自体にひどい偏見を持たれるため、普通はその能力を隠そうとする。
……しかしこの男は、少なくともその呪いで、ハナトの声を封じていた。大っぴらな悪事がまかり通っていた″群れ″の中では、隠す必要などなかったのかもしれない。
更に、おそらく彼は『自分が呪い持ちであることにニカナグが気づいている』と、気付いている筈だ。
(ワタシが魔力の見える天賜を持ってること自体は、彼も理解してたし……)
それでも眇目はあえて、自分からはこの話題に触れて来ない。更にずっと見ていたが、ここまで彼は一度だってその能力を他人に用いた形跡さえなかった。
この男のことなので、あえて話題に乗せないことでいつか切り札のように使ってくる気もして怖い。
呪いは魔法と違い精神干渉に特化してくる。何かされたときには、もう手遅れなのだ。
「……眇目くん、ちょっといいかな」
「はい、なんでしょうか、あるじ?」
〈祭祀面〉の黒い耳が凛々しく立った。
あまりこういうことはしたくない。
けれどアネアのことはあるし、どのみちハナトの解呪を願い出るには、いずれは彼の能力について触れる機会も必要になる。
それに朝から彼には好き放題されてきたが……、ニカナグだって別に好き好んで振り回されて来たわけではないのだ。
とにかく、この男をどうにか制御しなければという衝動に突き動かされ、彼女はその背中へ向かって口を開いた。ここまでにしでかされた種々の嫌がらせを思い出して、今さらほんのり腹が立ったのもあった、かもしれない。
「眇目くんって呪い持ちだよね――?」
ただ、そこには駆け引きもへったくれもなかった。
――瞬間、ブッと音がして、眇目が飲んでいた水を吐き戻した。苔と水草の揺れる澄んだ水面に水紋が広がる。




