148.子供と珍獣
一話だけ挟まる、森の家回です。
豆おさらい:「ミミ」は異世界転移しちゃったハナトが実家で飼ってたトラネコの名前です。
読了目安→6~10分
「……んえ、ねえ? イチぃ、湖の方、雲が増えてきたのよぅ? 通り嵐が来るのかなぁ?」
フィーが、長い片耳をかしげながら午後の空をふと見上げている。
「……かもな? ならさっさと終わらせねえとだな?」
一瞬同じように空を見上げイチヘイが答えている。それを、花登は聞く。
三人は物置から家の庭先へと引っ張り出した、折り畳み式の小さいテーブルの周りにいた。
ただ、花登本人はやることがないので、どちらかと言うとそのテーブルからは一メートルくらい離れたバルコニーの階段に座り込み、じっと筆記版とにらめっこしている。
この筆記板は、魔石具という種類の道具らしい。
"群れ"に捕まって気を失っている間に、なぜかうまく話せなくなってしまった花登だ。
ただ、捕まった当初は一言も出なかった言葉も、今はちょっとだけなら出るようになっていた。それでもやっぱり、長い言葉は話せない。
この道具はそんな花登に、せめて同じ故郷の自分とだけは、文字で長い話も出来るようにとイチヘイがくれたものだった。
……そしてこれを渡された時に彼が、『使い方の上手い人は絵とか写真も思い浮かべられる』とも言っていたのを、花登はさっきふと思い出したのだ。
と、そういうわけで、これは忙しそうな二人を横目にはじめたタダの暇潰しだった。
目の前の畑や、これまでの人生で見てきたものを思い浮かべては黒い板面を見つめるが、なかなか難しい。
【ぬー、文字ならパッと言葉にできるのに……】
そこで、別に文字にするつもりではなかった言葉を四角い板面にぽんと白く浮き出させてしまう。やっぱり難しい。今のところは諦めることにする。
代わりに、花登は自分の座る階段の、一段上で居眠りをしていた猫を無遠慮に抱き上げた。
普通の猫にはこんな乱暴なことは絶対しないが、コレは猫おじさんなので良いのだ。
「ミャアッ?!」
寝ぼけて暴れる、輪銭模様の〈刷毛尾猫〉を膝の上に押さえ付けている間に、目の前の、縁がかけて脚もカタカタ揺れる折り畳みテーブルでは、イチヘイとフィーの会話が続いていた。
薄く血で汚れた手で、急に家の屋根の、もっと上を指差し出すフィー。
「ねぇイチ、あの雲、尻尾の長い鳥に見えるよ?」
「そうか」
「んで、あれはねぇ、お皿にいっぱい入ったサマロだよ! んへへぇ……」
「……お前、相変わらず逞しいな。……想像力と食欲が」
複雑な笑みでの苦笑。すると何をどう勘違いしたのか、フィーの耳がピンと立つ。
「んええ、イチが誉めてくれてるぅ?!」
「いや誉めてないんだが……」
他愛もなく繰り広げられる会話の間に、死んだ兎は、ふわふわのコートを脱ぐように皮を剥かれて、二人の手であっという間にどこか見慣れたお肉の塊になってしまった。
今、まな板とナイフと、水を張った桶に囲まれて置かれているのは、結構大きいお肉の塊と、普通サイズのお肉の塊だ。どちらも家を飛び出すフィーが、花登のために『捕ってくる!』と張り切っていた元・絹綿兎だった。
そこからは、脇の水場で血を流しながら内臓を抜く作業になるが、実家でブリのように大きい魚を、包丁一本でさばく祖母をよく見ていた花登は、それが兎に見えなくなってしまうと案外平気だった。
頭もないので、どことなく皮のない鶏肉にも見える。
さっきまで、ちょっと怖い、可哀想だ、などと思っていたのに嘘みたいだった。死ぬ瞬間を見ていないからだろうか。
庭の鳥小屋に飼われている青頭巾の時もそうだったけれど、かわいい生き物と食べ物の境目って、実はとても曖昧なのかもしれない。そう思った瞬間、胸の端っこに小さく空く隙間が怖くて、花登はきゅっと猫を抱きしめる。
「うぐっ、おいチビ、鬱陶しいニャ……そろそろ離せニャー!」
「やだ。ミミ」
花登は榛色の双眸で、少しの強がりといたずら心で金の瞳を覗き込む。
「だからよォ、縞サマって呼べって言ってるだろうがミャァ!!」
縞はもう一度じたばたと暴れだした。ふふふっ、と笑って彼女は腕を解く。反応が面白いのでつい意地悪してしまうのだ。
午前中は思い詰めて、『どうしたらいい?』などとこの猫に聞いてしまった彼女だ。
でも、『無くなる前に奪え!』『運命なんか噛み千切れ!』などとすごく偉そうなアドバイスをしてふんぞり返る癖に、猫の姿からいつ元に戻してもらえるかも分からないこの獣人が、その言葉を自分のものにできているようには、花登にはどうやっても見えないのだった。
……なのにずっと元気で、呆れるくらい食いしん坊なのである。
そうしてその、あまりに根拠がないクセに溢れ出る自信に、花登はなんだか少し気が抜けてしまった。
縞はおバカだし、花登の根っこにある不安はやっぱり消えないが、これくらいでもいいのかもしれないと思ってしまったのだ。
おかげで少し、ほんの少し、ご飯が食べられるくらいには元気になれた。
取り戻した元気で後ろを追いかけ回していたら、しまいに縞は、
『お前ェ、オイラをもっと敬えニャ! ぜんぜん喋らニャいクセにしつけェし、図太てェにゃ!』
などと、とても面倒くさそうに鼻筋に皺を寄せていた。
でも、まあ、何を言っても結局は鬣ふわふわの、小さな山猫みたいな生き物が騒いでいるだけにしか見えないので、威張られてもぜんぜん気にならない。
(それにさっき、ブラッシングするときに思いきって触ってみたら、すごく手触りも良かったし……)
その時だ。
目の前に、スッと長身の影が立つ。
顔を上げると、かすかに夕方の気配をまといだした午後の西日が彼の後ろから照って、まぶしかった。
「おい、縞。ちょっと確認したいことがある」
洗った手の水気を拭き取りながら、イチヘイが花登の足元で毛繕いを始めた縞に視線を落としていた。ついでにそばに座っている花登とも目が合うと、イチヘイはなんだか不思議そうな顔もしていた。
―~*✣*✣*~―
縞を呼んだ筈が、当猫は「なんか空気が湿っぽいニャ……」などと愚痴を洩らしながら前足で髭を洗うのに夢中である。
だからだろうか、イチヘイの声で先に視線を上げたのは花登の方だった。彼女はすぐに縞を持ち上げると、自分の足の間に座らせ直す。
「お、おい?! いきなり何だニャ!」
悪態を吐き出す縞に、潰れてしゃがれて聞き取りにくい、子供の声が言う。
「ミミ、おすわり」
「ハン? だから何……、――ニャッ?!」
ようやく金色の両目と視線が合った。その上にある花登の顔つきはどこか得意気で、イチヘイへ控えめに笑いかけてくる。
その微笑みに怪訝な表情のまま戸惑うも、すぐに気を取り直して足下の下劣な猫男に視線を戻した。
「――おい……、ここに居候し出した時、この家に置く条件として俺がお前に提示した事を言ってみろ」
ニムドゥーラで二日後に行われる予定の、ソルスガ・アフェイーグに花登の後見人となってもらう契約の手続き。
翌日にはカナイナ・ヒドリーの『友人』の家で、ハナトの喉に対してどのような治療方針を取るか、より詳しい診察と話し合いが控えている。
ここ数日、その諸々の利点や懸念について、花登にも、ついでにフィーにも分かるようにそれなりに説明してやったつもりだが、花登は「行く」としてと考えを変えなかった。フィーもダメだとは言わなかった。
さらに先ほど、契約のために都市ニムドゥーラに滞在する間、宿泊費はソルスガが持ってくれることを伝えると、
『んえ! そうなの? じゃあ一日早く行ったら、ハナトちゃんにニムドゥーラにあるお店、いっぱい見せてあげられるね!』
と相棒ははしゃぎだし、乗せられた花登までが
『いき、たい……』
と言いだしたので、出発はソルスガに会う予定日より一日早い、明日の朝に決まった。
その流れで、イチヘイは縞に確認しておくべきことがあったのだ。
「……お前、メシ目当てに俺たちに付いてくる気満々っぽいが、そこだけははっきりさせとくぞ。ここに居る条件だ。言ってみろ」
「ニャん?」
縞は片眉を上げて訝りだす。だが、それ以上は思ったより素直だった。
「……ハンッ……ご主人サマと、チビ……じゃなくてハナトサマと、フィーサマの言うことは、絶対だニャ」
「……あとは?」
「それと、勝手に人里に降りない、ニャ」
存外にきっちり覚えていて意外だった。
「……まだあったよな?」
だがそこできょとんと瞳孔を開き出す、喋る小さいふわふわネコチャン。イチヘイの目付きが一気に険しくなった。
「……ニャん?……他にあったか、ニャァ……?」
「……『俺たち三人以外の前で喋らない』だ、このクソ猫。喋る〈刷毛尾猫〉なんぞ、世間じゃ魔性の類いだぞ。あとは『俺たちの迷惑になるようなことはしない』! 『人の風呂を覗かない』! 『大人しくしてろ』、もだ!」
一つずつ、指を突きつけながら教えてやる。すると縞の耳がピクリと回った。
「は、ハン?! ニャァ! そんなの覚えてたに決まってるニャ!」
忘れていたのだろう。
そのクセにクソダサい虚勢を張ってくる。本当にムカつく猫だ。
頭が痛くなりそうで、思わず耳の上に手を添える。
目の届くところに置かないのは、それはそれで不安要素だが、やっぱり連れていくのをやめるべきだろうか。
縞の変身に使われた、師モニススの魔法は不確定だが違法な可能性が高い。ゆえにお師匠の保身のために野に放つこともできず、かといって花登が殺すなと縋るから始末することもできず、本当に悩ましい。
だがイチヘイは縞が、上の目が届かなかった組織の中で、盗み、暴行、性的搾取……商品の奴隷相手にやりたい放題してきたと、明け透けに語ったことを忘れていない。
これが″群れ″の一員だったことも忘れていない。
そして、花登があの日、″群れ″の連中に対して見せた怯えを――それに対する自身の憎悪と怒りを、忘れていない。
ゆえに、本当はこんな獣は側になど置いておきたくない。この家にいる二人を守るためにもだ。
縞は襟周りにふわふわのたてがみを蓄えた猫の姿をしていても、中身は真正のクズのはずなのだ。
……それでも、三日ほど前より随分言うことを聞くようになったのも、確かではあった。
そのときである。じっとイチヘイと縞のやり取りを見ていた花登が、声をあげた。
「……ミミ、いい子」
「ニャあ……ン?」
縞が不意を突かれたような声を上げ、上を見た。ぱっちりと円い榛色の双眸が、金色の両目を覗き込んでいる。
「ぜんぶ、しない。……ね?」
それはこんな汚れきった大人(猫)に対して、信じられないほど優しく純粋な瞳である。見下ろされた縞の喉が、微かにでもウグッと鳴るのをイチヘイは確かに聞いた。
「……っ、くそ……。やらねェニャ! 人前ではでかい声でしゃべらニャねェ、覚えてたことも忘れてたことも全部守るニャ! これで良いニャァ? ご主人サマ!? ニャ!」
とたん縞は、驚くほど素直に服従する。その様子が信じられなかった。
しまいには彼女は小さく笑って、「ミミ、えらい」と、ぬいぐるみか何かを扱うように持ち上げた縞を抱きしめだす。
「うっ、ぐ、止めろニャ! クソ! 離せニャァ!!」
「ふふふ……」
不本意そうに身をよじり、花登の顔や腕にぺしぺしと猫パンチ喰らわせ出す縞。
が、爪はきっちり引っ込めてあるのか、そのたび花登は痛がる様子も傷を作る様子も見せない。ただ楽しそうに笑っているのだ。
イチヘイはその様にまた驚く。そうしてそれ以上語る言葉を特に思い付かず、
「解ってるなら良い」
と引き下がった。
それにしても、ここ半日でこの一人と一匹は信じられないぐらい仲良くなった、ように見える。……というよりは、花登が縞にべったりな印象である。
彼女も縞からは嫌な目に遭わされた筈だが、こんなクズ猫の何が良いのかと、彼も首を傾げてしまった。
……しかしイチヘイが『二つめの基準』に定めた少女が受け入れるものを、やはり彼自身がどうこうと口を挟む気にはなれない。悪さをしないよう目を光らせるくらいが妥当だ。
イチヘイは、スープ用にと畑から引っこ抜いてきた野菜を洗うフィーの隣に、大人しく戻ってきた。
「……んへへへぇ? やっぱり、ハナトちゃんは珍獣使いなのよぅ?」
耳だけこちらに向けて話を聞いていたらしい相棒が、イチヘイへ楽しそうに笑いかけてくる。相変わらず無邪気な、昼間の笑顔だった。
「そう、だな……?」
先日フィーがそんなことを言ったときは、冗談めかして言い合っただけの内容だったが、今はそれが、妙に府に落ちるイチヘイだった。




