146.獣追う三人⑥ -途切れない痕跡(下)-
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「――そういえば、お兄ちゃんが居なくなる前の日、うちの方もすごい〈通り嵐〉だったわ」
ウルシンの拐われる一日前。
……と言ったら、ソレは報告書のメモ書きの通りなら、ハナトが妖獣に狙われたという日にあたるのではないだろうか。
あの同日、ニカナグもハナトたちに出逢った。
そうして、あの子がイチヘイたちの手元に残れるかどうかをかけて、いま横に立つこの眇目たちとも闘い、ハウ=アザラとも競った。
……その途中から、確かにエナタル山脈の、あの麓の森もひどい雷雨だったことを思い出す。
それから、ニカナグもハッと気づく。
「う? そういえば、あれから雨って降って、ない……? つまりメーナくんやハナトくんの現場と違って、ウルシンくんの拐われた現場だけは、拐われた当時の状態のまま、今、この状態で保存されてて、……だから小柄くんはいま、ウルシンくんの痕跡を追えている……って、こと、かい??」
「そうッス! そういうことっッス!」
わかってくれたことに安堵したらしく、小柄の表情が弛む。
彼曰く、強い雨や嵐のような風は、落ち葉や泥の上の痕跡を洗い流し、途切れ途切れにさせるのだと言う。
「自分、ハナトさんのこと追いかけましたけど……、あの日は前の日にも雨が降ってて、地面も泥濘んでました。それであの子を追いかけるのも簡単だったッス。でもあの〈通り嵐〉を挟んで、メーナちゃんとハナトさんを襲った妖獣の痕跡は消えちゃったんで……」
「……だから、君は、メーナちゃんじゃなくてウルシンくんのところに行こうって言ったのかい?」
問うと、彼は「そうッス! お役立ちっス!」と、再び鼻息を荒くして頷いてくる。
逆に言うなら、雨水も半日でひいてしまうというこの泥沼に、現状、目立った大きい足跡もないのは、『異状体がここを一歩も歩いていない』ことの確実な証明になっている。
思わず呟いた。
「……ね、ねえ、これって結局……。ウルシンくんも手詰まり、なのは変わらないんじゃないの、かい……?」
しかし言ってしまって、ハッとする。
見上げてくるアネアの瞳の切なさに気づいたのだ。小柄も微妙な表情をし始めている。
「ひゃ?! えっと、違うよ すまない、そういう顔にさせる気は……!」
「――おや、お疲れのように見えますよ、あるじ?」
そこに、絶妙なタイミングで割り込んでくる者がいた。他でもない眇目である。
「確かに手詰まりですし、あるじさまはここにいてもしょうがないとお考えなのですね? ……あまり気乗りしないのであれば、いったん引き返して休まれた方がいいのでは?」
後ろから両肩に手を置かれることにぞわりとしながら、慌てて彼を見上げた。
嫌がらせか、ただ飽きて帰りたいのか。
どちらにせよ、非常にアネアに対しての聞こえが悪い。
横からの悲しそうな視線が刺さり、ニカナグは慌てた。
「あわわわ?! ま、待って待ってそういう意味では言ってないんだけど何を言ってるのかい眇目くん?!」
その一瞬に、静かだった森の風がまたざわりと大きくなる。そうして眇目を目に納める彼女の視界に、何かふわふわと揺らめく、ほんの小さな黄土色と白の混じった塊をちらつかせた。
「……う?」「どうしました、あるじー?」
確実に悪意を秘めた笑顔を向けられているが、その言葉の裏すら忘れて、ニカナグは興味のままにそれを指し示す。
「ねえ、眇目くんアレ……、なに?」
全員の視線は、つられるように真横へと滑る。
◆
それは、途切れた足跡から三メートル以上は真横にズレた、低い茂みのそばだった。
場所を示され、慎重に近付いた小柄が、新緑の緑と黒みがかかった折れ枝の間からそれをそっと摘みあげる。鼻先に近付けて良くにおいを嗅いだあと、
「多分ッスけど……、色とニオイ的には〈虚棲ミ〉から抜けた毛、ッスね……。もう薄まってはいますけど、やっぱりほんのり腐った魚みたいな生臭さが……」
「……妖獣の臭いってやつ、だよね?」「そうッス」
〈虚棲ミ〉は、黄土色の毛に黒の斑模様、いわゆる「錆色」などと言われる体色をした妖獣だ。
図鑑で色だけは覚えていたせいだろうか、ふわふわしたそれが今回は妙に目についた。
その会話を聞くアネアが、パッと顔を明るくしてニカナグを振り返る。
「特使さま、すごい!」
「あ、あはは、ありがとう……」
ついでに、『もう帰りたいと考えている不遜な特使では?』などというアネアからの疑念も取り払えたらしい。ほっと一安心である。
「……でも、何でその毛、そこに引っ掛かってたんでしょうか……。何で猟師のおじさんは気付かなかったの……?」
アネアが首をかしげてきた。ニカナグは少し頭をひねって答える。
「うーん、月輪族とワタシでは、ワタシと眇目くんの耳の先くらいは身長にも差があるから、かな……」
目線の高さは、そのまま見えている世界の違いになりえる。極端に言えば、地を這う虫と人間では全く同じ場所を通っても見ているものは全然違うだろう。
そんなことを説明すると、アネアも一瞬で納得したようだった。パチリと胸の前で手を打つ。
「そう、か! 特使さまが、ワタシよりちょっと小さいお姉さんだから気付いたってことですね!」
「うっ……」
ストレートすぎる。隣で、眇目が肩を震わせた気がした。笑うのを耐えていたのかもしれない。
アネアはこの年頃の人族の少女にしてはやや背が高く、魔法族のニカナグと比べても大きいのだ。まあ、魔法族自体が、種族別で比べると小さい方ゆえ仕方ない、筈なのだがちょっと切ない。
……しかし『どうしてそこに?』ということになると、ニカナグにもそれは判らなかった。ゆえに小柄に、期待を込めて視線を送る。
「えと……。とにかくそれ、何か手がかりになるかい、小柄くん?」
「ッス? うーん? 確かになんか……何でここにって思いはするんすけど……」
小柄が両頬を手で挟む。
助手と特使が頭を付き合わせるその隙間で、手がかりらしきものの登場にアネアは大きく希望を抱いているようだった。
そわそわと二人を眺め、それから眇目に横歩きで近づいて無邪気に話しかける。
「何の手がかりないまま引き返さずに済みそうで、良かったですね、護衛さん!」
控えめな声だったが、それだけで一瞬、少女をのぞく三人の空気が固まった。
「……そう、ですね??」
眇目は相変わらずの――しかし今度はどこか張り付けたような笑みで返し、アネアはその表情へ更に満面の笑顔を向けだすのだ。
何も知らないというのは、なぜこうも破壊力があるのだろうか? ……色んな意味で。
(い、いけないぞ、これはっ?! この毒吐きうさぎに、こんなに無垢なるものを近付けては……――!)
「あ、アネアくん……? その――」
「――……ぁあああッ?! 『引き返す』!? ッス?!」
「ヒェッ?!」
アネアの肩に手を伸ばした直後、脇の小柄がここまで聞いたこともない声量でなにやら叫んだ。彼はそのまま、毛の引っ掛かっていた茂みへと脇目も振らずに取って戻り、ざかりとその奥へしゃがみこんで消える。
驚き過ぎて、ニカナグは思わずアネアにしがみついてしまっていた。アネアも目を円くしたまま、ニカナグと共にその姿の消えた茂みに目が釘付けになっている。
眇目は……、相変わらず怖いくらいに無反応だが、お客様がいなければきっとすごい顔をして小柄を殴りに行っていた――ような気がする。
そのまま、遠くで鳥が囀るのが聞こえる沈黙が数瞬ある。戸惑いに女子二人が顔を見合わせだしたところで、また、ざかりと茂みを揺らして小柄が現れる。
「姐さん、見つけちゃったッス……」
「えっ?」
か細い呟きだった。
良く分からずに、『なにを?』と訊き返してしまうと、小柄は不可解そうな顔つきで首をかしげながらも、今度は背後を指し示して答えた。
「足跡の、続きッス……。あっちに続いてるッスね……」
なぜに、そんな表情をしているのか。
良く判らなくはある。
だが頭に枯れ葉と蜘蛛の巣をくっつけていても、顔を綻ばせたアネアに駆け寄られる小柄は、この瞬間、期待以上に自慢の助手となったのは違いなかった。




