146.獣追う三人⑥ -途切れない痕跡(上)-
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小柄は、基本はアネアの先導に従って歩いていた。ただ明確な道の上を歩くわけでもないので、彼女も時折『どっちだったかしら』と道すじを見失う。
すると、小柄がまだ残された落ち葉や下生えのわずかな痕跡を読んで、道を見つけた。
三十分ほど茂みの中を歩いて、やがて一行が辿り着いたのは、大人の背丈より少し高い程度の、低い崖ぎわだった。
「ここまでは月輪族の狩人さんが、助手さんみたいに後を追ってくれたんです。でも、この崖ぎわから足跡もぱったり消えてしまって」
「アネアくんも、一緒にここまで来たのかい?」
「はい! 狩人のおじさんが近所に住んでて、お父さんのお友達なんです。私ともお話してくれるから、お父さんと私と、あとお祖父ちゃんも一緒にここまで――」
アネアがそう話すなかで、崖に近づく小柄が下を覗き込む。
「確かにここで、足跡も途切れてるッスね。下は湿った……、泥沼っスか? 落ち葉も、あんまり溜まってない? ……アネアさん、ここ、降りても大丈夫ッスか?」
「はい! ……でもあんまり奥に行くと泥が柔らかくて沈んじゃうので気をつけてくださいね! うちの弟、一人で遊びに出てここに下半分はまって、一晩帰ってこれなかったことがあるので……」
翌日、無事に泣きべそをかいている所を見つかったらしい。ニカナグはちょっとだけ息を呑んだ。
「な、なかなか物騒だね……。小柄くん気をつけて?」
「ッス、端っこだけにするッス……!」
聞いた小柄も真剣な顔で頷いてから、崖面を降りていく。そこへアネアが、さらに声をあげる。
「ここ、雨が降ったときだけ浅く、堰みたいに森から水が溜まって、うちのそばを流れる小川と繋がる場所なんです。たまった雨水は半日位でひいちゃうのに、真ん中の方は一年中ずーっとドロドロで湿ってます。……お祖父ちゃんは、地下水が染み出てるせいだろうって。
でもカビ臭いからあたし、あんまりここ、すきじゃないです……」
落ち葉がないのは、雨のたびに流れ出るせいのようだ。嫌そうに顔をしかめるアネアの言う通り、辺りには生乾いてカビた泥のような匂いが立ち込めている。
そこで、沼泥の縁にしゃがみこんでいた小柄が言葉を返した。
「その月輪族の人、この縁までは降りて見にきたんッすね? おっきい足跡があるッス。獣人用の靴の」
「……そうなのかい?」
思わずニカナグも覗き込むと、小柄が「ここッス、姐さん!」と指をさす。たしかに素人目にもわかる程度には、黄味がかった泥土の縁をうろつくように、円形に近い形の靴跡がいくつもくっきり残っている。あと、一度這いつくばったのか、肉球付きの大きい手形も。
それによく見ると、沼の縁にはなんの動物かわからなくとも、小さな獣の歩いたような足跡が同じように幾筋かあった。ほとんどは単独だったが、対岸三十メートルほどの縁には、何かの小さな足跡が群れで通っていたりもする。
「……でも、異状体の〈虚棲ミ〉の足跡も、ウルシンくんの痕跡も、ここには何もないね……」
ニカナグがポツリと呟くと、それにアネアも頷いた。
「ガートさん……あっ、狩人のおじさんも、ここで全部途切れてるって、追えなくなっちゃって……」
そこへ小柄が、軽い身のこなしで戻ってくる。ただ、その目は崖下の方へじっと俯いて、何か考えているような様子だった。
「んー……。向こう岸を群れで歩いてってるあの足跡、多分あれ、普通の〈虚棲ミ〉のヤツっすけど……。けど、あれは昨日か一昨日くらいの足跡ッスし…………おわ……、あんまりこの事件には関係無いッスよね……? 姐さん……」
自身なさげな表情で、助けを求めるように見上げられた。それを聞いたニカナグは確認する口調で、アネアに問う。
「この、辺りって、普通の〈虚棲ミ〉も棲んでるのかい?」
「はい、居ますよ? 大きいネズミくらいの強さしかないのに人間をみたら真っ向から立ち向かってくるから、あたしでも叩き殺せますけど……。
……あ、そう言えばここの泥にハマった弟も、うっかり襲われかけたみたいなんです。でも、〈虚棲ミ〉も〈虚棲ミ〉で、弟を襲おうとしたら深みにはまって動けなくなったらしくて……、朝、弟を見つけた時には群れごと泥の中で力尽きてたって、お父さんが言ってました!」
「ひぇ……」
アネアは家族の笑い話としてフフッと笑っているが、やっぱりこの泥沼、物騒である。
それに、確かにアレが普通の〈虚棲ミ〉の足跡だというなら、どうみても四、五匹ぶん以上は付いている……ように見える。
ニカナグは小柄の問いに応える形で首をかしげた。
「そういえば異状体の〈虚棲ミ〉って、必ず対で目撃されてるって、ソルスガさまも言ってたよね……? たしかにあまり関係は無さそうだ……」
実際、父親のダンを押さえつけ、ウルシンを拐っていったのも二体一組だった。ここを横断している様子もない。ゆえにその点には同意できる。
しかし、それよりも今、小柄がサラッと口にしていたことの方がニカナグには引っ掛かる。改めて目を白黒させながら、突っ込んで彼に聞いてしまった。
「と、ところで……、小柄くん、その……、君……。足跡のついた日付までわかるの、かい?」
「え? そうっスよ……?!」
さも当然のように返してくる。けれど、その返答に目を見開き、じっと自分に視線を釘付けるニカナグの無言に気付いたのか、また勝手に少し照れた。
「お、おわ、難しいことじゃなくて、泥の渇き具合とか沈み具合とか見てるだけッス……!
さっきの月輪族の人の足跡は、沼の縁の方にあって、今、自分が同じ場所を踏んだ時には、ほぼ跡がつかないくらいには乾いてたんすけど……。それは奥の……、あの〈虚棲ミ〉の群れも同じで、縁側には足跡は見えないのに、奥に来るとだんだんくっきりはっきりしだしてるッスよ?! それだけッス!」
軽く頬先を搔きながら彼が崖下を指差す。目を凝らして眺めてみれば、確かにそうであった。
「よ、良く見てるね……? そんなこと。追跡術って、奥が深いんだな……? ワタシじゃ気付かなかったよ」
それに、すごいすごい、とアネアも同調する。小柄がさらに素直に照れ始める。
ニカナグはそこで、背後から全員を眺め渡しているのであろう眇目の気配が気になってふと目を向けた。
……しかし、無。
そう、無であった。ひとかけらの動きも、なんの気配もない。
そっぽを向いて、どれかの木の上の方を毒気を抜かれたように眺めている。ただ、こちらに向けている横顔が左側であるため、顔半分をほぼ覆う眼帯の黒に隠され、その表情は目にできない。
ニカナグはいつ暴発するとも知れぬ魔石を抱えているような落ち着かなさを覚えながらも、向き直ってとにかくは小柄との相談を続けることにする。……ただ現状、雲行きはあまり良いとは言えない。
「けど、匂いもわからない、足跡も途絶えている、のでは流石に……」
そこでふと気になって、ニカナグは訊く。
「……うん? でもここ、雨が降って水が溜まるのでは、その拍子に、泥の上なんか洗い流されてしまうのではないのかい? どこか向こう岸の縁辺りを探したら、足跡のつづきがあったりしない、かな? 雨、知らない間に降ってたかもしれないし……」
「おわ……」
しかし、それを聞いた小柄は指摘しずらそうにわずかに肩をすくめる。
「うん? どうかしたの、かい?」
「その……姐さん……。自分が大鐘楼の中央広場で、『十日前に赤ん坊のメーナちゃんを襲った妖獣を追うのは難しいけど、六日前のウルシンさんはギリギリ追えるかも』っていったの覚えてるっスか?」
「そう、だね?」
そういえば、そんな事も小さいテーブルを囲んで話していた。理由を聞くのはあれから忘れていた、けれども……。
「それは、何か関係してるのかい?」
「その、姐さん……。
あれ、追える追えないの境目は、〈通り嵐〉だったんッス……。なので……」
目上のクセに素人丸出しの相手に対して、明らかに遠慮しているような、ふわふわした返しだった。変なところで気遣われて、ニカナグも少しいたたまれなくなってくる。
するとそこに、無邪気に割って入ってくるのはアネアだった。
「――そういえば、お兄ちゃんが居なくなる前の日、うちの方もすごい〈通り嵐〉だったわ」
ウルシンの拐われる一日前。
……と言ったら、ソレは報告書のメモ書きの通りなら、ハナトが妖獣に狙われたという日にあたるのではないだろうか。




