144.獣追う三人④ -猫かぶり-
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だめだ、この様子では小柄からの増援も望めそうにない。
思えば都市ニムドゥーラにやってきて、最初に眇目に遭遇した時、彼は飲み屋の店主やノナウ婆さんに向かっては確かに敬語を使っていた。
しかし、こんな言葉の使われ方はニカナグも想定しない。
(いや、なにこれ……? 知ってた筈なのにぞわぞわが止まらないぞ?!)
思いながら、つい再び後ろに視線を向けてしまう。毛皮の中の片目が、不気味に優しく、ニカナグへと微笑み返して来た。
ヒュッと変な息の呑み方をしてしまった。あからさまに猫を被りだした眇目と見つめ合ってしまったことを後悔し、早急に前へと向き直る。
――「ご、ご迷惑をおかけしましたっ!」
そうして、とにかくは老爺にもあわあわとメダルを見せて名前と身分を明かしたニカナグは、ウルシンの父と、祖父、さらに姉弟たち三人にも謝罪した。
「……」
父、ダンは何かをあきらめたように無言で俯いたが、子供たちは、父親の腕を捻り上げていたのが彼女ではなかったためだろう。後ろの眇目にはひどく警戒した目を向けながらも、三人の中では一番大きい少女も含めて、いろんな意味でかなり素直な言葉をくれた。
「んーん、特使さまのお姉ちゃんは悪くないよ、わたし、ちょっと話聞こえてたもん……」「おう、良いゾ!」「おねえちゃん、ヘンなしゅぞくだねえ!」
その最後の言葉に、いちばん上の少女が一番下の、四、五歳くらいの弟の口を「コラ!」と塞いだところで、場の空気はどうにかこうにか緩む。
ニカナグは、まだこちらを黙ってじっと見てくる祖父に向けて、さらに後ろの二人を改めて紹介した。
「……あっ、そ、それで、調査の主体は私なんですけどっ、後ろの彼は私の護衛をしてくれていて、」
「主の為とはいえ、先ほどは失礼しました。僕は眇目といいます」
声が、奥に潜む本性と暴力性など忘れたかのような、似合わぬにこやかさとさわやかさで笑う。
「うっ……。そ、それで、こちらの小さい少年は、小柄くんと言って私の助手――」
「おわ、ね、姐さんも『ちっちゃい』て思ってるんすね……」
こちらにはしょんぼりされる。
「ああっ、すまないそういうつもりじゃ!?」
……威厳なんてどこにもなく何もかもぐだぐだであったが、ただ、そんな様子を見ても、玄関先の老爺はニカナグたちに折り目正しく、かつ泰然と接してくる。
かなり渋いが優しく、穏やかな声が聞こえてきた。
「ああ、特使さまと御付きの方たち……。
まずはウチのバカ息子がとんだご無礼をいたしました。非礼をお詫びします」
そう言って片ひざを付き、胸の前で腕を組みながら項垂れる。何も知らない背中の子と目が合う。
「ひぇっ?!」
意図しない謝罪にニカナグは思わず焦って駆け寄り、即座に年季の入った左手を両手で取って引き上げた。
謝罪を受ける側の作法で言うところの「許し」だ。
「だ、大丈夫ですから! 謝らないでくだひゃし……っ?! はひっ……」
キメるつもりだったのにやっぱり全然決まらない。バリバリにに噛んでしまった。
恥ずかしい。
しかしそんなニカナグの奇行にも老爺は一切笑わず、彼女の手にさらに皺だらけの右手を加え、固く握手をしてくる。暖かい手だった。
「うちの領主さまは、下々のことをよく考えてくださる寛大でお優しい方をお遣わしになったのですなぁ……。
息子のことは、今はあれ以上は触れないでいただけるとありがたい。
儂も、家族も、……悲しくはありますが、愚息は特にウルシンに、出来た跡継ぎとしていっとう期待していたものですから」
「お祖父さん……」
細まる目に、一瞬浮かぶ喪失の痛み。しかしそれはすぐ、他の表情の下に埋もれて消えた。
「それにしても調査の方が来るとは聞いていたが……、こんなに早く……。しかもこんな稀有なお嬢さんを……」
そういって老爺は離した手を自分の胸の前で組み直し、今度はニカナグを拝みはじめるのだ。崖縁で差し伸べられた手に縋りつくような瞳が、彼女を見下ろしている。
「お嬢さん、儂の孫を攫ったあの大きな〈虚棲ミ〉はね、まだ捕まって居らんのですよ。
ですからどうか私達のためだけではなく、この町のために……、ウルシンの行方だけではない、あの人攫いの魔物をどうにか……」
「あ、あわわわ?! それは勿論っ……?!」
自分より大きな相手からまるで神像のように崇拝されることに焦り、気づけば反射的に答えてしまっていた。口にしてしまってからハッとする。
確かに彼らを助けたいという気持ちはあるが、安請け合いしていないだろうかと不安になる。
「……ねえねえ祖父ちゃん、特使さまって、そんなに偉いひとなの?」
そこへ、さっき弟の口を塞いでいた少女が祖父へ近付いてきて、吐息の声で耳打ちしだす。だが正直、特別耳が良い訳でもないニカナグにも聞こえる程度にその言葉は隠しきれていなかった。
「っ! く、口を慎みなさい、アネア!」
「あっ、だ、大丈夫、ワタシは気にしな……いや、何も聞こえてないぞ!」
すると皺だらけの顔はまた不意を突かれたようにニカナグを振り向く。「なんと……お心遣い、痛み入ります……」そうして、ゆっくり瞑る目で深く謝意を示した。
「……ほら、聞いたかね、アネア? ニムドゥーラを統べる領主さまのご家系は、儂らのことをいつも良く考えて下さるんだ。このお遣いの方たちも、今、お前が子供だから無礼を見逃してくださった。
だからこの後は、お前が丁寧におもてなししなさい。そしてお前もこの土地に生まれたことを誇りに思いなさい、他の領地の方なら、きっとこうはならないからね」
アネアと呼ばれたその子はわかったようなわからないような表情で首を傾げると、それでも祖父にならってニカナグに軽い膝折りを見せてくる。
「? わかったわ。……特使さま、ありがとうございます」
「うっ、あっ、いや……」
紫のリボンの先に下がるきらびやかな輝き。それが孕む、権力と責任の絶大さをようやく実感しだし、ニカナグの手からは変な汗が滲み出す。
一方、何も気付かない祖父は、申し訳なさそうに声を落とした。
「特使のお嬢さん、本来は儂ら大人が、現地を知る者として調査に帯同すべきなのでしょうが、しかし今は、急な注文と材料の木苗の植え換え期が重なり、手が離せないのです。
……ウルシンはいなくなってしまいましたが、子供はあの子だけじゃない。儂ら大人は大人として振る舞い、枝を煮、紙を漉き、家族を食わせていかねばならず……」
そんなセリフと共にちらりとウルシンの父、ダンに送られる視線は、優しくも厳しくも見えた。
「お戻りの末には、きちんとおもてなしできるよう、妻や町の者と用意も整えておきますので、ひとまずは特使さまがたには、案内係として我が家のアネアをつけましょう」
そう言って、祖父は「お前もこの辺りの森には詳しいね?」と脇の少女、アネアの背をそっと押した。
◆
ウルシンが拐われたという川向こうの畑まで、短い道のりを彼女に先導されつつ言葉を交わす。現場は、さっき父親と子供たちがいた畑とは別の、少し奥まった林の中にあるらしかった。
「あの、改めて、アネアっていいます! 皆さまがウィミテーラにいる間、お供することになりました! よろしくお願いします! 特使さま、助手さん、護衛さん!」
「お、おわ、よろしくッス!?」
直接話してみると、アネアはめちゃくちゃ元気な子だった。麻のシャツの上に、細やかな刺繍で埋め尽くされた、女の子らしい膝丈の巻きスカートと上着を着ている。
「よ、よろしくねアネアくん……」
急に一人増えた『お客さま』には笑顔で返すも、ニカナグは後ろを歩く眇目の無言が気になる。
彼はウルシンへの祖父の挨拶を最後に一言も話さなくなったからだ。
懲りずに後ろを振り返ると、
「…………。」
彼は黙って、アネアに向かい微笑んでいた。しかし、右側に切れ込みのある長い耳は時折、不自然にピクリと回るし、長い尻尾は規則的にしなって、持ち主の脚に鞭のように打ち付けられている。
膝丈のパンツを叩く乾いた音が幽かにニカナグの耳にもとどく。
「す、眇目くん……? もしかして怒――」「いやー、まさかー? 『優しくて可愛らしいお嬢さん』……がお一人増えて、『護衛さん』の僕も楽しいですよ、あるじ?」
片目の瞳が浮かべるのは、今の晴れた空と、午後の森を抜ける爽やかな初夏の風に似合いの、完璧な笑顔だ。
「ひぇっ……」
ダメだ、背中のぞわぞわが止まらない。
この口ぶりだと、勝手に護衛対象を増やされたことに苛立っているのだろうか。一人で三人守るのは、確かに大変そうだ。
(……あと、もしかしたら、だけど……、アネアくんが加わったことでこの猫かぶりをやめられなくなって、ワタシ達に暴言を吐けなくなったことにも……、イラついてるの、かな……?)
確信は持てない。
だがどちらにせよ、やっぱりこの眇目という耳長族は大変に性格が歪んでいて、面倒くさい男らしい。
一方で、何も知らないアネアは歩みを進めながらも両手を後ろに組み、眇目の返しに
「か、可愛いだなんて、そんな! 耳長の護衛さんも、その眼帯、とってもカッコいいわ!」
などと無邪気に眇目を誉めている。
――――瞬間、彼の耳と尾の動きがパタリと止まった。
「ありがとうございます……、お嬢さん?」
ややトーンが高くてよそ行きの声と共に、眇目は急に最上級に柔らかい微笑みを浮かべた。
眇目ほんとムカつきますよね、絶対身内にいてほしくない。




