141.獣追う三人① -小さい椅子-(下)
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とりあえず気を取り直し、ニカナグは昨夜、アナイから『本件についてだ』として渡された調査書を肩掛けの鞄から引っ張り出した。
調査書といっても薄い紙二枚、内一枚はニムドゥーラ領の簡易地図、もう一枚は今回の件の被害者の簡単なプロフィールと、妖獣に襲われるまでの経緯や場所など、ソルスガに報告を上げてきた協力者からの『噂』をまとめたものだ。詳細は自分で調べろということなのだろう。
既に彼女は一通り目を通したが、昨日も朝もずっとバタバタしていて、やるべきことの詳細を彼らに伝えるのが後回しになってしまっていた。
「まず、拐われて消息不明の人族の少年についてなんだけどね、」
目を落とし、走り書きの文字を追う。
「さらって行った妖獣は〈虚棲ミ〉の異常体二頭。歳は十三歳、名前はウルシンくん、というらしい」
少年の家族構成は父一人に祖父祖母が一人ずつ。彼を長男にして全部で五人兄弟。母は病死。家は町の外れで製紙の工房を営んでおり、森に分けいる機会が多かったようだ。
「それから、拐われかけてどうにか助かったという龍凛族の赤ん坊、マーナちゃんの方なんだけども……」
簡略化された地図の方には、それぞれの被害者の住まいの位置もメモ書きされている。
少年の方は町の中ゆえに細かい住所が記されているが、赤ん坊マーナの家は、街道から少し外れた果樹園のなかにあり、町や村ではないため大雑把な位置しか把握できなかった。
一緒に住んでいるのは父母と曾祖母。こちらはまだ一人っ子だ。果樹園は、彼女の生家含めてほか五、六家族で運営されているらしい。
「……人に尋ねれば場所は解ると思うけど、どっちから行けばいいと思う?」
幸い、方角は途中まで一緒だ。
「……その。……意見の、許可を願います、姐さん」
おずおずと上がる手に「もちろん!」と、返すと小柄は安心したように話し出す。
「襲われた子供って、三人いたんスよね……? ……もう一人の話も聞きたいッス……、生きてるか、死んでるかも」
「あ、ああ……それは、だね……」
ニカナグは一瞬黙り込む。
なんとなく気が引けて、語るのを後回しにしようとしていた。しかし、結局最後には会わなければならないのだ。
いろんな意味で、必ず。
「……三人目は、二人も知ってると思う。ハナトって名前の〈稀人〉の子、だよ……」
「――あ、あの子も襲われてたんッスか?!」
同時、娼婦の格好をした女たちが通りすぎるのを、顔の動きで追っていた眇目の耳がピクリと震えた。
「へえー、なるほどね。あのガキが。ふーん?」
その言い方に、やや引っ掛かりを覚えてニカナグは彼に目を移す。この男がハナトに呪いをかけたことについて、実際に本人の口から聞き出すチャンスに思えたのだ。
「なるほどって、どういう」
「いやー? 別に言葉のあやだけど?」
しかし向けられるのは、人を食ったような流し目である。言葉尻で、彼はハンと鼻を鳴らしてきた。
「……ねえ、もしかして、この三人の共通点とか僕に聞こうとしてる? そういうの考えるのはさ、お偉い学者サマの仕事でしょう?? 僕は暇潰しに話を聞きたいだけ。
そもそもさー、説明させてくれって言いだしたのは暫定サマだからね? ボクはただ、あんたの命令を聞いてるのー」
「う、うん?」
聞き出すのは難しそう……とか言う以前に、そのあまりの屁理屈と意地の悪さに、ニカナグはポカンとする。
「……せ、センパイ、それはさすがに姐さんに対して失礼すぎなんじゃ――」「あははー? ナマ言うねー小柄のクセにー?」
空気の悪さを感じ取ったのか、間に入ってくれる小柄。すると少年の肩には、眇目の腕が横から回った。
抱き寄せた肩口からゆっくり這い上がる肉球の指が、小柄の肩と首筋をつたう。ねっとりした眇目の声が、小柄の耳元から響きだした。
「……ねえ、忘れてない? 僕の仕事は『護衛』なの。お馬鹿さんだからなー、僕~。こういうの、わかんないなー? ……でもクソチビは、暫定サマの助手としてここにいるんでしょ?
お 前 が 考 え ろ よ、有 能 な 助 手 く ん?」
しまいには、その指は彼の頬をつねり出す。
「おわっ?! おわー、頑張るッヒュ! へンパイの期待にも! 応えるッヒュお!!」
有能といわれたのが刺さったのか、ちょっと嬉しそうな顔をしだす小柄。
解ればいい、とばかりにニヤリと笑って離れる眇目。
その間を、ニカナグの視線が怪訝に行き来する。
(……い、今この人、いい感じに小柄くんの主張を煙に巻いたね?)
ついでに、なにやら含みのある言い方をされた気もしたが、なにも確証が持てないので口には出せない。
やはり自分がハナトの呪いに関わりがあったことは認めたくないのだろうか。普通に追及したぐらいでは、この男は本当に何か知っていても、何も知らなくてもはぐらかしてきそうだ。
(と、とにかく、自分は手玉に取られないように気を付けなければ……)
苦笑いと共に、彼女は気を引き締めるのだった。
閑話休題。
「――なら、ハナト……さんが襲われたのは、自分らがあの家にお邪魔する前の話ってことッスか?」
「そう、いうことになる、ね?」
それについては、ニカナグも驚いている。報告書にある、彼女が襲われた日付は確かに七日前の朝だったが、彼女もイチヘイたちからは特に何も聞かされていないゆえに初耳だった。
その通りに伝えると小柄はうつむき、なにかを真剣な顔でつぶやきだす。
「て、ことは……、あの、見たことなかった大きさの足跡は、そのまんまあの異状体の〈虚棲ミ〉のだったってことッスね……?」
「うん? それはどういう……」
尋ねようとした瞬間、大広場を挟んで反対側、常設市場の幌屋根の向こうで、この都市の象徴とも言える白亜の大鐘楼が鐘を鳴らし始める。
正午の七衝き。青空の下、骨に響いて胸の芯が振動するような深い響きだった。
その間、さすがに会話は中断される。
小柄はとても真剣になにかを考えている。
全部の鐘が鳴り終わる。
出発まで、あと二十分程度しかない。
気にはなるが、聞くのは後回しだ。
「……じゃあ改めて、この中の誰から聞き込みに行けばいいと思う? その、……わ、ワタシとしては、ハナトくんのところに行くのは最後がいいかな~って、思って、るんだ、けど……」
――なにせ、眇目との交渉がまだだから。
かなりの私情を挟みながら提案すると、小柄は特に疑いもせず彼女の言葉を呑み、腕組みと共に虚空を見上げだす。
「マーナちゃんは、通りかかった輓獣車の護衛に助けられて無事ってことッスけど……、ウルシンさんは見つかってないんスよね……」
「そう、だね」
「それって何日くらい前か分かりますか……?」
目を落とし、文字の中から指先で日付を拾う。
「えっと、……マーナちゃんは十日前、ウルシンくんは六日前、だよ。あ、ちなみにハナトくんは七日前、だね――」
すると小柄は、スーッと息を吸う。顔立ちに似合わぬ大人びた仕草で、急に目を細めた。
「……じゃあ、今ならギリギリ追えるかもッスね、ウルシンくんを襲った異状体の方は……。マーナちゃんの方は難しいっすけど。どんな足跡かも、見たらもう判りやすし……」
「えっ」
なぜかちょっと強気に聞こえるその言葉がよく解らずに、ニカナグは聞き返す。しかし次に頭を上げた時、その少年の面には、ここまで彼女が見たこともなかったような、すました笑みが浮かんでいた。
「ふふふーん、姐さーん……」
狭い椅子の上から身を乗りだし、ニカナグの顔を覗き込んでくるその顔は、なんだか自信満々である。
「――忘れて貰ったら困るッスよ?
自分、そのためにご主人さまに目を掛けてもらって、姐さんの助手としてここに居るってことを……――!」
「小柄、くん……」
……しかしその言葉がいまいちピンと来ず、ニカナグは首をかしげる。
「……その、すまない。なん……だっけ……?」
「ね……姐さん……?!」
呼吸ひとつぶんの、気まずい沈黙。
それから「……え、ホントに覚えてくれてないっスか……?」と衝撃を受けたような声と共に肩を落とされる。その子犬のような瞳が、罪悪感を煽る。
「あ、あわわわすまない、ホントにすまない……」
「プッ……、ふははは! やー、不憫だわー! こーんなにご主人サマにむかって、ははっ、まじもんの狗畜生みたいに尽くしてるのにー! ねー、『小柄、くん……』???」
途端、眇目が二人を交互に見て、これ見よがしに吹き出してくる。ニカナグの、今の口調も、この少年を呼ぶときの声音まで真似してきて、馬鹿にする気満々だ。
性格は掃き溜めのごとき汚さなのに、しかし今回はこの片目うさぎの主張の方が正しいのが質が悪い。
ゲラゲラと笑いだす彼をたしなめられる立場にないニカナグは、申し訳なさと共に思わずしゅんと耳を下げてしまった。




