140.しっぽと、かすがいの子(下) -尻尾-
読了目安→6~10分
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縞は心の中で、盛大に舌打ちをしていた。
以前ならこんなガキが寄ってきたところで、「あっちに行け」と追い払っていたハズだ。
だが今は……、今は、悪い気がしなかったのだ。
なにせこの家のイカれた奴らは、お互いには『優しさ』とか言う気持ちの悪いモノを振りかざすクセ、縞にだけは誰も敬意を払わない。このチビだってずっとそうだった。
特に縞はまだ、三日前の出来事をかなり根に持っている。
◆
彼はあの日、森でイチヘイに『態度がなってない』と蹴られた事に腹を立てながら、それでも腹は減るので家に戻ってきてやった。
けれどそれは居間とキッチンの敷居を跨いだ、その瞬間の事だ。
部屋の奥、|緑青の光が舞う中に、さっき見たばかりのあの、「角の生えた乳とタッパのでかい女」が立っていた。
机の脚の隙間から目が合う。全身を見て分かったが人間じゃない。
蒼い瞳がチラリと縞を認め――『おや?』と面白がるように微笑んだ直後――女は煙のように掻き消えてしまった。
『――ニャッ?!」
残されたのは、目を皿のようにしている縞と、平然と立っている残りの三人だけだ。思わず声を上げてしまった。
『……お、オイ……今の誰だニャ?! 消えたニャ?!』
『んーえ? ……んん、今の、お師匠さまだよぅ? もう帰ったのよう?』
ししょう。
『……は?! 師匠だとニャ?!』
縞は、イチヘイたちが彼に断りもなく逃がした魚のデカさに独り、毛を逆立てた。もちろん、一度は反駁したのだ。
『は……――はァ?! お前らっ、元の身体に戻るためにオイラにソイツ、紹介するって話だったろがニャァ! 約束がっ、約束が違うだろニャー?!』
途端、縞を睨み下ろしてきたのはイチヘイだった。
『――あ゛あ゛?? うっせえな……、お前ムカつくし態度悪ぃんだよ。そこまでいうなら俺たちに信頼されるだけの仕事してから権利を主張しろクソが……』
『ニャッ、ニャニィー!!?』
縞はキレた。罵詈雑言を吐いて応戦したが、
『なあクソネコ……、――そんなに埋められたいか?』
返ってきたのは鋭い睨みと、獣の唸りもかくやというべき低い声だった。ここまでこの男を怒らせたのは、猫になってから多分初めてだった。
そうしてそんなふうに威圧を受けた瞬間、身体が勝手に震え上がっている。
〈刷毛尾猫〉の本能が、あまり逆らってはいけないと警告をだしてくる。結局今の縞は、この男と対等には渡り合えない、ただの猫なのだ。
な、なんだ? 前より怖いぞ?
驚き、戸惑う間に、イチヘイはそれ以上は取り合う気もないのかさっさと縞に背を向けてしまった。
『ったく、俺は別に、お前なんかさっさと捻り殺して畑の肥やしにしても構わねえんだ、覚えとけゴミ。……ほら邪魔だ。飯作るから、お外で蝶々さんとでもじゃれて来いよ?』
煽られている。クソが!
『ニャッ、ニャグギギギギ~~~ッ!!』
◆
……気付いたら歯ぎしりしていた。
思い出しても腹が立った。
上手い飯を食わせてくる分、"群れ"にいたころより幾分かマシかと思っていたのに、やはりこの家の奴らは全員、性根が腐っている。
このハナトとかいう一番弱くてちっこいのもここ数日、しょーもない内容の『命令』ばかりを縞に下してくる。悔しかった。
せめてこのガキだけでも、"群れ"で捕まえている間に、もう少し分からせておくべきだっただろうか。彼は後悔した。
――……しかし今になってこれは、好機ではないか。
「縞は、こわくない――?」
食卓の向こうに座るハナトは、ここ数日で一番、縋るような瞳で彼を見つめていた。
この子供はようやく、縞という存在の大きさと、本来の偉大さを思い出したのかもしれない。
(ケッ! 見たとこあの唐変木のイチヘイも、クソアマのフィーもこのガキにはめちゃくちゃ甘ぇ……。なら未熟なガキをオイラの都合の良いように育てるのも悪くねェってモンだ。
オイラはこの、バカなクソガキを子分にして、それを足掛かりにこの家を乗っ取ってやる! 今に見とけよクソがよォ!)
「……ケッ! バーカ! ……ニャー」
だから縞は長椅子を降りると、今度はとすん、とハナトの直ぐ隣にある円椅子に飛び乗った。ちょっと気取っている。
…………テーブルの上に乗らなかったのは、それをしたらフィーが激怒し、最終的にはご主人サマに吊られる事を昨日学んだからだ。
あのクソアマは行儀にうるさくて、怒らせるとイチヘイより色々ヤバい。身の安全の為にもうしないと彼は誓っている。
「いいか、よく聞けクソガキ。怖いってのはニャ、『守ろう』とするから感じるんだニャ」
しかし一方で縞がそう話すと、
「まもろ、……す、から……?」
ハナトは面白いように目を丸くする。……その反応に、縞はなにやら思った以上の快感を覚えていた。
「フッ、そうだニャ……。んなもン、いつか取られてなくなっちまうのに大事に抱え込んでよォ、下らねェ……ニャア」
ニヤリ。
だから思わず得意げに、口元を三日月に歪めて笑みを作っている。
縞の話に親身に耳を傾けてくる人間は、これまでの彼の人生において常に貴重だった。他人はいつも脅して、あるいは傷付けて従わせてきた。裏切るなら仲間だって殺される。そういう世界で生きてきた。
だからまさか、こんな場所に落ちぶれて出遭った子供に、そんな稀有さを見るとも思わなかった縞だった。
「……だがな、オイラみてェなオトコは格が違ェんだよニャァ?! オイラは、無くなる前に奪う! 欲しけりゃァ全部チカラ尽くだニャァ!」
「……そ、うなの」
ふーん。と、興味の無さそうな平板な声が返る。
「もっと真面目に聞けニャ!」
それでもじっと、大人しそうな円い目を逸らさず、縞を見つめてくるのは変わらなかった。自分の話を、聞かせられるのも変わらなかった。
……とても気分がいい。
「それによォ、お前だって持ってんのは命だけだろォがニャ! 生きてさえいりゃァ、殴って、奪って、食って、抱いて、やりたい放題できらァニャ! 運命なんざ、噛みついて引きちぎっちまえばいいンだニャ!」
子供相手に、縞はふふんと威張ってふんぞり返る。
ただ、これだって全部は彼の言葉ではない。半分以上は、いつかの昔に彼の兄貴分である片目の耳長族が語っていたものだ。
縞には、自分の運命を自分で噛み千切れた試しなんて一度もない。
こうして群れから解放されたのも、自分ではなくその耳長族が『もう仲間じゃないから』『役に立たないから』とここに捨てていってくれたからにすぎない。
そうされても、結局、縞がゴミでクズでバカなままなのは何も変わらなかった。
ゆえに勢いに任せ、とにかくシャーッ! と虚空に爪を振るい、とにかく決めポーズだけは取っておく。
ハッタリと勢いはいつだって大事だからだ。
(ハン、どうよ! これだけ『訓戒』してやりゃァ、このクソチビも涙ァ流してオイラにひれ伏すに違ェねェ)
チラリと花登を見る。
そしてその瞬間――彼女の瞳に存外、少しだけ光が戻るのを彼は捉えるのだ。
その表情の変化は、バカな縞が感じて自覚できる以上に、彼の感じてきた『虚ろ』を埋めた。
「……あいがと、ミミ」
ありがとう。
ふわりと向けられる笑み。縞をこき使うだけこき使う癖に、相変わらず純粋すぎる、その言葉。
「ふ、フフン……。分かればいいんだニャ、分かればよォ! ニャ……。感謝し――」
しかし直後である、縞はどうしてかハナトにガシッと胴を掴まれ、持ち上げられていた。
(……あん?)
「ンみゃッ?! あ、何すんだこのクソガキ……!」
「ミミ、やさし……、ごほうび」
それは縞が初めて経験する抱き上げ攻撃だった。これまで一切触れて来なかったくせに、たてがみに顔を埋められる。
「うわーはなせ気持ち悪いニャ!! ……ん?」
一度は脚をバタつかせる縞だったが、
(ご褒美……?)
一方その言葉にだけは、単純すぎる耳と尻尾が勝手にピクついてしまう。
「ニャ? ま、マジかニャ? なら、うめェ飯かきれーな姉チャンをだなァ……?」
「毛、梳かした、げる……ケホッ」
「へェっ?!」
ソファ横の背の高い戸棚の前に連れていかれる。
その小さい引き出しに獣毛のブラシが仕舞われているのを、縞は知っていた。
だってこの子供が昨日、唐突に、
『ミミの抜け毛が気になる』
などと言い出し、
『なら昔ね、この家で飼ってた〈刷毛尾猫〉ちゃんに使ってヤツがあるのよぅ』
とフィーがどこかから〈荒レ地ナラシ〉の毛のブラシを引っ張り出してきてハナトに渡すのを眺めていたからだ。
そのときは棚の上から、誰がそんなことをさせてやるものかと鼻で笑っていたのだ。しかし。
「――お、おい、やめろ、止めろニャァ!? オイラは、オイラはテメェみてえなクソガキのオモチャにはならねェニャ……!? そんな、畜生のお下がりのブラシなんぞ……! ギシャー!」
容赦はなかった。抗議も届かなかった。
初めて知ったが、このハナトというガキはどうも猫の身体の扱いに慣れているらしい。うねってもくねっても、関節の要所をギュッと押さえられると動けない。かといって爪や牙を立てれば、おそらく待つのはあの二人からの『お許し』だ。
もがいてぬるい抵抗を見せるも、気付けば手際よく膝の上に乗せられている。逃げ出す暇もなく、ひと櫛めのブラシが背中を抜けた。
刹那。
「…………ミャアッ?!」
――衝撃が走った。
ソ、ソコは――。
――ソコはっ、自分じゃどうしても舐められなかった場所だ……!
「や、やめろ! オイラは……ごろごろごろ……」
この姿になってから、縞は〈刷毛尾猫〉としての本能にずっと抗えなかった。
動くものがあると目や身体で追いかけてしまうし、狭いところと高いところと暗いところが落ち着くし、少し空気に湿り気が増えれば、気持ち悪くてペロペロと毛繕いをはじめてしまう。
「ミミここ、すき?」
「ち、違うニャ! そこは……そこはもっと強く……じゃなくてっ! にゃ、ぐっ、チビガキィ! 調子に乗んじゃニャァァァごろごろごろごろごろごろ……」
口でははっきり拒絶しているのに、喉の奥から漏れ出てくるのは快感を示す重低音。背中も勝手に、花登が手にする硬い毛の束へと擦り寄っていく。
気付いてしまって、絶望した。
……抗えない。
この獣の身体では、この攻撃には抗えないのだ。
「――うっ、ぐっ、くそニャっ、……お、覚えてろよ、こんなナメた真似しやがって! ニャ、だが生憎オイラは、こんな汚ェ手ごときにはごろろろろろ、ごろごろぐるくる……」
「ふふっ、ミミ、かわい」
ついには頭上から、ハナトの笑い声までが降ってくる。
さっきまでの鬱陶しい溜め息はどうしたのか。今はもう、縞の毛並みを梳かすことに夢中のようだ。
嫌悪と快楽の狭間で抗いながら、縞は薄目を開けてハナトの表情を盗み見る。
彼女は――、……にこにこと笑っていた。
「…………」
その瞬間、縞は自暴自棄に、なんだが全部どうでもよくなってしまった。ただ、胸の奥底だけが微かにむず痒く、居心地が悪い。こんな子供相手に、それが余計に腹立たしかった。
「……オイ、チビ!」
だから、だらしない姿勢に篭絡させられながらも、それを誤魔化すように声だけで精一杯ふんぞり返る。
「なに?」
「……今日は、メシに良い肉、出るんだろがニャ……? ならオイラに一番良いトコ寄越せよニャ!?」
「とくべつ、ね……」
するとハナトは言葉少なに、存外、頼もしげな頷きをかえしてくる。縞は思わず心中でせせら笑った。
(ハン、やったぜ! やっぱこいつチョロ――)
「……三ばんめ」
「――は、三番目のいいトコっておまッ、その耳 節穴か、あ、ニャッふんソコはっ、ごろごろごろごろごろごろ……」
「……半分、こ。あたしと……」
……抗えないのが、本当に屈辱である。三番目などナメられたものだ。しかし言質はとった。
このガキの教育作戦も、始まったばかり。
結果は焦るべきではない。それにこの、身体を梳られるのも……存外悪くないではないか。このまま良い感じに矯正して、逆に都合よく、自分に尽くさせてやるのだ。
(――もしこの肉の約束も破るようなら、今度こそ分からせてやる。爪と牙の鉄槌を下して、オイラの恐ろしさを刻んでやらなけりゃァなァ……)
ごろろろろろ、ぐるるるる……。
外の話し声がやみ、パンの包みと野菜を抱えたイチヘイが戻ってくるまで、縞はだらしなく喉を鳴らしながら、その小さな膝の上に居座ったのだった。




