139.しっぽと、かすがいの子(上) -鎹-
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モニススは、現れた時と同じようにスッと消えて、帰っていった。
――それから日々は平穏に過ぎ、あれから五日。花登がこの家で暮らしだしてからだと、八日が経っていた。
黙っていることを選んだのは自分なのに、それでもとてつもない秘密を抱えてしまった……と、日が経つごとに、花登はそんな思いをじわじわと実感しだしていた。
石。封印。欠け。戻らない。記憶。綴じ目。あの子。本望ではない。殺す。
聞いてしまった言葉たち。それがきっと、イチヘイを指しているということ。
この不安を大人しくさせたくて、思いきって二人に甘えに行ったりもした花登だった。
何も言わず擦り寄ってみたり、抱きついてみたり。するとイチヘイもフィーも一瞬不思議そうにはするけれど、必ず優しく受け入れてくれる。
イチヘイは
『あ゛? なんだ……?』
と戸惑いながらも、結局は不器用に頭を撫でてくれるし、追い払ったりもしない。
フィーに至ってはでれでれと溶けたように嬉しそうな顔を向けながら、
『んええ、ハナトちゃん大好きよぅ!』
と抱き締めてくれる。しまいには抱き枕にされて一緒に昼寝をしたりもした。
それにあれから、夜にフィーの泣き声や叫びも聞こえなくなった。
ただ、一度、夜中にトイレに起きたら、フィーの部屋の前にイチヘイがうずくまっているのを花登は見かけたことがある。
まだ音消しを使っているのだろうかとも思ったが、声をだしたらフィーに聞こえてしまいそうで、直接 質問はできない。手を振ると、仏頂面に軽く振り返されて、そこでできたのはそれだけだった。
とにかく二人ともちゃんと、花登を好きでいてくれるのはずっと伝わって来る。……安心は、する。
それでもやはり何をしても、モニススに託されてしまったこの断片だけは、どこにも追い払えなかった。
(結局、フィーとお師匠さまが、イチ兄になにか隠してて。でもフィーゼィはイチ兄を守りたくて。……なのにお師匠さまは、必要ならイチ兄を殺さなきゃって思ってるのは、なんも変わってないんだ……)
この、棘が刺さっていちばん赤く腫れあがった瘤のような不安を、除いてくれるものはどこにもない。
その日の朝、花登は食欲がなかった。なんなら前の日も、あまりご飯は食べられずにいた。
ふたりにはもちろん心配されるが、熱があるわけでも、風邪を引いている様子もないから、首をかしげられる。
花登はいたたまれない。
そんななか、唐突にフィーが、
『んんん! ねーえ、ハナトちゃん聞いて? なんかボク急に、絹綿兎が食べたいかもなのよぅ?! ついでにねぇ、ハナトちゃんの分も狩ってくるー!』
などと言い出したかと思うと、愛槍を片手に準備を整え、颯爽と森に消えていってしまう。
日が高く登り出す前の出来事だった。
あっという間に消えていったのでイチヘイも追いそびれたのか、口を半開きにして花登の隣に取り残されていた。二人ならんで台所の勝手口に立つ。
『なんの、こと……?』
と尋ねると、どうやらものすごくお肉が美味しい、野うさぎっぽい野生動物がこの辺に棲んでいるらしかった。
『エナタルの森中に普通に生息しているらしいんだが、警戒心が強すぎる上に頭もよくて足も素早い……というか素早すぎるな。脚が速くて耳も良い耳長族の狩人でもなければ、捕まえるのはほぼ無理だ。俺も、フィーが捕まえてきて死んだヤツしか見たことない』
美味しいのに捕まえられる人が少ないので、高級品らしい。罠をかけても、勘が鋭いのかほぼ掛からない、と。
『ふう、ん……』
『……心配だが、ついていっても狩りの邪魔だとか言って嫌がられそうだから俺は残る』
眉間に困ったような皺を寄せながら、家の中へと踵を返す彼を見送る。それからふと気付く。
(きっとあたしがご飯食べないから、心配してくれたんだ……)
『動物は、ちゃんと殺せるんだよな、アイツは……。やっぱり妖獣狩りに転職か――』
なにやらぶつぶつと呟くイチヘイの声を聞きながら、花登はひとり、申し訳ない思いにかられていた。
◆
それからほどなくして、今はお昼前。
今、玄関先には大きいパンと野菜かごを抱えたノナウ婆さんが来ている。イチヘイはひとり、そちらの対応に追われだしていた。
だから今、家のなかには花登ひとりだ。
外からゲラゲラと笑うノナウ婆さんの声は聞こえてくるのに、家の中は妙に静まり返って広い。
「はぁー……」
細いため息が漏れる。
花登はすっかり自分の定位置となった円椅子に座り、食卓の木目をじっと見ている。
イチヘイのこと。フィーのこと。
ここ数日、気付けばずっと同じ考えに沈んでしまう一人の時間に嫌気がさしつつも、
「はぁー……」
さっきも大丈夫かと訊かれたが、言えない。言えるわけない。
本当は、二人に聞いてほしかった。けれど、これ以上知る覚悟なんて何も持てない花登は、その欠片さえ二人に見せることは許されないし、なにより花登自身が怖いと思ってしまう。
言ったら、きっと花登の居場所はなくなる。
なのに言わなければ、ずっと苦しい。
その矛盾が、ずっとぐるぐると頭の中を回り続ける。息をするのも辛いような気までしてくる。
『――絹綿兎はよく煮込んだクリームスープが美味いぞ。アイツが狩って来れたら、作ってやるからな』
イチヘイがさっき、なんだかいつもより優しい口調で言ってくれたのも、花登には苦しかった。だって今の花登には、それすら喉を通るかも怪しいのだ。
「ハアー…………」
再三漏れるため息とともに、食卓の冷たい木目に突っ伏した。
すると食卓の向かいの端に、ゆらゆら動く何かの形があることに気付く花登である。視線だけずらすと、立ち上がった尻尾だけが見切れて、横移動しているのが目に入った。……ただ、次の瞬間にはその尻尾は失せ、代わりに金色の両目と三角の耳が食卓の端からニュッと現れる。
「……オイ。さっきから鬱陶しいんだニャ、チビ」
不機嫌極まりない、ダミ声の〈刷毛尾猫〉……――縞である。
「大人しく聞いてりゃ何なんだニャ、さっきからはあはあはあはあと。ガキが喘いでもうるせえだけニャ! 昼寝の邪魔だ、黙ってろ! にゃー!」
「……ミミ」
「チッ、だからよォ、オイラは縞サマだっつってるだろがよ! ニャ!! ……ったく、どいつもこいつもオイラをバカにしやがってニャァ! おいチビガキィ、オイラがここに居るんだからよォ、もっと敬意ってモンを払ってシャキッと出来ねェのかニャ? あん? オイラのご機嫌とって愛想よく微笑めニャ!」
なんだか勝手なことを言って、縞はふんぞり返っている。
その態度は何一つ変わらずに乱暴で、口も悪い。けれどその変わらなさが、今の花登にはどうしても眩しく思えてしまった。
それに思えばこの家で唯一、この猫は花登たちの抱える「秘密」の外側にいるのだ。
……少し、羨ましくなってしまった。
だから気付くと花登は縋るように、そのふてぶてしい顔を見つめている。
「……ミミ」
「あん? だから縞サマっつ――」
「ミミて、つよい?」
セリフを遮る花登の問いに、縞のヒゲがピクリと跳ねる。しかしそれは、怒ったからではなかった。
「……は、ハン! しょーもねー質問してくんニャ! あったり前だニャァ!」
とたん縞は鼻を鳴らし、小さい身体を大きく見せたいのかわざとらしく胸を張りはじめた。
〈刷毛尾猫〉の首回りには毛足の長い、鬣のようなふわふわがある。その毛並みまでを、彼はふてぶてしくも得意気にぶわりと膨らませて見せる。
「オイラはかつて、『閃光の縞サマ』と恐れられた男なんだぜェ?! ニャ!
ひとたびオイラが戦闘に出たらなァ、通るだけで敵は勝手にバタバタ倒れ、女はオイラのカッコ良さにひれ伏したもんだニャア! ……ま、今はこんなチンケな身体に押し込められちゃァいるが? ニャ? その魂の格ってヤツは、あのイカれた仏頂面のご主人サマやクソアマごときより遥かに上なんだからニャ?! へへ、イヘヘヘヘ!」
「……すごぉい……」
可愛そうなので相槌をいれてみたが、言ってからぜんぜん気持ちがこもっていなかったことに気づいた。
それでも自信満々な、その姿。
「イヘヘヘヘヘヘヘヘ!!」
縞は本当はイチヘイたちより大人らしいけど、そんなの嘘なんじゃないかと思うくらいには単純バカだと思う。子供の花登でもそう思うのだから、きっと相当だ。
"群れ"に捕まっている間、この猫とはほとんど顔を会わせなかったので、元の姿だった頃の様子を花登はほぼ知らない。イチヘイから聞いた話だと、相当悪いことをしていたようだ。
ただ、数日一緒に暮らして、これがエッチなことかご飯のことしか考えていないのがわかり、花登は呆れている。『元の体に戻りたい』という弱みを握られているから、どんなに威張ってもイチヘイにもフィーにも勝てない。
すぐに嘘をつくからこの話も絶対盛られていると思うけれど、――――それでも今の花登には、そんな境遇におかれてもまだ消えない、根拠なんてどこにも無さそうなこの自信が輝いて見えてしまった。
だから、気付いたら震える声でそっと問うているのだ。
「……じゃあ、ミミ、こわくな、い? ……ケホケホッ!」
「あん? なにがニャ?」
長い言葉を話せば噎せる。一気に言葉が出ないことをもどかしく思いながらも、何とか言葉を連ねた。
もし、誰にも言えない秘密を抱えたら、苦しくならないか? 明日、この場所が自分のせいでなくなってしまったらって思ったら、怖くならないか?
……誰にも言えない、その秘密の重さに、怖くて押し潰されてしまわないか?
上手に話せなくて、途中で飽きられてどこかに行ってしまうかと思った。
けれど縞は、フン! とか、ハン! とか言いながらも言い分を最後まで聞いてくれた。
花登には、それがとても意外だった。




