138.鎖と轍⑦ -命に代えても-
読了目安→5~8分
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人を叱る、なんてこと、ニカナグは苦手だ。
それでも〈祭祀面〉を着けなおす頃には、彼女もだいぶ気を取り直していた。
さすがに言わなければならないと、黒い耳ごとキリリと強気な顔をつくる。小柄を見た。
「こっ、こういうこと、二度としないでもらえるかな?!」
「ば、バレないように、って、ことッスよね、姐さん……?! 気を付けるッス!」
「い、いや違くて……!」
素直さしかない表情で返される。そびやかしていたその耳も一瞬で脱力してしまう。十七歳とは言っていたが、本当かどうか、ますます怪しくなるような純粋さだった。
そもそも論点が噛み合わない。
「ほーんと、やんならバレないようにやってよねー」
そこでヘラヘラと笑いながら、眇目が小柄の肩をばしばし叩きだす。ただその言いぐさにも、ニカナグはさっきから引っ掛かりを覚えているのだ。彼女は恐る恐る……、本当に恐る恐る口を開いた。
「あの……、ねえ、眇目くん? 君はいつから、知ってた……の??」
「えー? このクソチビが自腹で買ってた材料……、四エラと八千ビニーだっけー?」
すると眇目は、自分の肩の辺りにある小柄の頭をわしわしと乱暴に撫でくり回しだす。それからニカナグに向かい、意地の悪い表情で首をかしげてきた。森の家で同族のフィーが同じ所作をしていたときは可愛いなあと眺めたのに、この男がこの顔でやると嫌味ったらしさしかない。
「はっ、いまの卑し~い僕たちがそんな大金持ってるわけないでしょー? コイツ、縞から仕込まれてたしね?
アイツってばホントの猫チャンになっちゃって、今ごろどっかで野垂れ死んでそうだけど、あれは巧かったよー? まじで。……時々見捨てたくなるくらいには馬鹿だったけど」
答えには、なっていない。しかし思えば店から出るとき、彼はニカナグと小柄を見て意味ありげに笑っていた。
……あの時にはもう、気付いていた?
彼女はあまりの事にまた絶句しかけ、ガクリと肩を落とす。
しかしその様子を、小柄もじっと目に映していた。ニカナグの雰囲気に、ようやく何か悟ったように口を開いてくれる。
「そう、ッスよね……、カナイナの姐さん……。あいつらどうみてもカタギじゃなかったんで、大丈夫かと思った自分が馬鹿だったッス。よく考えたらこんな、下手すればご主人さまに目を付けられそうなこと……」
その声は、やはり罪悪感からか悄気かえっている。悔恨の意を、握った拳と表情いっぱいに示してくれる彼は、実に素直である。
ニカナグは少しの期待と共に顔を上げて彼を見つめた。
「わかってくれて嬉しいよ、小柄くん」
「ね、姐さんのお役に立ちたくて、ご負担おかけしないつもりでやったのに、それで姐さんを嫌な気持ちにさせるなんて、自分、最低ッス……。改めて本当に、申し訳ありませんでした。
――……だから、姐さんがダメって言うなら、お仕えしてる間のスリは、もうやりやせん!」
(う? ううん?)
「おー、なに、小柄のクセにナマ言うじゃん、かっこいー」
(いや違ーう! 違うんだけどもー……!?)
「~~~~!」
叫びたくなったが、押し殺した。
ツッコミどころが多すぎて、なのにその気持ちがこの少年の善意百パーセントであるために、今度こそ返す言葉を見失ってしまう。思わず両手で顔を覆った。
ついでに、理解するのだ。
(こ、小柄くん! 他の"狗"と違って『生まれつきの奴隷じゃない』って、いうから、それなら隣のこの男よりはマトモそうだって、何となく考えてしまっていたけども!!)
そうだ、本来、市民から奴隷に堕ちるというのには、それなりの理由があるはずなのだ。
昨夜のダカントラの、『分かり合えねえこともよくある』と言う言葉が今更ながら彼女の芯に突き刺さる。
「カナイナ姐さん……それでこの、ご迷惑かけた落とし前は――」
そこへ上目遣いに、おずおずと問うてくる声。ニカナグは顔を上げた。責任感あふれる悲壮な瞳と視線がかち合う。
「――ムチ打ちッスか? それとも、焼けた鉄棒で……」「わーーあ?!? いい!! 何考えてるんだいそんなのしないよ?! お咎めなし!! もうしないで居てくれるならそれで良いから!! 小柄くんのこと信じてるから!!」
薄紫の瞳を見開き、ぶんぶんと顔の前で両掌を振る。
思いやりは……、思いやりは大事だ。
「お、わ……?」
呆気にとられた表情で固まる小柄。その隣にいる眇目は、まるでゴミでも見るような蔑んだ視線で彼女を睨み、「おえー」と静かにゲロを吐く真似をしだす。
「カナイナの、姐さん……」
「な、なんだい……?」
けれど数瞬ひらいた間のあと、一方の小柄はキラキラした瞳で口を開いた。とてもとても感極まった様子で、喉を詰まらせている。
「自分……、自分ッ! 眇目センパイと違ってよわよわで、きちんとお護りはできないッスけど……、こうなったら助手として、もっと頑張るッス! なんでもするッス! いざと言う時は、喜んで姐さんの身代わりにもなりやす!」
「そ、それはちょっと……」
昨日も似たようなことを言われたが、彼の鼻息は荒い。あわあわとまた掌を振りだすも、そこでふと、ダカントラの助言がニカナグの背中を突っつく。
――気遣ってやれ――。
「あ、ありがとう……気持ちだけもらっておくよ……」
すると小柄の顔は、パッと明るさを取り戻した。でも、やっぱり我慢できずに添えておく。
「でっ、でもそんな簡単に身代わりになられたら困るよ?! 君、エニおばさんに字を教えてもらう約束をしてただろう? 私だって期待してるのに」
「ハッ! そ、そうっした!!」
途端その言葉にも、小柄はうっかりしていた、とばかりに鼻の下を掻き出す。
「へへへへ……。ちょっと、勢い余っちゃいました。死んだらダメッスよね……。自分も、自分の名前くらいは書けるようになりたいですし……」
「うっわ、どっちもチョッロ……」
それを聞く眇目が、不愉快そうに顔を顰める。
それでも、今はこの少年への接し方は、これが最良のやり方に違いない。こればかりは、ニカナグはそう信じて疑わなかった。
◆
路地の屋根屋根に切り取られた空の端に、陽光がチラチラと顔を覗かせだした。ニカナグは倒れている月輪族の前にしゃがみこんで、まだバッチリ息のある相手に、思わず手を合わせてしまう。
(すみませんでした、ご迷惑をかけました)
「――ねえ、もう行くって言ったのあんたでしょ。何してんのさ暫定サマ」
「う、そ、その、」
思わずイタズラのバレた子供みたいにあわあわと振り返った。
「お財布、返してかなきゃって……小柄くんが使っちゃった分も戻して、それで、」
「はあ? 中身まで??」
信じられない、と、尻尾を揺らしながら、呆れた調子で笑われる。思わずニカナグは反駁した。
「だ、大事なことなんだコレは!?」
いったんはニカナグたちのご主人さまにバレて、この中の誰かが、あるいは全員が処分を受ける可能性も考えたが、事実として、剣を抜いたのはむこうだけだ。
ちなみに都市の壁内で、鞘から抜いた刃物を交えての私闘・決闘は地味に罪が重い。
門を越えて入壁する時、『武器の携行は許可されるが、決闘・私闘に用いた瞬間、どんな理由であれ労働刑十年にあたる重罪となる』とわざわざ注意されるほどである。
対して眇目は剣を抜いていない。ニカナグの魔法は向こうの襲撃に対してなので正当防衛に入るし、小柄の弓は……うん、どうにかなると信じたい。
「……そ、そもそも、今法的に分が悪いのは件を抜いてしまった月輪族の彼らだから、訴え出るなんてことはしない……というかできないと思う。……ただ、小柄くんが盗んだのは本当だし、それだけはお詫びというか……」
彼はヘラヘラと嗤う。
「あーね? 証拠隠滅ってやつー?」
「い、言い方…………」
すると眇目は、まるで軽蔑の眼差しを向けてニカナグを睨むのだ。
「あんたマジで、信じらんないくらい中途半端……。嫌いだわ」
そこへ、先に梯子を昇りきった小柄が、塀の上の陽を背負って話しかけてきた。
「姐さーん、センパーイ、行きましょうよー!」
眇目は、これ以上は話す価値もないとばかりに尻尾を翻して行ってしまう。ニカナグも慌てて後を追った。
「あ、あのっ、眇目くん……」
それでも、思い出して声を上げる。たとえ嫌いだと言われたとしても、これだけは言わなければならないと思った。
「……さっき、触んなって引っペがしてくれたよね……。経緯はどうあれ、守ってくれてありがとう」
「うわ……――」
途端、眇目は攻撃でもかわすような素早さでニカナグを振り返った。
「――最悪。あのさあ、言ってんでしょ? 勘違いしないでね? 暫定サマに傷がつくと困るのはー、ぼ、く、な、の」
言ってして見せたのは、歪めた唇の片端から黄色い歯を剥き出し、自分の喉を掻っ切る仕草だ。そうやって睨まれ、彼はまたパッと前を向き歩きだす。
「――はー、あんた真ッッ性に……、自分にだけ都合のいい花の園ちゃんだね。
…………無理だわ生理的に。頭イカれてるでしょ。まっじでキモくて反吐が出そう」
「あは、はは……」
……確かにそんな意味でエニにつけてもらった偽名、ではあるけれど。
返す言葉がない。
……しかしやはりさっきのことで、身体的には絶対に害されないとわかった。そのことだけは、彼女にとっての大きな収穫である。
(こ、この調子ならどうにかなる、かな……?)
嫌悪たっぷりに、目前でゆらゆらと揺らぐ黒い尻尾。彼女は苦笑いと共にその軌跡を追いかけ、古い梯子を静かに登っていった。




