136.鎖と轍⑤ -使えない魔法-
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そのまま棘吐きうさぎは積み上げられた木箱を踏み、宙を飛ぶ。
屋根づたいに走り、行き止まりの壁のすぐ手前、何かの倉庫に使われているらしい、扉のないボロ小屋の屋根に着地する。そこでようやくニカナグを降ろした。けれどやっぱり荷物のような降ろされ方だった。
「そこで暫定サマは待機ね」
「はひ!」
しかしここは屋根の傾斜がキツく、変なあだ名で呼ばれ出したことを気にする余裕もあまりない。せめて隣接する壁に手を置くため移動しようとしたが、一歩横に踏み出すだけで屋根は頼りなく撓み、軋んだ。
屋根木が腐りかけている。下手に歩いたら穴が空きそうで、不安と諦めを抱えて彼女はしゃがみこんだ。
その間に小柄が遅れて角を曲がり、「おわー!」と叫んで駆けてくる足音が響いてくる。さらに遅れて月輪族も何事か叫びながらやってくるが、
「おいこ■■て! ■■っとがー!!」
路地の壁に遠くから反響して、種族的に耳が良いわけでもないニカナグには余計に聞き取れない。
「ねえ暫定サマ……」
そこへ、いつの間にか路地の突き当たりを背に地面へ立った眇目が話しかけてきた。
見下ろしたニカナグは一瞬、目を瞠る。なにせあんなに重たかった剣を、彼が暇つぶしか準備運動のように鞘ごとくるくると振り回しているのだ。
動けない彼女。近づいてくるその怒号だけが耳に届く。
そんな中で、眇目は続けてくる。
「生き物ってのにはさー、ぶん殴ると一発で動けなくなるとこってのがあってねー?」
「う……? 」
目をやるも、顔半分を覆う黒布でニカナグにはその表情はよく解らなかった。それでも眇目の首筋の毛がざわざわと逆立っているのに気付いたその瞬間――、……彼女はこの男の心が昂っていることを、否応なしに悟ってしまう。
「……まあ、今回はデカい男二人相手だしー? いたぶるのも愉しいけど、暫定サマもお急ぎのようだから、さっさと済ませてあげましょうねー、それで問題ないよねー?」
その言葉端に滲む、抑えきれない喜悦。そうしてそれを耳にするニカナグの胸には、今朝がたのこの男の、
『哀れな道具に優しくして、気持ちよくなりたいの?』
という嘲笑が過ぎっている。
この男は、自らを何と定義しているのだろう。
それは、その問いは、『道具』を扱うものとして人を傷付けることへの責任を、ニカナグに負えということなのだろうか。彼女自身は、いまだに『ケジメ』を自分ごととして背負うことすらできていないのに。
『殺さないで』『やりすぎないで』
『まだそこまでの覚悟は、持てない。すまない』
現状をおもえば、他に言うことはいくらでもあっただろう。けれどもその瞬間、剥き出しの本性に背筋を凍らせながら、彼女の口を衝いて出てきたのは、
「す、眇目くんは、自分を道具か何かだと思ってるのかい……?」
「せ、センパーーイ!!」
刹那、ピクリと動く彼の長い立ち耳。それがどちらの言葉に反応したものなのかはニカナグには判らない。
しかし頭上をほんの一瞬仰いだ彼は、まるで汚物を眼前に置かれたような目でニカナグを見ていた。
そうして、彼女に向かって舌打ちをするのだ。
「……下履、見えてる」
「え? ……ふぁっ?!」
思わず、足元が撓むのも忘れて立ち上がってしまう。
(た、確かにスカート長いから油断してたけども!!)
そしてその瞬間には、彼は『――ははは!』と楽しそうに笑いながら、目前に迫った三人に向かって疾風のように滑り出していた。
怖々 足元を確かめながらも、思わず一歩だけ前に出て、視線で彼を追ってしまう。同時に、駆け寄ってくる小柄の姿もニカナグの視界に映る。
「センパイ、これっ?!」
どうするんですか?! とでも言いたげな小柄の悲鳴。しかし眇目はそれをまるごと嘲笑う。
「良いよ小柄クン、もうちょっと頑張ってー?」
その横を鮮やかにすり抜ける。決して後輩のために立ちはだかろうとはしなかった。
彼は積み上がるがらくたの縁を蹴り、脇に並ぶ家々の庇を矢のように駆けた。小柄を追いかける月輪族二人の横をもすり抜け、直後、後ろの一人、顔に傷のある方に拾い上げたレンガをぶん投げる。
大きさは拳大、レンガは毛の生え揃わない、その目立つ傷の上に新たなかすり傷を増やし……、その敵意を一瞬で眇目へと振り分けた。石畳にガラリと乾いた音が反響する。
「貴ッッ様ァーーー!!」「ははー、こわいこわい」
ぐるるる! と鼻息も荒い唸りと共に、巨体は背後に降り立った無礼な耳長族を振り返る。
すらりと抜き放たれる、幅も広くて巨大な三日月刀。しかしそれはニカナグにもわかるレベルで、この狡猾な片目の男に暴力に対する正当性を与えてしまった。
傷持ちが、怒り狂って突進してくる。
「あらー、立派なブツをお持ちだー? でも、街中でそんな下品なコトしたらダメって、領主サマが言ってなかっ、たっ、かなっ?!」
言いながら羽根のように跳躍。横薙ぎに飛んでくる剣の軌跡を避けて、前転宙返りを始める彼。
突進してくる月輪の肩に逆立ちの姿勢で手を掛け、固く握る花蔦の束を、宙返りの回転で生まれた勢いごと顎裏に叩きつける。
「見てー、暫定サマ!」
ペキリ、と静かな音が鳴り、一瞬で月輪族の足どりがふらついた。昔、遊びで読んだ医学の本で、そこはかなりの生き物にとって共通の急所だとニカナグも覚えたはずだが、相手は思いのほか倒れない。
よろめきざまに、その巨体は回れ右。ニカナグ側に正面を取りながら、丸太のような腕は、肩に乗った眇目の片手を掴みだす。傷持ちのその顔は、白目。
ガラリと音を立てて三日月剣も取り落としているのに、それでも、おそらくは半濁する意識のまま動きを封じにくるタフさに、
「あっ、危ない眇目くん?!」
ニカナグは肝が冷える。
しかし眇目の顔に視線が移った瞬間、彼女は息を詰めた。その表情はやはり昂り、えもいわれぬほどの喜悦に歪んでいたからだ。
「いいねぇー、活きがいいー! じゃ、これは!」
直後、掴まれた片腕をそのまま支点とし、彼は相手の背中へ、振り子の要領で体重の乗る膝を叩きつけた。
腰椎の横、肋骨のすぐ下への一撃。背中の急所を攻める技だ。
そうしてそれが今度こそ、この月輪族の意識を刈り取る決定打になる。
しかし傷持ちの月輪族が昏倒するのと同時、ニカナグはすぐ目下で、傷無しの方に追い回されている小柄の叫びを聞く。
「ひわー! ごめんなさい! ごめんなさいッス!」
突き当たりの壁前は、道ではなく小さな家一軒分くらいの広場だった。壁沿いに大きい木箱、板や土嚢、レンガ。色んなものが積み上がっている。
小柄はその資材と壁の隙間に入り込んで小動物のように逃げ回っていたが、いよいよ壁と倉庫の継ぎ目、つまりニカナグの足元に追い詰められている。
「こんのッ! もう逃げられんぞ!!」
「小柄くん……!」
気付いた瞬間から彼女も生きた心地がしない。
こっちの月輪族も小柄に対して何をそんなに怒っているのか、傷持ちと同じく抜剣してしまっていた。路地の柔らかい光にギラギラと輝るその銀色が、小柄の鼻先に突きつけられている。
彼のすぐ背後にはハシゴがあるが、この状況では登りだした瞬間、太い腕に引きずり倒されるのは誰にでも解せることだった。
〈――地をつたい、うねる根の。〉
だから迷うより先に、小声で呟かれるのは早口な詠唱。懐にしまったエニからの贈り物に指先が触れる。
〈震う脈、葉をつたう。
何処んぞ、震う枝。
うねりて来たれ、何処より――〉
けれど例え詠唱の文言を知っていても、普段からは使わない、いや、魔力の少ないニカナグには本来決して使えない魔法は短縮の勝手が分からない。
その間に、褪せた茶髪の上へ湾曲刀が振り上がる。
焦る焦る。瞬き一つ分も惜しい。
しかし間一髪、唇はどうにかフル詠唱の〆の呪までたどり着いた。
〈――回廊綴じし、狭間より!〉
直後、月輪族の足元に青い魔法式の輪がいくつか光る。同時に、ドン! と突き上げるような衝撃が周囲を震わせた。
「――あっ……?」
その衝撃でニカナグの直下、腐った屋根には穴が空く。
一方の月輪族は、石畳から幾本も突き上がる石柱に足元を掬われ、横っ面を殴られていた。
だが、吸い込まれた屋根の下、打ち所を違えた彼女はそのまま意識を失い、そのあとがどうなったのか、最後まで見届けることができなかった。




