133.鎖と轍② -礼と無礼-
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「じゃ、じゃあ行こうか……」
「よろしくお願いします、カナイナ姐さんっ!」
二人を伴って玄関の敷居を跨ぎ、飴色の扉を締めた。
軒先までに見送りに出る者はいなかったが、正門までの広い庭を歩きながらふと振り返り、
「う……?」
気付く。
二階の窓辺で籐椅子に座るエニが、ぜんぶ悟ったような顔で、歩き去るニカナグの背を優しく見つめていた。
目が合うと、両手を胸の前で噛み合わせ、守護印を作ってくれる。
どうか幸せで。無事に帰ってきますように。魔法族の間で良く使われる、旅立つ人に向ける験担ぎみたいなものだ。
ニカナグは門扉までの木道の途中で立ち止まると、深い謝意を込めて静かに軽く膝を折る。
その手は今朝がた、エニから託された硬くて暖かな重みを、上着の上からそっと確かめていた。
◆
突き付けられたものは、別に手足一本への断罪だけではない。
アナイからは昨日、この件における最新の調査書を渡されると共に、手付け金として三十エラ。
さらに眇目が正式に護衛としての加入を許されると、あの慇懃無礼な手紙と共に、護衛をつけるならそれなりの武具が要るだろうと、手付金もろもろと一緒にさらに二十エラほどを渡されていた。
しめて五十エラ。
これは都市部に住む四人家族が、切り詰めればギリギリ二ヶ月暮らせる程度の金額だが、これで三人分の移動費、食費、宿泊費、その他必要と思うもの、調査終了まですべて賄えと言うのだから、多いのか少ないのかはニカナグには良くわからない。
そもそも彼女は調査専門で、これまで旅の上でのこういった雑事は全て助手まかせだったのだから無理もなかった。
そのまま狗二人を伴い、歩みを進める。
大叔母夫妻の家がある、坂の中腹の閑静な住宅街を下ると、街の気配はだんだん雑然としてくる。
三人の足は今、様々な職人の工房が集まる、いわゆる下町と呼ばれるような区画を進んでいた。
とにかく、最初に向かうのは、ソルスガとの話にも出てきた被害者たちへの聞き込みだ。どこからどうやって発生しているかの調査は、それをとっかかりに始めればいいだろう。
俯いていたニカナグも、この辺りの威勢のいい喧騒に巻かれると、だんだん落ち込んでばかりもいられないような気になってくる。
顔を上げた。
しかしそれは木の板を積んだ荷車が、そんなニカナグの横をガラガラと過ぎるのを見送ったあとだ。巻き上がる板材の匂いの直後、ふと、こんな場所には場違いにも思える肉の香ばしさが鼻を撫でる。酢と香辛料の香りもした。
「いらっしゃい、いらっしゃーい、今焼き上がったばっかりだよー」
そうだった。この辺りの区画では、朝だけ食べ物の露店が開き、小さなカウンター越しに軽食を売ったりしているのだ。早朝から仕事を始める職人たちのための、小さな台所だった。
今通り過ぎた飲み屋の裏方でも、人族の店主が炭を焚いて何かを焼いている。
「いらっしゃーい! お、どうよお兄ちゃんたち、これね、皮パリパリで美味いよー? 一本三百ビニー、三本なら七百ビニー! なんと二本とちょっとの値段で買えちゃう!」
後ろを歩く狗二人に売り子から調子のいい声がかかるのを、ニカナグも耳にする。思わず振り返った。
「あっ、それ、はもしかして……」
◆
――「お嬢さん気前いいね?! 毎度ありー!」
その露店で売られていたのは昨日、アナイに声をかけられて食べ損ねた〈青頭巾〉の手羽串焼きだった。
わぁ……、と気持ちが跳ね、衝動的に買ってしまった。しかも、店主に上手いこと乗せられてしまって三本。
いや、朝食の場が殺伐としすぎて、全然食べた気がしなかったのがいけないのだ。決してニカナグがちょろいわけではない。
(それに違う店のものとはいえ、聞いたら味付け一緒だったし! 気になってたし! )
「い、良いんすか、ごちそうになるっす!」
「いい、よ? ひとりで食べるの、居心地悪いし」
言うと、小柄は差し出した串を嬉しそうに受け取る。それから本当に怖々と、彼女は眇目にも目を配せた。もう一本は、一応は彼の分だったのだ。
あんなことがあった後だ、ダメ元で恐々と、半歩前に寄る。
「……あの、あなた……は?」
途端、小さい舌打ちと共に睨まれた。かと思えば本当に嫌そうな顔をしながら、彼はそれをニカナグの手から引き抜いていった。
「……先行くから」
礼ではなくそんな言葉を吐いて、眼帯を巻いた頭が先頭を切りはじめた。そんな彼の横にはすぐに小柄が並び、とても分かり易く物欲しそうな視線を流しだす。
「……センパイ、嫌ならそれ、貰いやすよ……?」
「え、嫌だ。別に要らないけどキミにはあげない」
(あ、食べた……)
やり取りを背後から眺めていたニカナグは、その決定的な瞬間を確かに捉える。やはり不機嫌そうに彼の尻尾はゆらゆら波打っているが、当の彼女は知らず安堵していた。
それから慌てて後ろを追う。
すぐ後ろを歩きながら見上げた。歩み寄る余地は、無いことはない、ようだ。
ホッとしながら食べる一口目の串は、やはり皮目が一番美味しかった。香辛料の香る香ばしい脂に、酢のさっぱり感がよく合う。
ニカナグは緩んだ頬と一緒に、足取りまでもが少し緩んだ。そうして尖った串を自分の顔に向けたまま、石畳のわずかな起伏に蹴躓づく。
「あっ……――」
思ったときには自分ではどうしようもないところまでバランスを崩していた。眼前に迫る串先を前に、『ああこんな日常にも危険って潜んでいるんだな』などと実にもならない教訓を得た瞬間、その串は流れるように黒い肉球のついた手に掠め取られている。ついでに上着の背中の部分を、上からグイッと引っ張り起こされた。
すぐ前を歩いていた、眇目だった。
口がぽかんと半開きになる。ニカナグの身長では肩先までしか届かない背丈から、極めて面倒くさそうに細まる片目が彼女を凝視している。
「鈍ッッ臭……。今これ、危うく刺さるとこだった」
「う、え……?」
心配というよりは、事実確認の混ざった、棘のある非難である。
それでもどう見ても自分を蛇蝎のごとく嫌っている相手に助けて貰えた事実が、ニカナグには数瞬、信じられない。
かと思えばすぐに興味をなくしたように、眇目は彼女を置いてまた歩き出す。
一瞬その背中を見送るも、自身の足がきっちり地面を踏んでいることを改めて認識すると、生来のお人好しはとっさに後ろを追いかけていた。
おそるおそる、一言。
途端、返るのはせせら笑いである。
「あの、ありがとう……」
「ハッ、アンタに『傷ひとつ付けるな』って話なんでしょ? そのトロさ、僕としては今すぐ締め殺してやりたいね。でも、怪我されたら困るんだよ、僕がね?」
不快そうに鼻をならしながら、眇目は脇の小柄を振り切るように足を早めだした。その後ろ姿を見上げた瞬間、ニカナグは彼が、自分の食べかけの串をちゃっかり頬張りながら歩いていることに気付く。
「おわ? センパイ、その串……」「思ったより旨いね」
「あ?!」
強奪されていた。
しかしすぐ、「まあいっか……」と笑いながら呟いてしまう。するとほんの瞬間 眇目が眉間へ皺を寄せ、臭いものでも見るかのようにニカナグを睨んできた。その意味は、ニカナグには良く分からなかった。
◆
下町通りを抜けると、人通りはさらに増えた。旅装の男女、傭兵や探索家と思われる男たち。
きっと多くは、武器や防具を買いに来ている。ここがそういった系統の店が多い通りだからだ。
ごった返す人通り、背の低いところが災いするのか、時々小柄はすれ違い様に長身の種族とぶつかる。
ニカナグの方は一度だけ大きい種族にぶつかられたくらいだが、度々背後の方からは、「すいやせん!」と謝る声が耳に届いた。
少し心配にはなりながらも、目当ての店に辿り着く。安くてもそれなりの質のものが揃うと、この前ダカントラが新米の傭兵に勧めていた店だ。
通りと店の名前を覚えていて助かった。
「……で、何でここに」
店前で立ち止まると、以外にも先に質問してきたのは眇目だった。
眇目の顔を見上げ、それから、以前会ったときには確かに携行していたはずの武器の影がないのを、チラと確認して答える。
「う……。い、一応きみ、護衛って名目でここに居るだろう……? ソルスガさまは『倒さなくても良い』とは言ってたし、危ない場所まで近づく予定はないんだけど、やっぱり形式上、丸腰はちょっと……。小柄くんも同じさ」
「ふーん……? ぜんぜん信用されなくてご主人サマから持ち武器没収されちゃったこの僕に、改めて武器をくれようとするわけ?」
腕組みして傾げた顔を屈め、卑屈に揶揄される。
すごーく遠回しに『武器持たせて後ろから刺されても良いんだな?』と脅されているように聞こえたが、
「わ、ワタシには傷ひとつ付けない、んだろう……?」
思わず返すと彼は急に真顔になる。面白くなさそうに舌打ちひとつ。返す踵の後ろでは、長い尾がゆらゆら揺れていた。
「――んじゃ、暫定ご主人サマの寛大なお言葉に甘えますかねー?」
「え、ホントに?! じ、自分にまで買ってくれるんスか?! ありがとうございやす!」
「うん、もちろんさ」
ため息混じりに店戸に手を掛ける眇目。成り行きを見守っていたらしい小柄も、その返答にやにわに表情を明るくする。しかし嬉しそうに返ってくる笑顔にハッとして、ニカナグはとても大事な言葉を付け足した。
「あ、よ、予算!! ひとり七エラまでだからね……?!」
次の更新は 8月12日(水) 22:10~22:20の間くらい(手動更新)です。




