132.鎖と轍① -無頼の瞳-(下)
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言葉って怖い。勢いって……もっと怖い。
不安を押し殺すように、唇に人差し指の横腹を押し付けるクセが出てしまう。
……と、そのタイミングで、食堂の大きな扉がノックされた。
「あら? どうぞー?」
エニの返しに、『失礼いたします』という声と共に入ってきたのは、女中頭に連れられた眇目と小柄だった。
「……奥さま、ご要望通り、この二人にも食事を摂らせてきましたよ。それから、小柄ちゃんが何か話したいことがあるようで」「あらありがとう、何かしら」
しかし女中頭のリーダがそう口を開いたとたん、ダカントラはダン、と呑んでいた水盃を食卓に叩きつける。普段、物に当たることなど一切しないダカントラの怒りの噴出に、すぐ脇に立っていた女中とニカナグが揃ってびくんと目を丸くした。
早朝、用があってニカナグと一番先に顔を合わせた大叔母は、『経緯はどうあれ、こうなってしまった以上は迎え入れるべきだと思った』と賛同してくれていた。
だが大叔父は違うらしい。
『妻が擁護するからギリギリ殺しにかからないだけ』
傍目に見ても、そんな感情が滲んでいるのが丸判りな表情をして彼らを睨んでいる。
「……さて!」
そこへエニが、ぽん、と明るく軽く手を打ち合わせて立ち上がる。ただ歩き方が。やはりいつもより少し頼りない。
心配になって思わず〈魔法族の目〉で見つめれば、彼女の魔力はもう普段の半分以下に落ち込んでいた。
「エニちゃん、あまり無理は……」
仲を取り持ってくれるのは嬉しいが、朝から迷惑は十分かけてしまっている。しかしその声は、振り向いた微笑みに制されてしまった。
一方、突然背筋を伸ばして近づいてきたこの家の女主人に、特に眇目は戸惑っている様子だった。
けれど、エニが一五〇センチもない背丈から『食事はお口に合ったかしら?』などと気さくに会話を始めると、彼女に近い側に立っていた小柄のほうが応対し始める。
『寝床にご飯まで貰えるとは思わなかった』『木の実の入ったパンが美味しかった』『トラ夫人はとても優しい』『この家で飼われたら幸せだったかも』
おべっかなのかも知れないが、そんなことを嬉しそうに笑顔でぺらぺらと喋っている。
あらあら、良いのよそんなに気を遣わなくても、と、頬に手を添えて微笑むエニ。
「それよりアナタ、字が読めないこと気にしてたけど……、良かったら勉強してみる?」
「おわ?! そんな、い、いいんスか?!」
「ええ、カナイナちゃんの助手をしてくれるなら、その方がきっといいとおもいますの」
「と、トラ夫人……」
感動した様子でエニを見つめる小柄だが、二人ともそれなりに小さいため、互いに言葉を交わす様子はどこかしら童話的だ。
「助手としてお役に立てるなら、自分、頑張るッス!」
その雰囲気には、いくぶんか部屋の空気が持ち直した。
――だがそこで、小ジワの寄る叔母の目尻が隣の眇目に向けられると、事情は一気に変わってくる。
「ところで自己紹介が遅れてしまったわね。私はエニ・トラと言います。……眇目さん、といったわねえ」
「は? なに?」
刃のような返しだった。
瞬間、ニカナグの斜め後ろからは収まったように見えた怒気が再び放たれ出す。予定外の返答だったのか、横の小柄も、目に見えて焦りだしていた。
(い、いけない、刃傷沙汰になりかねない……!)
ニカナグは気が気でなくなり、思わず大叔母の隣に駆け寄っていく。
「え、エニちゃん、大丈夫、です! あとはワタシが……!」
肩に手を置くも、エニは全く意に介さない。そのまま優しい笑みを崩さず、眇目をまっすぐ瞳に映して続ける。
「貴方、昨日はずいぶん大変だったわねえ。痛かったでしょう。頑張って繋げたつもりだけど、体と腕の調子はもう大丈夫かしら?」
「は? さっきから何なのさアンタ、」
「ああ、それに、リーダから聞いたけど、何かご用があるそうね……。何かしら? 必要なものがあれば、用意しましてよ」
凛々しく芯を通しながらも、優しい声と笑顔だった。ニカナグは、彼女のその強さに思わず見とれる。
すると眇目は、ポカンと開いていた口元を急にニヤリと歪め、下卑た笑みで首をかしげる。
「――治療していただいたことには感謝します。ですがー、」
ニカナグは、その猫を撫でるような声と話し言葉の不均衡さに、吸い寄せられるように顔をあげた。
すると彼は動くようになった左腕を胸の前に掲げ、ぐー、ぱーと握る動作をわざとらしく繰り返しながら続ける。
「――ー僕さぁ、一応戦えるけど、この感じまだ本調子じゃないんだよねー。……だから『道具』がまともに使えるようになって安心してるかもだけど、あんまり期待しないでね?」
そこで眇目は強い調子で真っ直ぐに、ニカナグへと目線をずらしてきた。その声はいつの間にか威嚇するように低く、驚くほど卑屈なものにすり変わっている。
(道具、って……)
思わず、黒い尖り耳がスンと下がる。
どんな扱われ方をしてきたらそこまでひねくれるのだろう。戸惑いながらも息を呑み、気付けば考えるより先に声を上げていた。
「そ、そんなつもりじゃ! なくて、その……、死んで欲しくなかったからそうしただけだ! だ、だから、叔母さんにお願いして……」
「なに? 僕に恩でも売るつもり? お人好しすぎない? それとも、哀れな道具に優しくして、気持ちよくなりたいの? ……ああ、でも、そうだな~……――」
途端、ニカナグに向けてヘラヘラと、鋭い刃のように目を細めて見せる眇目。
「――キミは知らないと思うけど、僕さー、嫌がる女の方が好きなんだよね? ……腕治ったし、組み敷いてあげようか? カ ナ イ ナ ち ゃ ん?」
瞬間、誰もなにも言わなかったのは、あまりの無礼さに一同が言葉を失っていたからだ。
しかしその半瞬後には、眇目の横面には、いつの間にか傍らにきた、人族の太くて毛深い腕が拳を叩き込んでいた。
鈍い音が響き、卑屈な瞳はされるがまま、目の前のダカントラを見つめる。しかし二発目の殴打は、間に割って入ったニカナグと、それを見て加勢に入る小柄、更には後ろから彼の服の裾を引く妻によって何とか押さえ込まれていた。
「お、叔父さん、お願い、抑えて! わ、ワタシは大丈夫だから!」
ニカナグは、ハナトを助けたい。
そのためには、この男にここで退場して貰っては困るのだ。イチヘイ達との再会まで、今日を入れて残り三日しかない。ニカナグはどうにかしてこの偏屈な眇目と打ち解け、ハナトの呪いを解いて貰わなければならないのだ。
「昨日、二人にワタシが聞かせたことっ……わがままなのは、わかってるけど!」
「す、すいやせん! ホントにすいやせん! オレからも謝るッス!」
三方から押さえ込まれたダカントラは、姪孫と小柄の言葉、それから最後に無言で裾を引く連れ合いと目を合わせた後、ようやく拳を下ろした。しかし憤怒の形相は崩さず、眇目を睨み続ける。
「――この、クソダラ!! 黙って聞いてりゃあな?! カナイナちゃんを想うウチの奥にもここまでさせといて、手前は礼の代わりにこの子を侮辱しおるんか?!」
「旦那様のお怒りはご最もっス! 本当に申し訳ございません!! お許しください!!」
すかさずダカントラの目前で、平伏を始めたのは小柄だ。
「……ほらッ! 眇目センパイも謝ってくださいよっ! お詫びとお礼言いに行こうって言ったじゃないッスか!!
それ、に、そうしないと自分ら、は……」
促すその先は、途切れて言葉にされなかった。
しかしその小柄の言葉は、さすがに眇目にも効いたようである。渋々と言った様子で彼の隣に膝をつき、恭順の礼で深々と長い耳と頭を垂れだす。
「……過ぎた真似をしました。申し訳ございませんでした」
刹那、大叔父の厳つい顔立ちの中で瞳が揺れ、ニカナグの顔まで動いて留まる。彼にも昨日のあの後、結局、どういう目的でニカナグがこのくずウサギを護衛の役に抜擢したのかは話したのだ。
話さないと、あの暴挙は納得して貰えなかった。
やがて荒々しい舌打ちが一発、部屋に響く。
「……いくぞ、エニ」「あなた……」「お前は、もう休め。こんな恩知らずのクズのために無理をさせた」
短い夫婦の会話のあと、ばっと振り返った大叔父は、未だ跪いたままの眇目へ刃物のように人差し指を突きつけ、
「お前のようなクズの顔、見たくないから己は行くがな!
飯と寝床! うちの奥が目をかけてる分は相応に働け! それからうちの連中になんかしたら、例えこの子が許しても俺はただじゃおかんぞ!?」
そうしてふらつく足取りのエニを伴い、乱暴に閉まる扉の向こうへ消えた。固まるニカナグと、狗二人。
(よ、よかった……)
けれども、どうにかこの場は収まった。知らずホッと胸を撫で下ろしてしまった所に、同じく安堵のため息を吐きながら、
「はあーー! こ、殺されるかと思ったっス……」
と小柄が立ち上がってくる。
しかしそんな彼の声に紛れるように、隣の眇目が
「チッ」
と微かに舌打ちをするのをニカナグは確実に耳に入れてしまった。同時に目が合った小柄とは安堵を交えて微笑み合いながらも、
(や。やっぱり無理なきがするうう……?!)
ニカナグは、内心で大いに頭を抱えていた。




