131.渦⑩ -渦芯-(上)
読了目安→4~6分
―~**✹**~―
夕日は沈み、部屋には夜が満ちていた。
そこそこに広いが縦に長い執務室で、魔石灯を頼りにあり余る仕事を片付けていると、「戻りました」という声が扉の隙間からソルスガの耳に入る。入室を許可した。
「ご苦労。……『取りこぼし』はうまく拾えたのかい、アナイ」
すると、矍鑠と動く口ひげの側近はため息と共にソルスガに向かって目を細める。
やっぱり不機嫌そうだが、ソルスガはこれくらいの無礼、使用人のなかでは彼に限り容認していた。そうでもしないと、普段ソルスガのワガママ放題に付き合わせている彼の精神が磨り減ってしまう。
「……ご命じになられた件ですが、あの詐欺師の小娘に処分を阻止されました」
「うん? どう言うことだ? もしかしてそれはニカナグ女史のことを言っているのか?」
ソルスガは目を丸くしながら先を促す。
その口火の切り方は、ソルスガがこれまで幾度となく聞いてきた『おつかい』の結果の中で、かなり珍しい種類のものとなる。
興味津々で先を促すと、思っていた以上に愉快な経緯が語られた。
この口ひげの側近がその時どんな表情をしていたか、つぶさにわかるソルスガは、笑みをこらえながらクスクスと返してやる。
「……苦労をかけるな。……しかし、ふふっ、私も、ここでニカナグ女史が絡むとは思わなかった。どこまで『気付かれた』かわからないが、後で侍女にでも書簡を届けさせるから、アナイはこの件から手を退いてくれ。……次、貴殿が行けば、彼女は泡を吹いて倒れてしまいそうだからな」
彼はアナイとは親子ほど年が離れているが、幼少の頃から本当に……君主と臣下という枠すら越えて本当に世話になってきた。
ソルスガの目指す『改革』は、やり口が時に強引である。しかしそれをアナイと彼の有能な部下たちが、常に美しく収めてくれるのだ。
いい臣下に恵まれたと、ソルスガは思っている。
「まったく、アナイめをこのような雑用にこき使うのは、ソルスガ坊っちゃんくらいのもので――――」
するとアナイは小さい頃からよく見てきたしかめ面で、またぐちぐちと文句を垂れ始めた。
……いや、しかし付き合いの長いお陰で、ソルスガはその気になれば、この鉄面皮の説教をどこ吹く風にするのも得意なのだ。
またはじまったいつもの話を「うん。うん。その通りだ」と聞き流しながら、今日、アナイ直属の"影"から届いた新しい報告書を読む。
お大師さまの家で"群れ"の狗たちが無礼を働いてから、ソルスガはずっと、ハナトを買おうとしていたハウ=アザラという男、それから狗たちの動向を監視させていた。
眇目の処刑も本来、彼らの『処分』における最初の狼煙のはずだった、結果は意外だったが。
……しかし、それを差し置いてもこの報告は、思ったよりも大事になってしまったかもしれない。報告書のつづきに目を落とす。
〈"群れ"との癒着が疑われ、若旦那様から調査をご命じ頂いたハウ=アザラですが、若旦那さまのお見立て通り、ペリタ新皇国・軍部で平の文官をしている者でした。〉
ページはそこで次に移る。ペラリとめくる。
〈ただ、問題と思われるのは、ここ数日、そのハウ=アザラと合流し、たびたび会合を重ねている男が、ペリタ新皇軍部の中でも、かなり呼び声の高い大物ということで……〉
――それを読んだ瞬間、ソルスガの眉間には皺が寄った。まだかろうじて耳の端に捉えていたアナイの声が一気に遠退いていく。
ページの間に挟まっていたメモ紙に目を移すと、その人物の似顔絵と詳細な経歴が記されていた。必要な部分だけ読み流す。
ヤザヘ・フロリ少佐。魔法族。階級は少佐だが、ペリタ新皇国軍部の上層とは繋がりが深く、30手前にして、近々昇格もあると噂されている。
……ペリタ新興国の軍部上層。
これは、たしかに問題、いや、かなり厄介だ。
本文に目を戻すと、注釈に〈ハウ=アザラの身元は、フロリ少佐繋がりで確定した〉とある。
つまり、ハナトを買えと指示を出していたのはこの男だったのかもしれない。あるいは、このフロリ少佐という男そのものが、軍部上層の意向でハナトを買おうとしていた疑いすら出てくる。
七日前、お大師さまの家で、奴隷に堕とされた〈稀人〉の子をどちらが買うか……。お大師さまの弟子たちと争い合って、結局は負けてしまったハウ=アザラが、勝負のついたあとも強気だった理由がここに透けて見えてくる。
とにかくは、さらに読み進める。
〈――また、この二人はいまだに時折、"群れ"で頭目を務める最年長の狗、五分との接触を続けている様子で――〉
刹那、浅く吸った息を彼は止めた。
(ハウ=アザラはハナト嬢の件、本当にまだ諦めていないのかも知れないな……?)
関わったところで得られる利点などない中、いまだに持たざる狗どもと関わりを絶たない理由なんてそれ位しか思い付かない。
組織的に自軍を他国の領内に送り込んでいるとバレれば角が立つ。本来は縁もゆかりもない兆嘴の"狗"を、体の良い駒にしようとしているとしか思えない。
一方で、なんのために、かまではまだ分からない。ただ、これがあの子が『〈稀人〉だから珍しい』の域を越えていることだけは確かだった。四日後にはハナト嬢が、イチヘイたちと屋敷を訪れる。その時、探ってみる必要はあるかもしれない。
「――おお、ソルスガ坊っちゃん」
しかし驚いた時の癖で、口がパカリと半開きになる様は、机の向かいに立つ側近にバッチリ見られていた。
「――この老いぼれの小言、聞いておりますかな、ソルスガ坊っちゃん」
「あ! ああ、もちろん、聞いているとも!」
一瞬、信用していない顔をされたが、気にせず手招きして傍らまで呼ぶ。そして静かに、その紙束を彼の前に突き出した。
口ひげの側近が老眼用の虫眼鏡を取り出し、静かに文書を読み込む静寂に、ソルスガは自身の所感をあれこれと割り込ませる。
「……で、どう思う、アナイ」
「ほぼ坊っちゃんと同感でございますな。強いて言うならば……――」「言うなら、なんだ?」
「――こんな場所にまで若い女連れなどとは、フロリという男は大層な軟派者だなと。しかも女も、顔が瓜二つということは、双子? の姉妹ですか? ……同じ花を両手に抱えて、良い趣味でございますね」
どこか軽蔑するような厳めしい視線が、細目で軽薄そうな顔立ちをした少佐の映し絵に落ちる。
「ああ、はは、そんなことも書いてあったな。アナイはいつも、そんな細かい事ばかり気にしてくれる」「性分ですので」
エナタル領地が与するこの〈ノエザ王国〉は、国同士は遥か遠く、接しはしないものの、一応ペリタ新皇国との国交も持つ。うちの領地とノエザ王室の縁は深いが、あることないことでペリタから王室側に訴え出られると、多少面倒なことになるかも知れない。
すると、同じことを思っていたらしいアナイが問いかけてくる。
「坊っちゃん、あの〈稀人〉の娘、面倒な事になる前に、ペリタ軍部に引き渡してしまった方が良いのでは?」
「ふむ?」
ソルスガはその言葉に、軽く頬杖をついた。
側近の言いたいことは、一応は彼も理解できる。これが定石だったのなら、きっとソルスガもその道を選んだのだろう。




