129.掬いの手⑤ -対峙せよ-
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この部屋は玄関のすぐ脇にあるため、廊下で人が話し出せば、内容は聞き取りきれずとも声は聞こえる。
ダカントラが玄関ホールでピリついて何か話しだすのも、それにアナイが冷静に答えるのもぼんやりと部屋に響きだした。
すると珍しく真剣な顔で、エニが唇の前に指を立てる。
「……ニカナグさんは分かっていると思いますけれど、小柄ちゃんがわたくし達に話したことは、アナイさんには内緒ですからね?」
ニカナグはそれに、とても小刻みな首肯で応じた。それに一つ頷きを返す大叔母は凛と背筋を伸ばして立ち上がる。
「良い子ね。アナイさんは応接間にお通しするから、貴女たちはいらっしゃってもいらっしゃらなくても良いけれど……、二人ともそれだけは守るのよ?」
そう言い残して部屋を出る。
扉の開いて閉じる一瞬、鮮明に聞こえたやり取りが、
「――貴様、うちの大事な『客』によくも……!」
「おお、それは我が主のご意向に、何かご不満がおありと受け取ってよろしいですかな――」
パタン。
早速、一触即発である。あれは確かに、大叔母が出ていく理由も分かる。
「や、やっぱり警護長が来たッス……!」
するとアナイの声を聞いたせいだろう、顔面蒼白になった小柄が両頬を手で挟みだした。しかし、ニカナグはその口ぶりが大いに引っ掛かる。
「……ん? 待って? 『やっぱり』って、どういうこと……?」
「も、申し訳ありませんッス、姐さん!」
とたん、ニカナグはまた立ち上がって謝罪を始めそうな彼の肩を、アワアワと押えることになる。……ちょっとこの少年の御し方が分かってきた気がした。
しかし曲がりなりにもドアの向こうにアナイがいるため、小声で先を促す。
「い、いいから。大丈夫だから。そ、それで?」
「さっきここに来る前、お屋敷の中庭で警護長の影の人が『仕損じた』って、言ってたッス……」
「う、うん。見てしまった、よね、二人で」
すると彼も声の震えに動揺を潜めつつ、小声で返してくる。
「警護長がここにいるのは、カナイナ姐さんと二人で、センパイをこのお屋敷に運び込むまでに、鬼目立ちしちゃったせいに違いないと思ってるッス」
曰く、エニが眇目の身体に残った傷口の話をしだした時、小柄もようやく点と点を繋げて、事態の深刻さに気付いたらしい。
確かにあの路地裏を抜けた後、魔石灯の点る大通りを、しかも仕事上がりの人足や旅人たちが行き交うなかを、血まみれの眇目を引きずって来てしまった。どうみても異様な光景だったと思う。
「アレが……お屋敷でのあの話がセンパイのことだって気付いてたら、自分……、このお宅までの道にあんな目立つ場所は通らなかったッス……。せっかく姐さんのおかげで命が助かったのに……センパイ、今度こそ殺されてしまう……」
しかし、ここまで取り乱す様子を見ているとさすがにニカナグも気になってしまう。
「小柄くん、その……、どうして君は、そこまでして眇目を庇――?」
その時である。
「おい、そこじゃない!」ダカントラの叫びがくぐもって響き、同時にカチャリと、静かに部屋の出入口が開いた。
――銀のドアノブを掴むのは、骨ばって年季の入った男の手。
「……そうかチビ狗、やはりお前だったのだな? あのクズをここに匿わせたのは」
直後、二人は固まった。
静かにそう問いかけたのは、兆嘴商会の現・番頭にして、ソルスガの身辺警護長であるアナイ・ハリバその人でしかない。
引き結んだ唇は、他人の媚びも諂いもなに一つ通らぬ鎧のようである。これの笑う瞬間が、ニカナグには想像もつかない。
「先ほどぶりですな、ゲライゼ女史。
……どうして会話の内容が聴こえたのか? と思われているのが顔に出ているが、我は、我が主ほど優しくない。ご想像にお任せする」
絞られた瞳孔でニカナグをにらみ、感情を家に忘れて来たような冷徹さで語る。それから彼の視線はスッと、脇の小柄へ滑った。刃のようだった。
「さて、この家には眇目がいるな? 前もって言うが、嘘はためにならんぞ。目撃者はいくらでもいるのでな。……事情を聞こうか。狗畜生」
その瞬間、ニカナグの中では焦りのような怒りのよう何かがざわりと駆け巡っていた。偽物の毛並みが、その思いに呼応して肌の上で逆立つ。
いけない。だめだ。後がないのは、小柄も同じだ。この口ひげの男は、彼の細かい思いまでを慮ってくれるようにはとても思えない。これをアナイが『粗相』と捉えたら、眇目だけではない、下手すれば小柄も……。
「――おい、何の話か分からんが兆嘴の番頭さんよ、あんたは案内されもしない、人ん家の部屋を勝手に覗くような礼儀知らずなのか」
アナイの脇から出てきたダカントラが腕を差し入れ、客の無礼を非難しだしているが、そんなものも目に入らない。
「――ま、待ってくれ!! ワタシが! ワタシが彼にお願いしたんだ!」
気付いたら立ち上がっていた。一瞬立ちくらんだが、大丈夫だ。もう歩ける。
心配そうに支えてくれる小柄の手を振り切り、ニカナグはアナイの前に立ちはだかった。
「おい、ニ……カナイナちゃん?」
「あ、姐さん……?」
当惑と緊迫が場に混じり合う。
しかしニカナグもそれなりに小柄な体格なため、気迫があるとはあまり言えない。証拠にアナイも、自分に突っ込んでくる絹綿兎を見る山狼のような表情で彼女を睥睨している。
「何か……?」
しかしここまで来てしまえば、彼女だって一歩も退けなかった。




