126.掬いの手② -狗-
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血まみれの来訪者を目にした邸の一同は、下働きを含めてにわかに大騒ぎとなった。
住み込みの女中たちは、それぞれに湯を沸かし、寝床を整えて怪我人を寝かせ、古布をかき集めるために奔走する。
残る下男一人は『医者を呼んできて』と青ざめたエニから指示を受けて飛び出していった。
それを玄関ホールで見送り、エニとダカントラが壁際でへばっているニカナグを振り返る。二人とも真剣な顔だった。
「どういうこと……? カナイナちゃん」
「そうだぞ、いきなり訳もわからず連れ去られて、エニと二人で心配したんだぞ! それが帰ってきてみればお前……、女中頭が血相変えておれの部屋に飛び込んできて、
『カナイナさんが血まみれの商会の狗を、知らない男の子と二人で引きずって来たんですぅ!』
て具合に報告してきたんだぞ?」
この家の使用人は主人と距離が近い。微妙に女中頭に寄せた声音と仕草まで交え、ダカントラが問いかけてきて……――、いや違う、ニカナグが気にしたかったのはそこじゃない。
「……なん、で、あの人が"群れ"の奴隷だってわかったんですか?」
「そりゃ、あの眼帯だろがよ? 普通の人間でもありゃあ目立つぞ? 街の通りで何度か見かけたことはある。
それで兆嘴商会の徽章も首に提げてりゃあな……?
新参や通りすがりの旅人はわからんだろうが、都市に昔っから住んでる連中はだいたい、徽章が付いてる人間はあそこで飼ってる奴隷私兵だって知ってるな。……そうだよな、エニ」
「そうねえ、あなた。この街って人の出入りが激しいですからね。若い人ほど知らないと思うわ」
話を受けて、エニがニカナグの方を向いた。ただ、その声はいつもより一段低い。
「……でもね、カナイナちゃん。あの子、うちのお得意さまが子飼いにしてる奴隷だし、真偽も曖昧だからあまり話題にしたくはないのだけれど……――、ここ一、二年は、もう一人いる、片耳と尾が半分ずつしかない耳長族の狗とまとめて、良くない噂も聞いたこともあるのよ……。人を殺してる、とか」
「そう、なのかい……」
先日、『ご主人様に目を付けられている』と語っていた、路地裏での、あの一瞬。
喉の呪いだけではない、ハナトの体にもあった、虐待痕。
森の家での眇目は、笑いながらイチヘイに、フィーを自分が殺すか、彼が殺すか選ばせようとしていた。
大叔母は、「けれどねえ、さすがにあの領主さまの、あのご子息が飼われてる奴隷にそんなこと、根も葉もないわよねえ」と締め括るが、ニカナグは言葉に詰まっていた。
その間にエニは頬に手を当てて、心配そうにニカナグを覗き込んでいる。と、横から、またダカントラが口を開いた。
「しかもだ……、お前さんもそこの少年も血で服が汚れてるじゃねえかよ? ホンットに自分の血じゃないんだな? アイツに何もされてないな?!」
「だ、大丈夫です、ダカントラ叔父さん、怪我は何もしてないですから……」
答えても、まだ疑わしそうな目を向けられる。だが、そこでダカントラの関心は、ニカナグの脇に姿勢よく直立している彼に向いた。
血まみれだった小柄は、今は一時的に下男の服を借りているが、ぶかぶかの裾を折り返しているせいで見た目以上に幼く見える。
夫婦は名乗りが遅れたことを礼儀正しく少年に詫びて、それぞれ自己紹介した。 それから問うた。
「……で、あんた名前は?」
すると痩せた肩は軽快に弾んだ。
「ハッ! こんな自分にご丁寧にありがとうございますッス! 小柄と言います! あと狗ッス!」
「小柄? お前さん、そりゃあだ名か……って?! 狗だとっ……?!」
「……ッス………」
申し訳なさそうに頷きながら、彼もまた、交差する鷹頭と鴎頭の紋章を首もとから引っ張り出してくる。
「も、申し訳ありませんっス……」
「いや、お前は謝るな、小柄よ」
だが萎縮しだす小柄にそう言いおいて、ダカントラの視線は再びニカナグに戻ってくる。その顔は、まるで子が承諾もなく捨て猫を拾って部屋に隠しているのを見つけた親のようであった。
「おいカナイナちゃん、お前なーあ?!」
となりのエニが、「あなた……」と服の裾をつまんで制止に入るが、それも振り切った大きい腕に肩を揺り動かされる。
「おれの血縁ではないからちっとは遠慮してたが、アナイさんに連れられて行ったとおもったら、今度は狗二匹と帰宅とは、いったいどういう状況なんだこれは??
ちゃんと説明してくれ! おじさんだって心配してんだぞ……!?」
「あはばばばそれはその……」
話さなきゃいけないことはたくさんあると、ニカナグとて分かっている。しかし、今の彼女はヘロヘロである。
普段使わない魔力をギリギリまで使った上に、普段担がない重さをあの路地裏からここまで運んできたのだから無理もない。
なんならさっきから玄関ホール脇の箱イスに倒れ、ずっとへちょりと脱力した状態で会話をしている。ここに座る前にした着替えだって、女中に手伝って貰ってどうにか出来た程度だったのだ。
「ねえ、カナイナちゃん、本当に大丈夫なの……?」
「うう、明日は身体中痛いかも……」
「あっ、あの……!」
すると、きっとその様子から察したのだろう。変声期直後の、まだそこはかとなく掠れた声が玄関ホールに響いた。
「カナイナ姐さんはお疲れのようっスし、自分から説明しても良いっスか! 自分も姐さんが、ご主人さまと話し始める辺りから話は聞いてたっス! 話せるっス!」
大叔母夫婦は顔を見合わせるも、やはり彼の人懐っこさは武器になるらしい。そのまま初対面の彼の説明に、二人は耳を傾けだした。
斯々然々。
まあ時々、彼の理解が足りないところは横からニカナグが補足したが、それでもとりあえず、他言無用と言われたアナイと部下たちのやり取り、やはりどう話していいのか戸惑う花登の呪い周りのアレコレ以外は、ほぼすべて話し終えた。
ヘロヘロだったので随分助かった。
「――と、いうことで、小柄くんをしばらく家においてくだ、ひゃい……」
とたん、憂いのにおいがする深いため息と共に、ダカントラは顔を覆った両手の指先で目の回りを揉み始めた。




