123.渦⑧ -飴と鎖-
読了目安→5~8分
◆
「お帰りはこちらです、ご案内いたします」
慇懃な礼をして、玄関までの道のりを先導し始めたアナイの背を、ニカナグは追う。じっと見つめるも、やはりこちらから話しかけるのを許すような雰囲気はない。
やっぱり嫌われている。
だがここまでのアナイの言動や自分の罪人としての立場を思うと、それも仕方のないことなのかもしれない、と、彼女は渡り廊下から見える広い庭と池に目を移した。
暗い緑をした庭木の梢、二階のテラスに、先ほどまで自分たちのいた客間の天井が見える。
――『さて、私がニカナグ女史に、あの異状体の妖獣を調べて欲しいとお願いしたのは、第一に、領内の平穏を守りたい、という思いからなのは確かだ』
ニカナグは思い出す。あの瞬間の室内は、熱に浮かされたように語り出したソルスガの空気に完全に呑まれていた。
『――……ただ私は同時に、今この時、魔石具の類いについても大きな関心を寄せていてね!』
言いながら、一段高い段の上、置かれた円座から立ち上がる。それから小柄とニカナグの間へ、ソルスガはゆったりとした足取りで割り込んできた。
彼は、長い脚が接近した途端に萎縮して、足元に丸くなりだす少年を見下ろす。
『さて。狗のお前にも、私から直々に今回の任務の意義を教えてやろう。……ニカナグ女史、少しいいか?』
言って、どこか演技めいてこちらに差し出される手。目線は、ニカナグが膝にのせた核を要求している。
『へっ? あっ、はい!』
灰色をした硝子質の塊を受け取ると、ソルスガは笑顔で、それを目の高さに掲げた。蜂蜜色の日差しに透ける核は濁って淀んだまま、歩み出した彼の手の中で鈍く光る。
『ニカナグ女史。今、この世界で最も使いやすく価値のある労働力とは……、一体何だと思う?』
『え……?』
しかしその問いに、答えは必要とされていなかった。それこそ、舞台に上がった役者のような独白めいて、ソルスガはさらに言葉を続ける。
『――そう、奴隷だ。重い荷を運び、畑を耕し、主人のために家を整え、剣も取る。
他の家畜も貴重だが、言葉が通じ、肉体労働であれば多少細かい仕事でも遂行してくれるのも良い。素晴らしいものだ』
そう語って、彼の視線は背後の二人へと戻る。
『……だが、奴隷は食事を必要とする。病気もすれば、死にもする。一人、奴隷を買うのにも、たとえ未だまともに働けぬ子供の働き手とて、一般市民では二の足を踏むほどには値が張る。それに――』
そこで急に一段下がる声には、押し当てる刃のような鋭さがあった。二人の間へと戻った彼は明確に、小柄を見据えていた。
『――主人の目が行き届かねば悪さもする』
主の足元で、僅かに彼の肩が震えた。
『まあ、お前は、今回は私自ら、特別に目をかけてやってはいるがね。そうだろう小柄?』
名を呼ばれ、さらにもう一つ、小柄の肩が跳ねた。名前通りの小さい身体でますます深く恭順の姿勢をとりながら、彼は声を押し殺して返す。
『……挽回の、機会を貰えて……、寛大なご配慮に自分、身が震える思いッス……ご主人……』
『ははははっ! そんなに畏まらなくて良いんだよ……』
喉をあげて笑いながら、一歩歩み寄る彼。
『私の預かり知らぬところで、奴隷堕としを禁じられた種族に焼き印を押しては好き勝手に売り払い、弄び、〈稀人〉の子までをその手で貶め、商会の看板を汚したその汚名、――……お前には他の奴らと違って、灌ぐ気がちゃんとあるのは分かっているからね?』
ソルスガは、まるで親しい友人の失敗を許すように、小柄の肩にそっと手を置く。
しかしその手が滑ると、彼の華奢な指は小柄の首に下げられた鷹と鴎の紋章を掬い上げる。連なる鎖が、軽く引かれた。
『もっ、勿論っス……!』
そこに応える声は、小刻みに震えている。その様子を一時じっと眺めるソルスガ。
『……信頼しているよ』
そう、言い置いて、チャリ、と静かに鎖の落ちる音が響いた。
『ふふふ。まあ、そう言うわけで維持費も、何かあったときの処理もバカにならないのだ、ニカナグ女史……』
彼は手の中の核を玩びながら、上座の段上へと戻っていく。
(しょ、処理?)
呆気にとられて今の光景を見つめたニカナグは、その言い方に微妙な引っ掛かりを覚えた。吸い寄せられるようにその足取りを追う。一方、視線の先では、不合理さを笑う純粋な少年のように銀鼠の目がクスクスと細まっていく。
『故に私はこの奴隷制度というものが、生産性の足を引っ張っているように思えて、面倒でたまらない。……ところでだ、ニカナグ女史』
『は、はひ!?』
同時、ソルスガの視線が、平伏する小柄の後頭部に、そして思わず彼を見上げてしまったニカナグの瞳に向けて微笑む。
『……現状、巷に出回っている『魔石具』という道具はどのようなものであるのか。そこの狗にも分かるように説明して貰えるかな?』
『は、え、はい……?』
意味が繋がらないが、しかし好きなことを話すのは嫌いではない。すると小柄と言う名らしい少年も、跪いたまま顔だけを彼女に向けて、聞く姿勢を取ってくれた。
『魔石具は、魔石にためた魔力を用いて、魔力を持たない人間にも扱えるよう作られた道具で……』
だから声は微かに震えても、言葉自体は止まらなかった。
『ここ数年の間には、良く灯火に使われているのだけは目にするように、なってきました。
でも伝統的には、魔石具は魔法使いたちがおのおの自前で発明・開発した道具を、時折富裕層に向けて売る程度のものだったんです。一部、『音消し』など比較的に安価な例外もありますが』
そう話すニカナグも、魔石具はいくつも作ってきた。
『ただ、魔石とは別に道具の素体そのものも全て手作りとなるため、仕組みが複雑なものほど数も少なく、魔石へ溜められる魔力の量そのものも、石の素材や質に大きく左右されます。あっ、あと――!』
と、そこまで話す頃には、ニカナグの青い目は知らず輝きだしている。
彼女が獣人種であればそろそろ尻尾を振りだしていたかもしれない。一方の小柄は急にペラペラと始まった講釈の情報量が予想外だったのか、すでに面食らったような表情を彼女に向けていた。
『――あと、魔石は、妖獣の核からその灰色をした『穢れ』を抜き取って、浄化したものが現状、一番効率よく魔力を貯められる素材となるのですが、これを作るにもそれなりの技術が要ります、つまり、魔法が扱えるだけでは成立しない、職人たちの、完全オーダーメイドなんですよ! しかも、腕の良い作り手でなければ品質自体も安定しないんです! だから役には立ちますが数自体は少なく、その分高価な品で、時には、奴隷以上の値段がつくこともあるくらいには、』
『そうだ、もういいぞ。素晴らしい説明をありがとう!』
パン! と一つ、ソルスガの両手が鳴らす拍子が部屋中に響く。
『ふぇ!』
知らず『もうちょっと語りたかったのに』などと思っているニカナグを置き去りに、そのままソルスガは、まるでその言葉を引き継ぐように繋げた。
『……そのうえで。だ。
現状、魔石具は高価な上に弱いのが最大の弱点と言える。輓獣車を引いて動かせるような、強力で持続的な力は生み出せない。――だろう、女史?』
『はひ、そう、です……』
『まったく、このままでは宝の持ち腐れだな、アナイ?』
演技めいて、隣の側近にまで確認を取るソルスガ。するとずっと不機嫌そうに返していた彼だったのに、
『仰る通りでございます』
その問いにだけは、心から同意したような礼の姿勢を返した。
『――と、言うことでニカナグ女史! 私はな! アナイと二人、この大きさの魔石一つに〈雪分ケ〉百頭分の力を閉じ込められたら、と、ずっと考えてきたのだ。
そして、そのような魔石を安定した品質で量産し、それを動力源とした魔石具……いや、『魔石機関』を作れれば、その機関ただ一つで鉄の巨体に荷を運ばせ、畑を耕させ、もっと効率的に仕事をさせられるのではないか。
そんな想像をしてきた!』
アナイがするすると地図を巻き取っていく。その跡地を踏み締めながら、ソルスガが再び目前へ近づいてくる。
『それは、実現すれば人間が人間を飼う必要がなくなる、輝かしい世界の幕開けとなる。まさに革命だ』
なるほどそういうことか、とニカナグが見上げるなか、緩く腰を折って差し出してきた腕が、彼女の手にポンと核を渡してくる。
『……そう言うわけで、貴女を、その研究の責任者に任命したい。まずは、適格な魔石の、素材さがしが必要になるのではないか?』
銀鼠色の瞳は輝きながら、誰に向けるものか分からない――少なくとも、目前にいるニカナグすら突き抜けて透かすような憧憬の眼差しで、じっと問いかけてくる。
『だから、あの妖獣どもがなんなのか。どこから来ているのか。どうして巨大化しているのか。……さすがにこの核からすぐに量産まで行くとまでは考えてはいないが、まずはこれが、その礎の一歩となると私は考える。
私の描く未来のため、何より今の、このエナタル領に住まう民たちの安全と安寧のため……探ってきてくれないか』
ポン、と肩に置かれる手。そうして次に耳元に聞こえる声はとても情熱的で、遠回しに、かつ、これ以上なく的確な脅しを囁く。
『期待しているよ。貴女のこの先の安寧のためにも、大いに頑張ってくれ!』
『ひぇっ……――』
――「……どうされましたゲライゼ女史? はぐれず、ついてきて下さいませんと」
「ひえっ?! あっ、すみません、行きますから!」
どこが非難がましささえあるアナイの声に、ニカナグはビクリと震えた。
気づいたら立ち止まっていたらしい。
(――でも正直、あの時ほんの一瞬でも、『良い』と思ってしまった……)
呼び掛けに足を前へ出しながら、ニカナグはまた頭を抱える。




