122.渦⑦ -迷い-
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「――ワタシは元々、溜めておける〈河の力〉が少ないんです。軽度の治癒魔法など、単発のものであれば少々使用することができますが、継続的に魔力を使用するとなると、維持するだけですぐに持っていかれてしまいます」
それは生まれつきだった。魔力の量は後天的には伸ばせない。他の種族ならいざ知らず、魔法族の輪の中に暮らすと この程度の魔力は健常と見なされない。
しかし現実問題として、寝ても醒めても気を抜けない逃亡生活の中、自前の魔力でずっと姿を変え続けるのは、ニカナグには実現可能な選択肢とは言えなかった。
「ああ。そういう魔法使いは、無理をしすぎると魂の維持に必要な魔力まで使い切って死ぬのだろう」
「はい。正確には魂の器ごとヒビが入って、肉体ごと消える、と言われていますね……」
するとソルスガは手振りで、もう一度本題を振ってくる。
「では、その「カナイナ」の顔の魔法は?」
「これは、魔石具なので……――」
と、そこまで言いかけてからだ。ニカナグははたと、この道具については、その説明だけでは足りないような気がしてきてしまった。悪い癖である。
「――……いや? 正確には魔石具ではないんですよ……」
緊迫感のある空気のなかで、少しなめらかになる口。意外にもソルスガは、興味深そうに首をひねって問い返してきた。
「……ほう? というと?」
「魔石具という道具には、本来、魔法を使えば使い手から吸い出されてしまう分の『魔力』を、代わりに貯留している『魔石』が仕組みとして付属します。しかし、この首飾りには魔石にあたる、魔力の込められた石が付属しません。なのにこの道具はなぜか、使い手からも魔力を削らないんです!」
「ほうほう? 削らない……?」
ソルスガは思い切り眉を上げた。楽しそうに話を聞いてくれる。その様子は、ニカナグのオタク心を大いに刺激した。
「魔石もないのに、使用者の魔力も使わない……という認識で合っているか??」
「そうです! その通りです!
この首飾りは〈祭祀面〉と言います。
根本的な力の系統が魔法でも呪いでもなく、どうやら神力に頼っているらしい、という所までは突き止めています。ただ、今のところはワタシの知識を持ってしてもそれ以上は未知なんです!」
「ということはそれは、今のところは君にも理解の及ばない理屈で作られたものか?」
「そうです!」
力強く頷いた。楽しい。
「ならば、コレはあまり現実的ではないな……」
「? それはどういった意図でしょうか!」
一瞬漏れるように聞こえた言葉に、興味津々で問い返す。するとソルスガは呆気にとられたような間を置いて、すぐにからりと笑った。
「ははは、こんな状況なのに、魔法のこととなると本当に楽しそうに喋るな貴女は」
「はいっ! ――……ひぇっ?!」
気付いたら声を弾ませて話していたのだ。ハッと我に返るニカナグは、青い瞳を見開くのと同時に口を抑えた。
目の前には、なぜか満足げなソルスガの表情。
(ひいっ、ダメだいけない、いつもこうだ……?!)
「なるほどなるほど、報告通りの人だ……」
そうして返る言葉に、彼女は一瞬身構える。ただ、相手は何事もなかったかのように笑って頷くとまた一本、指を立てた。
「まあ、ではこのままもう一つも聞こう。
司書からも聞いたのだが、貴女はずっと『解呪』についての記載を探し回っていた。……どうしてそこまでして、その一点について調べ回っていたのだ?」
「…………あ、」
途端ニカナグは、今度は堰が落ちたように答えあぐねてしまう。
(――言いたくない、な)
解呪の本を探す理由。ハナトの喉のこと。言えば彼は、確実に力を貸してくれる予感はする。
しかしこの男は、眇目たちの主でもある。
まず、そこまでの助けを借りるのか?
ハナトが眇目に抱く恐怖の度合いも、きっとニカナグと比べるべくもない。森の家で、ハナトはずっと、群れの中でも眇目、鱗、爺あたりに強い怯えと警戒の視線を向けていた。
あの子に眇目を会わせても、大丈夫なのだろうか?
いや? その前に、
(――……あれ? もしソルスガ様に助力を求めたら、ハナトくんはもちろん、フィーくんやイチヘイくんまでをワタシと同じ、『こちら側』に引き込むことになるんじゃない……の、かな……?)
横で見ていたニカナグからしてみても、ソルスガはイチヘイたちを妙に気に入っているように思えた。
そしてあの場では雑な扱いをされた当のニカナグですら、最終的にはソルスガの印象に残ってしまったのか運の尽き――、としか言いようがない。
不用意に繋がりを強めてしまったら、彼らも何らかの方法で、ニカナグと同じ末路を辿りはしないだろうか。
思い至った瞬間、ざわ、と顔から血の気が引くのを感じて声を上げていた。だってそうなったときの責任なんて、ニカナグが引き受けられるとは思えない。
「……ま、また、機会があればお話させてくだひゃい……!」
「そうか」
すると本当に、それ以上の追求はされなかった。
よかった。
こちらの件は、まだ自分で何とかしてみせよう。
「では、今度は、私がニカナグ女史にしてもらいたい仕事の内容を詳細に説明しよう。その説明が終わったら解散だ」
ニカナグはほっとしながら頷く。
契約の内容を部外者に語ることは、保安上の理由としてかたく聖宣で守秘義務が課せられたが、大叔母夫妻だけは例外とされた。
……ならエニとダカントラに、話せる範囲で相談してみてからでも良い、のではないか。
「――ああ、そうだ」
と、ニカナグがそんなことを考えている間に、ソルスガは上品に揃えた両手を、軽く音を立てながら握り合わせる。
「――その前に、ニカナグ女史に付ける予定のものをここに呼んでもかまわないか? 広い領内を手掛かりもなしに妖獣を追い回すのも大変だろう。彼はその点の能力には長けていてね、都市の道もどうやら熟知しているゆえ、いい案内役になるだろう。
いわば助手だ。顔合わせは早い方がいいだろう?」
「えっ? あっ、えっ?! はい?!」
(えっ、『彼』……? まってまって男の人? それにワタシ、そんな、いきなりそんな初対面のひとを従えて共同作業ってそんなの無理なんだけれどそんな!!)
心ではそう思うものの、知っている。拒否権などない。
返ってくる声には、爽やかな笑顔が添えられていた。
「了承してくれて嬉しいぞ! よし、少々待ってくれ、今呼ぶ。……アナイ」
「かしこまりました」
すると口ひげの側近が、四角い格子模様の入った長い上着の懐をまさぐる。出てきたのは、小指ほどの細さもない、木で出来た、
(……う? 黒い笛??)
観念して見つめた。特に何の変哲もない。すぐに鋭い響きが当たりの空気を震わせる。
「邸内は広いのでね。牧畜犬と同じだ、これで呼んだほうが早い。……少々待ってくれ、すぐ来るだろう」
「はい……」
(あ、もしかして、〈祭祀面〉をつけ直した方が良……)
「――お呼びですか、警護長、ご主人さま」
本当にすぐ来た。
手のひらに握りこんでいた瑠璃と玻璃の首飾りを広げた瞬間に、笛に応じたらしいその声が彼女の耳を打つ。十代前半くらいだろうか、声変わりしたてのような、若い声だった。
「お前に、仕事を命じる。 委細は今より話す。聞け、狗」
「はいッス」
手のひらを返したように重く変わるソルスガの口調、放たれる言葉。
被り損ねた。視線を、目前で揺れる首飾りの白い牙に縫いとめられたまま、彼女は思わず固まる。シーナバーナよりずっと垂れておとなしそうな三角の瞳で、そっとそちらを振り返った。
少年、と言って差し支えない年代の人族だ。しかしその年頃の人族にしても痩せて小柄である。顔立ちは十三、四歳くらいに見える。褪せた茶髪をうなじで無造作に結わえている。
ニカナグは、彼を見たことがあった。
なにせ森の家に、彼はいた。
彼は、イチヘイたちと眇目の争いが一段落したところにやって来た、ソルスガのお伴の中に混じっていた。いま思えば、他の狗に混じって、このアナイや護衛の物たちに無理やり連行されてきたのだ。
命じられて、無抵抗なハナトに手枷と首枷をつけ、『商談』をするソルスガとハウ=アザラの傍らで、影のようにハナトの鎖を握って立っていた。
確か、周りから呼ばれていた名前は。
「こが、ら?」
どうして初対面の相手が自分の名前を知るのか不思議だったのだろう。猫目の、純粋そうな瞳がほんの一瞬ニカナグに向いて、すぐに慌ただしく伏せられた。




