121.渦⑥ -覚悟-
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「いや、しかし先ほど話した通り、私は妖獣探しの適任者を見つけられたことを嬉しく思っているのだ」
けれどそんな最後の悪あがきも、この男は本当に満足そうに腕組みをしながら突き崩してくる。
「ニカナグ女史は、〈魔法族の眼〉が使えることで有名な研究者なのだろう? その魔力探知能力も相当なものと聞く。
私は先ほど、その核をここに持ち込んだ瞬間から、貴女の態度が変わったのを見て感銘を受けたのだ。
……本当に妖獣も含め、魔力のたぐいが視えているのだな? 素晴らしい……」
(……もしかして本当にはじめから全部、予定調和、だった……?)
彼女はゾクリと背筋が粟立つのを感じていた。それでも不気味なのは、そんな言葉尻に聞こえたため息にすら、ニカナグへの尊敬が込められているようにしか聞こえないことだった。
気さくだなどと、話が通じそうだなどと、とんだ思い違いをしていたと後悔する。
掴めない、などと生易しい言葉では足りない。
この男はきっと、権謀術数の化け物が、善良な支配者の皮を被った何かなのだ。
ともするとニカナグが大切な友人達を守るため、裏切って逃げてきたかつての居場所と同じ色彩を持つ世界の住人なのかもしれない。
「……要、求を、もし呑んだら、何もしないでいてくれますか……? ワタシにも……、大叔母たちにも……」
だからせめて震える声のまま口を開いた。全てバレているなら、もうなるべくこちらに有利な条件を引き出すしかない。
「おお? 話が早いな。ついに認めてくれるのだな」
するとソルスガは興奮気味に身を乗り出して、
「勿論だ、安心してくれ!」
と、大袈裟なくらいの頷きと共にバンと自身の胸に手を当てる。
「この事実は、まだ私の周囲の、ごく限られた者しか知らない。私は貴女の能力を純粋に買っていて、ただ用が済むまでうちの商会で働いてほしいと思っている。秘密を漏らさないことが対価となるならそうしよう。
……必要なら〈聖宣〉で、今後の君の扱いも含めて正式に雇用の契約をしても構わないぞ?」
するとすかさず、口ひげの側近から鋭く諫言が飛ぶ。
「若旦那さま、それは聞いておりません! さすがに、罪人の女一人にたいして過分でございますぞ?!」
「アナイ。信頼というのは、大事だろう?」
しかしやはり、主人が応じる気はなさそうだ。
……領主の息子に聖宣をもちかけられる。
この場面、七日前にも見た。まさか自分が当事者になろうとは、ニカナグも思っていなかったけれど。
ぽかんと見とれている間に、全く底の知れない銀鼠色の瞳は、更にニカナグにこう問いかけてくる。
「……ニカナグ女史。これまでの足取りから察するに、本来貴女はこの後、祖国とは国交のない隣国のスーラへ亡命するつもりだったのでは? きちんと働いてくれるのならば、亡命までの身の安全も保証するし、逃亡の手続きにも手を貸すぞ?」
「……。あはは、はは……」
もう手の施しようがない。本当に全部、お見通しなようだ。
彼女の諦めは乾いた笑い声となって漏れる。けれどそれだって震えていた。
ニカナグがかつて盲信した『あの方』は、裏切り者をどうとも思っていない。一度捕らえられたら、情報を抜かれてそれで終わりだ。
それにいまここで無理に逆らえば、今度はニカナグを庇ってくれたエニとダカントラにも、どんな迷惑がかかるか分からない。
守らねばならないものを失うくらいなら、自らを掌中で転がすこの男に膝を折り、ニカナグは従うしかないのだ。
(しかし、出されている条件自体は、悪くない……たぶん)
彼女はぐ、と唇を引き結んで、首もとに手をかけた。
そこに下がるのは、細かな動物の骨片と、瑠璃と、玻璃と、玉をのビーズを通した組みひも――。
……それはかつてシーナバーナとガダウィータ……――トルタンダの山にすむ、二人の友人から贈られた、再会の約束の首飾りだった。
そうしてここまでの彼女が、肌身離さず被り続けてきた『罪』であり、『顔』そのものでもあった。
掴んで外す。静寂にチャラリ、と微かな音が響く。
「……ほう、どんな仕組みだ――」
目前の二人が目を見開く。
――その首飾りが外れたとき、そこに座すのは既に狛晶族の娘ではなかった。
柔らかくウェーブのかかる、肩までの青髪。海のような深さを持つ青い瞳。
剥げた毛皮の下から現れた横付きの尖り耳は、彼女がやはり、魔法族であることを語っていた。
どこかクセのある細い眉の間に皺を寄せながら、彼女――ニカナグ・ゲライゼ=モナスは、ソルスガをじっと見据える。強い瞳だった。
「そ、そのお話……お受けしま、す……」
……ただその声は、相変わらず小刻みに震えていた。
◆
契約は、本当に〈聖宣〉を通して行われた。
与えられた条件はおおむね、拍子抜けするほどニカナグに有利だった。
先程、互いに出し合っていた条件に加え、なんなら給金も出る。
しかし、ただ一つ懸念が有るとすれば、それはソルスガが、契約の課程で急に『珍しい種族は街を歩く間の身の安全にも不安があるのではないか』などと言い出したことだった。
一人で歩かせるのも怖いから付き人を付けよう、と前のめりに勧められた申し出を断りきれず、実際にその条件は〈聖宣〉の契約書にも明記されてしまった。
……だがそれが、純粋な厚意なのか首輪なのかがニカナグには全く読めない。いったんは不安に駆られながら彼の側近にふと目が行くと、
『また若旦那さまはアナイめの話を聞かず……卑賤の『ご友人』を増やされ……これではアフェイーグの威容が……』
冷厳な表情はそのままに、なにやら額に人差し指を当てて頭を抱えている。そうして主に、『ニカナグ女史の血統は別に卑しくはないぞ』と宥められている。
……この様子だと本当に彼の厚意なのかもしれない。わからない。
一度困惑の苦笑を引っ込めながら、ニカナグは聖宣のために傷をつけた親指へ目を落とした。
いま、他ならぬこの傷で、契約の血判を押した。
大叔母たちの名を出され、逃れ得る状況だったとは思えない。けれどもう、戦うしかない。幸い、その土俵はニカナグの専門分野――、庭そのものだ。
改めて思いを定めながら、まだ僅かに滲む血を拭き紙で押さえる彼女。
「ところで、ニカナグ女史」
そこにソルスガの声が響いた。
「貴女の身辺を洗う間に、不思議に思っていたことがあるのだ。尋ねても?」
「えっ、はい! どう、ぞ?」
「二つある」
肘掛けにもたれ、寛いで二杯目の茶を飲みだしている新しい雇用主は、スっと指を立てた。望み通りに事を進められて満足なのか、彼女とは対照的に晴れやかな表情だ。
「一つ目は『カナイナ』についてだ。顔を変える魔法は確かに違法な分類だが、そこまでして変装するならば、あえて目立つ種族の顔を選ばずとも良かった筈。……なぜその顔を?」
「それ、は。答えろという命令、ですか……?」
ニカナグは咄嗟に尋ねてしまった。護衛の件で少し警戒している。
「うん? ああ、ただの雑談かな?
〈聖宣〉で結んだ協定である以上、私と貴女は対等であると言える。答えたいことだけ答えてくれればいいぞ」
(対等……)
その発言には少し安堵する。
ソルスガは確かに底が知れない。ただ先日のイチヘイたちとの接し方やここまでのやり口を見るに、言った言葉だけはきちんと守るような気が彼女にはしていた。優雅な手振りと共に話される内容にも、ずっと妙な求心力と説得力がある。
……だがここまでがっちり絡め取られてしまうと、いくらニカナグといえど、それすら警戒する理由になりえた。
「か、かなり調べたようなので、ご存知かもしれませんが、ワタシは――」
……それでもとりあえず、どもりながらでも答えてしまうニカナグは、結局のところは生粋のお人好しなのだろう。




