120.渦⑤ -暴かれた名前-
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――え……。
声にはならなかった。
見開かれた薄紫の目。動揺に半開きになる口。
「な、なんのことですか、その、ゲライゼ=モナスさん、という人は誰ですか……?」
しかしそれを口にしながら――、こちらを見てくる二人の、微動だにしない笑顔としかめ面を目にしながら――、彼女は早々に、言い逃れは難しいのかもしれないと思ってしまった。
ニカナグは嘘が壊滅的に下手だ。その自覚もある。森の家ではそれでイチヘイにも詰められたし、昔、助手にも何度も指摘された。
――ただ、それにしても、
「はは、どうしてバレたのかという顔をしているな」
「ひぇっ!?」
図星だ……。その声に、ニカナグの肩がまたビクリと震える。
「そうだな、最初に違和感を覚えたのは、……そもそも貴女――いや、『カナイナ・ヒドリー』という存在そのものといったところか。上半分はどう見ても獣人種なのに、下半分、特に足の形は亜人種……見たことのない種族だったゆえ。彼女、『〈狛晶族〉のカナイナ』は良くも悪くもかなり目立っていた」
力強く返る答えが、ニカナグの胸の端に波紋を落とす。
直後、図書館へ通いつめたここ数日の自身の行いと、それに対する周囲の反応が――ぶわりと思考を駆け抜けた。
本来、獣人種という区分けは、全身に毛皮か鱗を纏うこと。かかとを地に着けず歩くこと。尻からは尻尾を生やすこと……――この全てに当てはまる種に冠されるものだ。亜人種はその逆。
しかしこの『カナイナ・ヒドリー』という人物は、そのどちらでもない。下半身は、亜人種であるニカナグ本来の身体のままだ。
そんなどっち付かずの種族は、いるにはいるが大抵、数が少ない。そうしてこの世界において、社会的に認知度の低い少数種族は扱いが常に不安定だった。
狛晶族そのものもかなり特殊だったが、こんな、元の顔の持ち主であるシーナバーナ以上に珍妙なこの姿は、警戒されて当然だった。
それでも勿論、全員がそんな扱いをしてくる訳ではなかった。
フィーには、珍しい種族だね、綺麗だね、と、むしろ歓迎された。
あの丸顔の司書だって、はじめはニカナグが蔵書に傷をつけないか、かなり警戒していた様子だったが、最後はああして打ち解けてくれた。
確かに姿は珍しいが、悪ささえせず隅っこでじっとしていれば、大抵は警戒か奇異の目を向けるだけで終わらせてくれる。
(……そう思ってきた。のだけど……)
なのにどうして、この男は『カナイナ・ヒドリー』の本当の名前を知っている……?
理解できない状況に、だんだん歯の根が噛み合わなくなってくる。
その間にソルスガは、まるで世間話の続きのような調子で、彼女の正体を特定するまでの経緯を語りだす。
彼はそもそも、最初に『カナイナ』と対面した瞬間から、その姿にかなりの物珍しさを覚えていた。
花登の喉の治療について、ソルスガが良い医者を紹介しようとした提案を、『カナイナ』は、
『それならワタシに引き受けさせてくれないか』
と覆していった。
何故だろうと、思ったという。
(それはどうしても、ワタシがハナトくんに関わりたかったから、だ……)
「…――まあ、私はそれが初めの印象に残っていたのだ。 ただ、真のきっかけはノナウ婆さんと、我が家の司書からそれぞれ、『カナイナ』の話を聞いたことだったな」
――『カナイナは、ペリタ新皇国から母方の親戚筋である大叔母を頼って、ニムドゥーラを訪れるらしい』
話を聞くと、ノナウ婆さんはそう口にした。一方の司書は、
『カナイナは、北方の方から年の離れた友人を頼って、ニムドゥーラを訪れているようだ』
そう語った。
「『大叔母』と、『年の離れた友人』……何故初めに血縁と話した人物との関係性を、後になって他人に振り替えるのか?
……まあ、最初は単なる興味本位だったのさ。それに私は」
と、そこでソルスガはまた一口、茶をすする。ニカナグとは違って、余裕綽々の表情だ。
「――私は、表向きは商会主が主な仕事だが、正式な務めは、父が王から任されている情報収集の任を補佐することでね? こういう立場にいると、有能な人材は幾らでも欲しい。
ゆえに、ごく駆け出しの新人にはこういう些末な噂話を追いかけさせるのだ。……ふふ、ただ、ね?」
顔をくしゃりと笑みに歪める彼は、そこからは明らかにはしゃいでいた。
「いかんせん『カナイナ』の身辺調査は、新参に命じるにしても簡単すぎたかもしれない。存在が珍しすぎたからな。普段の噂とは違って、情報が面白いくらいに集まる。途中から、逆に楽しくなってきてしまってね?
……だろう、アナイ?」
「それは若旦那さまだけでございます。後進の教育のためと仰るなら、もう少し実入のある題を振っていただきたかったものですな」
「貴君は相変わらずだなあ」
側近の返しは辛辣だったが、ソルスガは一切動じなかった。そのまま声を弾ませてニカナグに向き直る。
「まあ、そういうわけで調べはすぐついた。『カナイナ』は誰かと行動するとなるといつも特定の夫妻の側を歩いていた。更に、その夫妻の家に逗留している。
また、『彼女』はその夫妻のことを『ちゃん』『くん』付けで呼び、友人のように振る舞っていたということだ。……ただ、面白いのは夫妻も、人と話すことがあれば同様に貴女の事を『友人』と紹介していたことだった……。はは、概ね合っているだろう――?」
怯えた目で自分を凝視するニカナグを、ソルスガはにっこり、まるで悪意など見えない笑みで見つめ返す。
「――だが、ここが一番おもしろいところでね。
なあ、アナイ?」
楽しそうにまたもや脇の側近を見上げる彼。するとアナイは、やや呆れたような顔をしながらも応じる。
「……『カナイナ』が常に行動を共にしていた夫妻が、我が商会とも縁深い、傭兵ハンザ『レギオン』の支部長、ダカントラ・トラ氏と、そのご夫人だった……ということですな」
「そうさ!」
ソルスガの声がはしゃぐ。
「……では、ならなぜ、『カナイナ』はその奥方のことを、ノナウ婆さんにだけは『大叔母』だと説明したのか? 何故ニムドゥーラにきてからは、互いに友人と呼び合うのか……?」
ソルスガは、とても興奮した様子でスッと息を吸い、独特の間で核心に迫ってくる。
「……それはもしかしたら、本来ならば『カナイナ』が親戚だと、何か都合が悪いからではないのか? ノナウ婆さんには、うっかり口を滑らせるか、気を許してしまっただけではないか? そう思えてならなくてな……?!」
「~~ッ?」
ニカナグは息を呑んでいた。
確かにニカナグにも、輓獣車を操りながらおしゃべりが止まらないノナウ婆さんに、根掘り葉掘り質問されて思わぬ口を滑らせてしまった記憶はある。
だが、そのツメの甘さが、こんな結果に繋がるとは思わない。
口を引き結んで俯きだす彼女を、ソルスガは、イタズラの種明かしをする子供のような溌剌さで見つめている。
「……あとは、新入りにちゃんと調べさせればすぐだったぞ。
ひとつ、『カナイナ・ヒドリー』などと言う人物は、そもそもこの世には存在しなかった。
ひとつ、エナタル領境の関所から旅人の通行記録を取り寄せさせると、カナイナ名義の偽造旅券に記された一番古い通行記録は、ペリタ新皇国の国境端から始まっていたよ。
ひとつ。そして、面白いことにエニ・トラ夫人の旧姓はエニ・ペリタ=ガエナ。……かなりの末端ではあるものの、彼女はペリタ新皇の皇族の血を汲んでいる。あの方が現夫のダカントラ氏と出逢って、若い頃にこの都市に流れ着いて来たことは、レギオン内や商人ハンザ界隈では結構な有名な話でね?
ただ、あの皇家は魔法族の寡占だ。親類縁者に異種族が挟まるとは考えづらい。そのうえ、生まれの高貴さゆえ、姪孫程度であれば血筋を辿るのも難しくはなかった」
逃げ場のないまま壁際に追い詰められていく鼠は、きっとこんな気持ちなのだろう。
だって確かに、ニカナグの大叔母はそんな血筋だった。何もかも正確だ。
大叔母は、使用人や家政奴隷にすら気安く話しても叱られないような環境で育ったニカナグとは違う。だからこそ異種族との結婚を許されずに逃げたのだ。
ニカナグの反応を確かめるように、やや身をのりだしながら彼はつづける。
「ひとつ。さらに、『彼女』と関わるあの夫妻は、長年の人脈と経歴、築いてきた地位から、私と同様、多少グレーな部分にも伝手をお持ちだ。偽造の旅券一つ発行する程度なら容易と、私は考えている。
――あとは、彼女の姪孫で、顔を偽り身分を偽り、この地を訪れなければならないような状況におかれている、あのご婦人と生国が同じ人物といったら――」
彼の手にしていたガラス細工の指し棒が、ピッとせり上がってニカナグへと差し向けられた。
「――ペリタ新皇国の最高学府〈白い塔〉において、若くして魔石・魔法術式応用分野の教授として活躍し、また、その研究・発明においても第一線を走ってきた……。
ニカナグ・ゲライゼ=モナス。
……現在、国またぎで重要指名手配犯となっている、貴女しかいなかった」
ここまで調べがついてしまっているのなら、もはや言い逃れなど通じないのだろう。
それでも場に数瞬降りた沈黙は、焦る彼女の、せめてもの抵抗だった。




