119.渦④ -手のひらの上-
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「一ヶ月以内に領民たちから討伐の話が上がったのは、他にここと、ここと、……ああ、それから、数日前だとここもだったな……これはまだ目撃情報の段階だが」
「そうですな」
都市ニムドゥーラから山伝いに北上した先の、町はずれ。街道沿に広がる、大きな果樹園地帯の端。
ソルスガが紙面に軽く示すたび、赤い丸石が増えていく。
(と、討伐? 目撃情報……?)
会話の断片を拾いながら、ニカナグはいまだに目前の二人の手元と盆とを、游ぐ瞳でキョロキョロと眺めている。
ただ、最後の返事と共に置かれた石は、都市ニムドゥーラのすぐそば――旧市街の町並みの、更に外れの辺りを示した。思いのほかすぐ側だった。
「今のところ、ここに示した四地点で妖獣が確認されているのだ、カナイナ嬢」
「ん? よう、じゅう……?」
なぜこんな話をされているのか。ニカナグは訳がわからず、ようやく游いでいた視線をソルスガの顔面で止めた。
「由々しきことに被害も出ているのだ。従来なら、大して大きくもならない種類の妖獣だと聞いたのだが……ここの――」
石を置いた場所のうち、彼は都市から北に二十キロほど離れた、山づたいの町を改めて示す。ここからだと、エナタル領地の反対際にある町だ。
「――ウィミテーラの町外れでは、人族の子が浚われている。子供といっても十三歳、体格も悪くなかったそうだ。
それが、目撃証言によると山狼と同程度の大きさをした〈虚棲ミ〉に襲われた。二頭現れて、その巨体で子供を森へ引きずり込んでいったらしい……きみ、〈虚棲ミ〉は見たことは?」
「な、ないですが……幼い頃、図鑑で眺めたことはあります。せいぜい小さい子が抱き上げられるくらいの大きさしかないと読みました。草原鼬に近い体格をしてますよね? でも、そんな……人を浚う……? 魂を食べるために襲うのではなくて??」
街の片隅で聞くならただの怪談で済むのに、領地を治める血筋の一人にわざわざ呼ばれて聞かされるとなると、受け取り方も変わってくる。
ソルスガは、犠牲になった領民を哀れむような表情でその赤い石に目を落とした。
「ああ、浚われているな。遺体は見つかっていない……。魂から喰べられてしまったのだろうと言うのが、討伐と調査に回ってくれた守備兵たち、それから私の見解だ」
話す間に、地図の上には新たに妖獣の図鑑が置かれる。装丁は分厚いが、ぼろぼろに擦りきれていた。彼はそこに挟まる真新しい付箋の位置を開いて、ニカナグに向けた。
「今のところ確認されている種類は、今話した〈虚棲ミ〉。……それからこの、〈四ツ足ノ禽〉の成獣。あと幼獣、だね。こちらも、大きさが異常だったと聞く」
開かれた絵図が地図上を滑って目の前に来る。
おそるおそる覗き込む。
〈虚棲ミ〉はわかる。
〈四ツ足ノ禽〉は、四本脚に、醜悪な目が四つ付いた頭、猛禽のような鋭い嘴を生やしている、というところまでは成獣と幼獣で共通だった。神妙に親と子の図を見比べていると、ソルスガがまるで親しげに口を挟んでくる。
「……ところで私も初めて知ったのだが、この〈|四ツ足ノ禽〉というのは、この絵図の通り、仔は背中に翼を生やすのに、親になると翼が消えて、代わりに筋骨隆々に変化するらしいな? ……気持ち悪い妖獣だと思わないか?」
「は、はい……」
しかし追従して笑う余裕も忘れ、ニカナグはふと黙ってしまう。
だって、おかしな話だった。
逃亡犯になる前から、現地調査も多い職をしていたニカナグには、旅人としての心得もそこそこあった。旅人にとっても、妖獣は脅威だ。
彼らが人間を襲うとき、欲しがるのはたいがい肉ではなく魂である。欲しい魂を吸い出すために、彼らは死に至る程度の怪我を負わせようと――魂と肉体の結び付きを弱めようと襲いかかってくる。
しかも卑しい生き物ゆえ、人間と見れば見境などない。
そうやって上手く相手を行動不能にできたら、さっさとその場で魂を吸い上げ、獲物を『消滅』させて立ち去る。
だが妖獣が好んで人を襲うのは、妖魔と違って繁殖期限定だ。
だからその季節、繁殖期の妖獣がいると分かっている地域に近づかなければ普段は済む話ではあった。
もし万一、繁殖期になわばりに迷いこんで、襲い掛かられたら逃げてください。
行動不能にさえならなければなんとかなりますから。
とにかく動け。いいから走れ。
襲いかかって来ないなら、刺激せず逃げろ。
え、妖獣の核に興味がある? 魔石の素材として優秀? 嫌っスよオレは。冗談は普段の行動だけにしてくださいマジで。
そんなことを、当時彼女に同行してくれていた助手から嫌そうな顔で懇願……いや、叩き込まれていたことを思い出す。
そうして気付いたら、いつもの癖でぶつぶつと独り言を垂れている。
「……う? 本当に幼獣も人を襲う、のか……? この図鑑を読んでみても、『成体への変態が済まないと繁殖期は迎えない』と記してある、のだけれど……」
そしてそれは、もちろんソルスガの耳に拾われている。
「――その通りだ、カナイナ嬢」
「ヒエッ」
いつそこに来たのか見ていなかった。気付けば地図を尻に敷き、ソルスガがすぐ目の前に移動している。後ろからアナイの、やや呆れた様子の視線が飛んでいる。
「――理解が早くて助かるよ。やはり君を呼んで正解だったな。コイツらは、本来の繁殖期などお構いなしだ。さらに人を殺すのではなく浚おうとする。しかも、どうやら浚う人間を選んでいるような気配さえある」
「えっ、選ぶ……?? 獲物をですか?!」
ただ、話す内容は全くふざけてなどいなかった。首肯を返しながら、ソルスガの声が一段低くなる。
「――現に、こっちの果樹園で――」
座り込んだ尻の脇にある、街道沿いの赤い石を華奢な指先で突きながら彼は続ける。
「――胞果熱を終えたばかりの、龍凛族の赤子が浚われかけた。二頭で現れた、〈四ツ足禽〉の幼獣に。だ。しかも、父親が囮になろうと身を呈しても、標的が変わらなかったというのだ。……ああ、安心したまえよ、幸いこの〈四ツ足禽〉は、通りがかりの乗り合い輓獣車の警備兵が加勢して倒したそうだ。赤子も無事さ」
そこへアナイの腕が伸び、「席にお戻りください」と主人を引っ張り戻していく。
「残念ながら、死骸は残っていないがね」
ただその間にも、ソルスガは側近の介入など意に介す様子もなく話し続ける。
「そしてこの奇妙な妖獣は、必ず二体一組で現れる。そして今のところ合計三人、子供ばかりを狙っている。
ああ、ちなみにその図鑑はな? かつてこの地で、妖獣たちの生息数を調整するために我が領に仕えていたアビ士族が、自分たちの生業の為に記録してきたものゆえ、内容は極めて正確だ。
それによれば、そもそも〈四ツ足禽〉という妖獣自体、本来は山奥の崖地や洞穴に棲みつき、こんな湖沿いの平地には現れないらしい。更に言えば、今回確認されている妖獣種はどちらも何匹もまとまって群れる習性を持つようだが、この異常な行動を見せる妖獣どもはこれまで一度も、二体以上で確認されたことがない」
「は、はあ……」
「……どうだ? 奇妙すぎやしないか?」
流れるように上座の絨毯に引き戻され、そして彼は何事もなかったかのようにまた茶を啜りなおした。
確かに気さくだが、叔母とは別の意味で奔放で、掴みどころのない人だなと彼女は思った。
「そこで、これが出てくる」
そうしてスッと脇の小卓に伸びる、彼の手。
「あ」
ニカナグもそこで再び、彼が手にした青の布包みの存在を思い出す。言われるより先に、ソルスガがこの包みを出してきた意味を察してしまった。呪い具などではないのだろう、話の流れで言うならこれは、
「――これは、先ほど最初に石を置いたニーム村の森の縁に出現した、〈虚棲ミ〉から採れた核だ」
(やっぱり……)
思った通りだった。同時に、彼女の口も無声音のまま、思考の形にパクつく。その唇の動きを、銀鼠色の瞳が微笑みの形に歪めながらチラと見る。
「ふむ」
それからソルスガは、なぜか満足そうにゆらりと身動ぎすると、その核を布包みごと一度アナイに渡した。口ひげの側近は滑るように歩んで、それを無言でニカナグへと差し出してくる。
「え、え?」
「私は。否。我が兆嘴商会は――」
剣呑な口ひげの側近にややビビりつつ、ニカナグはそれを受け取る。その空白に、ソルスガがどこか詠うように話し始めた。
「――奇しくも今は丁度、妖獣の核の買い取りに力を入れているのだ。この先、少し新しい魔石具の開発と販売のために、商会の財を傾けようと思っていてね。その核は、偶然にも魔石具の素材の候補としてニーム村に住まう商人の老婆……そう、ノナウ婆さんから買い取ったものだ」
「えっ?」
布を開いて、灰色の核を見つめていたニカナグだった。しかし思わぬ所で出てくる自身が顔を知る人物の名に、驚きと共に目線が跳ねる。
ニカナグの視界の真ん中で、ソルスガ・アフェイーグは甘い顔立ちに純朴そうな笑みを浮かべ、少し垂れ気味の銀鼠色の瞳を細めていた。
「――はは、あのご老人は時々、私より耳が良くてね?
良くウチに品物を仕入れに来たり、逆に良い家具を売りに来てくれるから、そのたび私は部下づたいに、あるいは直接、話を聞かせて貰っている。君のことも、あの女から聞いたよ」
「えっえっ……? お知り合い、だったんですか?」
「うん? そうだぞ?」
外から差し込む気だるい日差しが、その微笑みに不思議な陰影を落とす。
「ご老人は、大変珍しい種族の娘さんをこの都市まで送り届けたと、道中に君と話した内容を語って楽しげだった。あの人はおせっかいが玉に瑕だが、裏表の少ない善い人だ。君のこと。気に入って誉めていたぞ?
……まあ私も、改めて君と話して思ったが……、やはり君も、あの女と同じく善良な市民のようだ。気に入ったよ」
話の筋が全く見えない。しかし、誉められていることだけは分かる。
なのでニカナグは「あ、ありがとうございます……」と、本来は友人のものである〈祭祀面〉の瞳で、上目遣いに礼を述べる。ソルスガはそれに、柔らかく満足そうに頷き返す。
そして言うのだ。
「そこで、カナイナ嬢。……私はこの、奇妙な妖獣がどこから来ているのか。どうしてこのバケモノが子供ばかり狙うのか。その探究を君にお願いすれば良いのではないかと思っているのだ」
「……へ?」
なんだかおかしな言葉が、おかしな流れで耳の側を通りすぎていった。ニカナグは確かにそれを聞いた。
だが反論するための空隙などどこにもない。ソルスガは杖肘を頬に添え、自信に満ちた顔で続ける。
「正直こうして話してみて、この考えは深まったな。君を知れば知るほど、これは全くの適材適所だと私は考えているのさ。
だからもちろん、君はこの話を受けてくれる。いや、受けなければならないと、きっと思ってくれる。そうだろう? 狛晶族のカナイナ・ヒドリー嬢、いや――、」
……そうして笑顔で彼女の顔を覗き込む。最後の一言だけは、凪のように静やかだった。
「――……魔法族の、ニカナグ・ゲライゼ=モナス女史? かな?」




