118.渦③ -きょどきょど-
読了目安→5~8分
豪奢な彫りと、煌びやかでふかふかの内装に埋められた、六人乗りの輓獣車だった。
香を焚きしめたような良い香りまでするその車内に、しかし座すのはニカナグ一人、アナイ一人である。
一度だけ「あ、あの……?」と声を向けたが無視された。
口ひげを生やした険しい顔はずっと硝子窓の外を向き、何一つ問えるような雰囲気にはない。
その石壁のように分厚い沈黙を破れぬまま、気づけばニカナグはそんな輓獣車の中よりもっと豪勢な、邸宅の客間に放り込まれていた。
どうみても来客用の、豪奢な絨毯の上でクッションに座らされるニカナグ。
程なくして縞尾族の女中が脇に立ち、湯気の立つ茶と、見るからに甘そうな菓子を恭しく運ぶ。しかし出したものの説明だけ一方的に語ると、彼女はすぐ居なくなる。
ばたりと閉まる扉。
「なん……、なに……?」
エニとダカントラは同行を許可されなかった。
アナイは、ニカナグをこの部屋に案内してすぐ消えた。
開け放ったバルコニーからは、夕方前の気だるい日差しがさす。見渡してみても、小さな家一軒分はありそうな広い応接間にはニカナグ一人である。
今の言葉は、その末にやっと喉から出た一言だった。
目が白黒する。
たしかにニカナグには後ろ暗い経歴はあるが――、かといって一週間前にチラッと会っただけの貴族に呼び立てられるような何かをした覚えなんて何もない。
訳のわからなさが、不安と緊張の中にニカナグを埋め込んでいく。
口の中が乾いてきた。
ニカナグはなにも考えず、銀の盆から茶器を手に取る。おもてなしです、と言われた茶をズズッと啜った。
「あ、美味しいなコレ……」
「――お待たせしたね、カナイナ嬢!」
ノックなどなかった。ただ、まるで狙ったようなタイミングで扉が開き、自信に満ちた歩みで入室してきたのはソルスガ・アフェイーグだ。
……もちろん、ニカナグは噎せかける。
どうにか粗相をせぬよう、口に含んだ液体は全て喉に押し込めて顔を上げる。視線の先を、真ん中分けのくすんだ金髪と銀鼠色の瞳の男がさわやかに通りすぎていった。
「急で申し訳なかった、カナイナ嬢。呼び立てに応じてくれて、私個人として礼を言おう。ありがとう」
言いながら、彼女の向かいの一段高い台座に乗る。寛いだ様子で腰を下ろす。……薄々気になってはいたが、そこは上座だ。
ノックもされなかった。
つまりニカナグは、客人として迎えられながら実際のところは下に見られているのである。
(う? 『カナイナ』が平民だからかな? それとも別の理由があるのか?)
一瞬悩みながらも、それならばそれなりの挨拶をせねばと立ち上がり、叔母の優雅さには負けるが控えめな〈名告り〉と膝折りをする。
形式通りの返しと共に着席を許可されたので改めてクッションへ腰を下ろす間に、遅れてアナイが主の後ろに控えた。
パッと目が合うが、こちらには今度は普通に睨まれた。怖い。
「アナイ、客人は丁重に扱えと言っただろうに」
ニカナグが怯えた途端、主からの諌めが入る。
「すまないね、今日はどうも私の雑用がか……側近は機嫌が良くないようだ」
「誰のせいでございましょうか」
後ろから小言が飛ぶが、どうやら彼がそれを意に介する様子はない。脇の小卓についた肘の上から、ソルスガはにっこり彼女へ微笑む。その、なかなか甘い顔立ちに笑いかけられると、別に面食いでも何でもないニカナグも警戒を解いてしまう。
「ところで、気付いて貰えたかな? 私からのもてなしのつもりだったんだが」
「もてなし? ですか……? えっとお茶……ありがとうございます」
と、そこで、入室してきたさっきの女中に自分の分の茶と菓子を供させながら、ソルスガは楽しそうに片手を広げる。
「いいや、図書館の閉架のことだよ? 司書に開示の許可を出したのは、他でもなく私さ」
ぶっ!
今度こそ茶を噴いた。
「ご、ごこごごめんなさ」
しかしソルスガはやはり『いい、気にしない』と気さくに笑い、菓子をならべる女中に拭くものを持ってくるよう指示を出して、続ける。
「というのも、あの閉架の棚を開けたいと、司書側から申請があってね。そんなのは今までなかったことなのだ。だから興味深く思って彼を呼んで話をきいてみた。私は、領民と話すのが何より楽しみだからね。そうしたら――」
一瞬、溜めるような間でスッと息継ぎをし、彼は愉快そうに言う。
「――君としか思えない女性の話をするんだよ、彼が」
(――そういえば、あの図書館はここの領主様の家が運営してる図書館だ……!)
差し出された布巾で服を拭いながら気付く。この男がどこかに噛んでいても不思議はない。パチリとなにかが繋がり、同時になにもないはずなのになんだか嫌な予感がしてくる。
「あ、ありがとうございます……? おかげで有意義でした……」
ただ、失礼のないよう一応の謝意を口にしたところで、ニカナグはこの件について、もうひとつ繋がる点を見つけてしまう。
「あの、もしかして今日、司書さんがすごく真面目にワタシに話し掛けてきたのは……」
「ほう、素晴らしい。気付いたかい」
彼女の表情をじっと眺めていたソルスガは、愉快そうだった。
「そうさ、本当はあの彼経由で君をここに呼ぼうとしたのだ。だが、きみの年の離れたご友人はかなりお急ぎのようだったね? おかげで、代わりに駆り出したアナイの機嫌を損ねてしまった」
「おや主、分かってやっていらっしゃったのですね??」
「す、すすすみません……」
手の回され方に、ニカナグは少しビビる。なんの理由があってそこまでするのだろう。
その表情が面白かったのか、ソルスガは明朗に笑いながら身を乗り出した。
「はははは! 驚かせてしまったな。アナイにも、いつも感謝している。
……しかし私も別に、君とこうして茶を飲む為にここに呼び出した訳ではない。きちんとした頼みがあるのさ。――こういうのは思い立ったら直ぐやれと、ご先祖も言ってきただろう? ……アナイ、例のものを頼む」
かしこまりました、と声が返り、面長でやや背の低い側近が一度姿を消す。
同時にソルスガは、何故か壁際に控えていた女中にまで退室を命じた。
「他の者にも伝えておいてくれ、私が呼ぶまで近づくな、と」
「かしこまりました、若旦那さま」
(え、え?)
恭しく膝折りの礼をし、部屋を離れる彼女。唐突な物々しさに、再び目線が挙動不審になるニカナグ。
そこへ入れ違いにアナイが影のような静かさで扉をくぐり、主の傍らに戻ってくる。
思わず目で追えば、彼からソルスガに捧げ渡される、四角い銀の盆がある。
(う? あれ?)
ニカナグは思わず、微かに首を傾げた。
今のニカナグは〈魔法族の眼〉を開いていない。なのにそれでもそこからふわりと魔力の気配を感じる。よほど強い魔力や魔法がそこになければ、そうはならない時の反応だ。
すかさず、自らの〈天賜〉を発動させてしまった。
するとそれは、盆の上に置かれる青布に包まれた何かが、強烈な魔力……いや――。
(違う。この魔力、灰色だ。……てことは妖力だ……?)
普通に考えられるとするならば、妖獣の核ということになる。質の良いものは、綺麗に浄化すれば強力な魔法の使用にも耐えうる魔石になるため、昔から魔法使いには重宝されてきた。
しかし、こんな禍々しい力を放つものが存在するとは思えない。もしかすると、ニカナグも知らない魔法関連の何かなのかもしれない。
(――なに、これ……気になる……!!)
悪い癖が出そうになる。
しかしこの場に於いては流石に自重するべきだろう。いくらこういうものが気になる性分だとしても、限度というものがある。正体も隠しているし。
ゆえにニカナグは奥歯を噛んでグッとこらえた。グッと。
それでも、気持ちも身体もそわそわ動く。
「――さて、カナイナ嬢」
「は、はい!?」
そんなニカナグの不振な挙動を眺めるソルスガの様子は、どこか面白い生き物を観察しているような表情だった。その雰囲気を帯びたまま、彼は軽やかに口を開く。
「頼みごとの内容を話す前に、まずはここへ至るまでの経緯を説明させてくれないか」
言って、彼は後ろのアナイに目配せした。するとすかさず側近が前にでてきて、大きい獣皮紙の巻き紙を、ニカナグの眼前、なにもない絨毯のスペースにざっと広げはじめる。
出てきたのは、国境端のエナ岬から、エナタル・ラウ峰の手前半分まで――この男の家が治める、エナタル地方の地図だった。
「ここが、交易都市ニムドゥーラ」
エナ岬のある半島の先端、細い河口から、汽水湖ニムドゥーラは川を挟まず直接海へと繋がる。そのエナ岬があるダド半島の根本、ニムドゥーラ湖の畔にある一点を、ソルスガが示す。
身を乗り出す彼がつい、と都市の壁内を滑らすのは、先端に黄色い宝石が填まった、細やかな象嵌も美しい指し棒だった。
「都市の詳細地図ではないためざっくりだが、この囲いの中のこの辺りに、私の邸がある。それから……」
黄色の石が走る。湖畔沿いの街道を滑り、丘と、森と、小川と、間に挟まる村にもならないような小さな集落を抜け、
「ここがニーム村だ。この前は、この村の上の、お大師様の住まいで会ったな」
最後にスッと示したのは、村から外れた森の端だった。
「は、はい……」
答えながらもニカナグはそわそわと、盆の上と地図面とを交互に見やる。
地図は大きな獣の一枚革を使っているのか継ぎ接ぎもなく、全体で大人ひとりが寝転がれそうな程には大きかった。縮尺の正確さはわからなくても、主要な道、森、街、人家、田畑、湖沼、河川、それなりに細かく書き込まれている。
七日前、ノナウ婆さんの輓獣車でこの都市に着いたニカナグも、彼の指が辿った道筋には確かにこんな場所があったな、と回想できた。
しかし、今更どうしてこんな話を……と戸惑っていると、
「アナイ、ここ」
と地図の一点を示す声に応じ、口ひげの側近が赤く染めた丸石をその場所に置く。
それは今彼が示した、イチヘイ達が暮らす『森の家』から、地図上ではさほど差異のない地点だった。




