第二十八話:全て失ってでも守りたい
ラザンが言う。
「最初はネクロマンサーだ。……俺に掴まれ。」
ノアはラザンの腕を掴む。
次の瞬間、視界が黒く沈み、空気がねじれた。
魔法が解けたとき、
そこは魔都市の中央部――魔王城の目の前だった。
ラザンが門番に声をかける。
「ラザンだ。ネクロマンサーに会いに来た。」
門番は一瞬だけ目を見開き、すぐに頭を下げた。
「……お久しぶりです。こちらへどうぞ。」
案内されて城の中へ入る。
内装は煌びやかで、光が宝石のように壁を照らしていた。
だが――
地下へ続く階段を降りるにつれ、空気が変わる。
湿っぽく、
石壁は黒く染み、
カビの匂いが鼻を刺す。
ノアは息を浅くした。
徐々に魔力を感じる。
あの時の魔力だ。
あの時の恐怖が蘇る。
とてつもない。
胸の奥がひとりでに震える。
木製の扉の前につく。
古く、黒く、重い扉。
触れたら冷たさが骨まで届きそうな気配。
ノアの手が震える。
あの時の光景が勝手に蘇る。
ラザンが軽く頷く。
ノアは息を吸い、
震える手で扉を押した。
ギィ……と音が響く。
暗い部屋。
揺れる青白い光。
冷たい空気。
そして―― 扉を開けると、
人間の姿をしたネクロマンサーがゆっくりと振り返った。
黒髪の青年。
静かな瞳。
普通の服装。
だが、その奥にある魔力は、あの日のままだった。
ネクロマンサーはノアを見て、
ほんの少しだけ目を細めた。
「……やはり来たか。
その魔力の“性質”は、遠くからでも分かる。」
ノアは息を呑む。
ネクロマンサーは続けた。
「お前の魔力は二つの方向へ伸びている。
破壊の極み――魔王。
創造の極み――勇者。
どちらにもなれる。
そんな魔力を持つ者は、この歴史の中でお前だけだ。」
ラザンがわずかに眉を上げる。
ノアは言葉を返せない。
ネクロマンサーはゆっくりと歩き、
ノアの正面に立った。
「……だからこそ、スキルは使うな。」
ノアは目を見開く。
ネクロマンサーの声は静かだったが、
その奥にある痛みは深かった。
「魔物には二種類いる。
生まれながらに魔物として生まれた者。
そして――生まれた後に“スキル”で魔物になった者だ。」
ネクロマンサーは自分の胸に手を当てた。
「俺は後者だ。
人間として生まれ、
人間として笑い、
人間として生きていた。」
その声は、どこか遠い記憶を探すようだった。
「だがスキルが発現した瞬間、
生活が変わり、心も、体も、価値観も……全部変わった。
人間だった頃の俺は、もうほとんど残っていない。」
ノアの胸がひとりでに痛む。
ネクロマンサーはノアを見つめた。
「お前がスキルを使えば、
人間としての“最後の部分”が消える。
戻れなくなる。
だから使うな。
お前はお前の人生を生きろ。」
静かな忠告だった。
だが、その重さは森の闇より深かった。
ノアはゆっくり息を吸った。
胸の奥に、ゼンの笑い声が浮かぶ。
ミリアの泣きそうな顔が浮かぶ。
アリアの手の温度が蘇る。
リオラの背中が揺れる。
父と母の声が滲む。
痛い。
苦しい。
それでも――
ノアは言った。
「……俺は、争いをなくす。
そのためなら……スキルを使う。」
ネクロマンサーの瞳が揺れた。
ノアは続けた。
「俺が俺じゃなくなるかもしれない。
それでも……誰かが泣く世界を終わらせたい。
そのためなら、俺は……魔物になってもいい。」
静かな声だった。
強くはない。
でも、揺らぎのない覚悟だった。
ネクロマンサーはしばらくノアを見つめていた。
その瞳の奥で、何かがゆっくりと変わった。
「……そうか。
なら、俺はお前の味方になる。」
ラザンがわずかに目を見開く。
ネクロマンサーは続けた。
「スキルで変わる痛みを知っているからこそ、
その覚悟を持つ者を……放っておけない。」
その声は、
あの日の冷たい声とは違っていた。
「ノア。
お前が魔王になるなら――
俺はその隣に立つ。」
その言葉は、
地下の冷たい空気を温めるように響いた。
そして別れ際、ネクロマンサーの目を見て言う。
「俺は"魔王"になる。」
ネクロマンサーはどこか悔しそうな顔をしていた。まるで魔王になることを止められなかったかのような。
地下の湿った空気を抜け、
階段を上がるたびに、世界が変わっていく。
冷たさが消え、
代わりに――熱が、ゆっくりと肌を焼き始めた。
ノアは息を吸う。
胸の奥がじりじりと熱くなる。
これは魔力じゃない。
“存在そのもの”が放つ熱だ。
ラザンが前を歩きながら言う。
「……ここから先は、俺でも油断できない。」
その声はいつもより低い。
ラザンが警戒している。
それだけで、空気がさらに重くなる。
階段を上りきると、
赤い光が廊下を満たしていた。
壁は黒鉄。
床は焼けた岩。
空気は乾き、熱がゆらゆらと揺れている。
ノアは思わず喉を鳴らした。
「……これ、全部……」
「クリムゾンの魔力だ。」
ラザンは振り返らない。
ただ歩く。
その背中が、いつもより大きく見えた。
廊下の奥――
巨大な扉が立っていた。
赤黒い金属。
触れたら火傷しそうなほど熱い。
扉の前に立つだけで、汗が滲む。
ラザンが言う。
「ノア。
クリムゾンは“強さ”しか見ない。
弱い者には興味を示さない。
強い者には牙をむく。」
ノアは息を整える。
胸の奥の震えを押し込む。
「……行きます。」
ラザンが頷き、
拳で扉を軽く叩いた。
ゴォォォォ……
扉の向こうから、炎の唸りが返ってくる。
次の瞬間――
扉が、勝手に開いた。
熱風が吹き抜ける。
ノアは思わず目を細めた。
部屋の中央。
炎の玉座。
その上に――
紅蓮帝クリムゾンが座っていた。
赤髪。
燃えるような瞳。
鎧は黒鉄に赤い紋様が走り、
肩からは炎がゆらゆらと立ち上っている。
ただ座っているだけなのに、
空気が震えていた。
ラザンが一歩前に出る。
「クリムゾン。
お前が求めていた男。魔王候補を連れてきた。」
クリムゾンの瞳がゆっくりとノアに向く。
その瞬間――
ノアの心臓が跳ねた。
クリムゾンは立ち上がる。
炎が床を舐めるように広がる。
「……その子供が、魔王になる器か。」
声は低く、
だが炎のように揺れていた。
ノアは一歩前へ出る。
足が震えても、止まらない。
「……俺は争いをなくしたい。
そのために強くなる。
魔王になる覚悟もある。」
クリムゾンの瞳が細くなる。
「覚悟など、強さの前では塵だ。」
炎が一気に広がる。
熱が肌を刺す。
ラザンがノアの肩に手を置く。
「ノア。
後ろを見るな。
前だけ見ろ。」
ノアは息を吸い、
炎の帝王を真正面から見た。
クリムゾンはゆっくりと歩き出す。
一歩ごとに床が赤く染まる。
「ならば――試す。」
炎が揺れた。
空気が震えた。
紅蓮帝クリムゾン。
炎の帝王。
魔王に最も近い存在。
その試練が、今始まる。




