第二十七話:俺が魔王にならなきゃ
ベルゼブブを倒し、森の空気が静かに戻る。
黒い魔力がゆっくりと体から抜けていき、呼吸が落ち着く。
ノアはふらつく足で小屋へ向かった。
扉を開けると、ラザンが火の前に座っていた。
ノアの姿を見ると、わずかに目を細める。
「……戻ったか。」
ノアは短く頷く。
ラザンは立ち上がり、ノアを真正面から見た。
「お前は強くなった。
このままいけば――歴代最強の魔王になるだろう。」
その言葉は重い。
だがノアは目を逸らさない。
「今ならまだ勇者になる道もある。
どちらに進むかは、お前が決めろ。」
その言葉が落ちた瞬間、
胸の奥が冷たくなる。
幸せを感じた頃を思い出す。
ゼンのこと、初めての喧嘩をした相手。俺が魔王になるって聞いたらまた殴りかかってくるだろうか。
二人で競い合ったあの日の、
その温度がもう届かない場所へ行くのだと思うと、胸がきゅっと縮んだ。
ミリアの泣きそうな顔が浮かぶ。
いつかの鬼ごっこを思い出す。
「また遊ぼうね」
その声が、喉の奥を締めつけた。
まだこんな俺と遊びたいと思ってくれているだろうか。
アリアの手の温度が蘇る。
肩に触れたときの、あの優しい重さ。
あの手は、俺が魔王になったら、
もう触れてくれないかもしれない。
リオラの背中が揺れる。
強くて、まっすぐで、頼もしい背中。
「強くなれ」
押してくれた手の感触が、まだ残っている。
でもその手は、魔王になる道まで押してくれるだろうか。
父の大きな手。
母の柔らかい声。
名前を呼ばれた記憶が、胸の奥で静かに滲んだ。
あの温度は――
もう二度と戻らない。
胸が痛い。
苦しい。
それでも、前に進むしかない。
ノアはゆっくり息を吸う。
「……俺が魔王になって争いがなくなるなら、それでいい。」
言葉を吐いた瞬間、
胸の奥で何かが静かに崩れた。
人間としての最後の部分が、
ゆっくり剥がれ落ちていった。
ラザンが言う。
「……わかった。やはり親子は似るものなんだな。」
ラザンは小屋の外へ歩き出し、ノアに手を振る。
「来い。今の魔物の状況を話す。」
森の奥へ向かいながら、ラザンは言った。
「千年前、魔王が死んでから群れをまとめる“中心”が必要になった。
そこで今は最強の魔物四体が魔物たちの"中心"になっている。
その名を……」
ラザンは指を折りながら名を挙げる。
「冥界卿ネクロマンサー。」
「紅蓮帝クリムゾン。」
「古竜王バハムート。」
「破山覇オーガ。」
名前が森の空気を震わせるような重さを持っていた。
「そして、お前が魔都市に現れたあの日から魔物たちは完全に二分化された。君を"魔王"として扱うもの、そして君を"勇者"として扱うものだ。
ネクロマンサーとクリムゾンは、お前を守る側に、
そしてバハムートとオーガは、お前を殺す側に。
そして、今この間にも両者の溝は深まっている。きっと君が"魔王"であることを証明すればまた両者の溝もなくなるだろう。」
ラザンは森の奥を指す。
「今から――冥界卿と紅蓮帝に会いにいく。君が魔王であることを証明するぞ」
胸に残る後悔と寂しさから目を逸らし、前を向く。
「……わかった。行こう。」
森の空気がゆっくりと変わる。
世界がまた一つ変わっていく。




