第二十二話:あの時の恩を
中年の男が静かに入ってきた。
目が赤くて、少し涙の跡がある。
「……起きれたんだな。よかった。」
それだけ言うと、男は軽く息をついた。
「今、ご飯を持ってくる。」
短くそう言って、また部屋を出ていった。
アリアさんとリオラさんが僕のそばに寄る。
僕は二人に聞いた。
「……今の人は?」
アリアさんが答える。
「私たちを助けてくれた人です。
でも、まだ素性は分かりません。
自分のことを“堕天使”だと言っていました。」
リオラさんも頷く。
堕天使。
父さんと母さんも堕天使だった。
だから、その言葉に違和感はない。
「……父と母のこと、聞きたい。」
扉が開く。
男が戻ってきた。
湯気の立つ皿を持っている。
僕は男を見る。
「……本当に堕天使なんですか?」
男は軽く肩をすくめた。
「本当だよ。そんな大したもんじゃないけどね。」
皿を机に置き、こちらを向く。
「僕の名前はラザン。」
「ノア。
君の父さんと母さんの親友だよ。」
声は軽い。
重さも飾りもない。
ただ事実だけが置かれる。
ラザンは少しだけ目を細めた。
「……二人には世話になった。
よく怒られたし、よく笑われたし。
本当にいい二人だった」
ラザンは少しだけ視線を落とした。
僕の言葉を聞いても、表情はほとんど変わらない。
けれど、どこか覚悟していたような空気があった。
「……父さんと母さんがいなくなったんだろ?」
僕は息を整えて、もう一度聞いた。
「……何か知ってますか?」
ラザンは壁にもたれ、ゆっくりと話し始めた。
「おそらく……村から姿を消した時、最初に僕のところへ来たんだと思う。」
そこで一度言葉を切り、
思い出すように続ける。
「“このままじゃノアが危ない。
俺たちはノアから離れる。
やつに見つかったかもしれない。
もしノアに危険が起きれば、君に守ってほしい。
どうか、お願いだ。”」
ラザンはその時の声をそのまま再現するように、淡々とした調子で言った。
「……あいつら、焦ってたわけじゃない。
ただ、決めたんだろうな。
ノアを守るために、離れるしかないって。」
ラザンは短く息を吐く。
吸う息には悲しみが混ざっている。
「それだけ言って……消えた。
そこから音信不通だ。」
少し間を置いて、続ける。
「いろんな場所を探して回ってるけど……まだ見つけられていない。
痕跡もほとんどない。
僕はただ君を守ることでしか、あの二人に恩返しができない」
胸が締め付けられる。
俺は拳を握った。
ラザンは俺の様子を見て、少しだけ目を細める。
「……もう一つ、気になってることがあるんだろう?」
俺は黙って頷いた。
胸の奥がざわつく。
ラザンは続ける。
「“僕らは何故堕天したのか。
何故ここにいるのか。”」
淡々とした声。
けれど、その奥に長い時間があるのが分かる。
ラザンはゆっくり俺の方へ向き直った。
「それも話すよ。
全部じゃないけど、知ってる範囲で。」
少しだけ間を置いて、静かに言葉を落とす。
「ノア。
君が知るべきことだから。」




