第二十話:束の間の平穏
堕天使の男はノアを抱えたまま、短く言った。
「……僕についてくるんだ。」
その声は淡々としているのに、逆らえない重さがあった。
リオラとアリアは互いに目を合わせ、黙って頷く。
男の後をついていくと、森を抜けた先に――
静かな湖が広がっていた。
湖のほとりに、一軒家がぽつんと建っている。
外観はごく普通。
戦場の混乱とはあまりにも違う、穏やかな空気が漂っていた。
男は扉を開け、二人を中へ案内する。
内装も普通の家だった。
木の床、簡素な家具、生活感のある棚。
そして、二人が通されたのは――
まるで“客間”のような部屋。
男は振り返り、静かに告げた。
「君たちはここに居ろ。
何があっても――絶対に部屋から出るな。」
その言葉は命令というより“警告”に近かった。
男はノアを抱えたまま、別室へ消えていく。
部屋には沈黙が落ちた。
アリアは拳を握りしめ、リオラは深く息を吐く。
しばらくして、リオラが口を開いた。
「……ごめん。
こんな事に巻き込んでしまって。」
アリアはすぐに首を振る。
「何を言ってるんですか。
私は師匠に一生ついていくって決めてます。
だから……何も心配しないでください。」
リオラは少しだけ目を伏せ、静かに言った。
「……ありがとう。
ノアくんにも……申し訳ないことをした。」
アリアは苦しそうに笑った。
「そうですね……
私も彼を守れなかった。
あんなに子どもなのに、背負うものが多すぎる。
……私たちが、あの子を守らなきゃ。」
リオラはゆっくり頷く。
「……そうだな。」
再び沈黙が落ちる。
ふと、アリアが壁際の写真立てに目をやった。
そこには――
さっきの堕天使の男が、同じくらいの歳の男女と並んで笑っている写真が飾られていた。
アリアは小さく呟く。
「……この堕天使は……何者なんだろう。」
その瞬間、扉が開いた。
堕天使の男が戻ってきた。
「とりあえず、ノアは大丈夫だ。
ただ……数日は意識がないだろう。
僕はここにいるが君たちはどうする」
リオラとアリアは迷わず答えた。
「私たちも、ここに居ます。」
男は短く頷く。
「……分かった。
君たちの衣食住は僕が保証する。」
淡々とした声なのに、どこか冷たさがあった。
男は窓の外、湖の向こうの森を見ながら続ける。
「この一帯は“最強クラス”の魔物が蔓延っている。
僕は一度戦ったことで、あいつらは僕に手を出してこなくなった。」
アリアが息を呑む。
リオラは眉をひそめる。
男はゆっくり二人へ視線を戻した。
「だが――君たちはきっと狙われる。
理由は単純。
“人間だから”だ。」
アリアの肩がわずかに震える。
男は続ける。
「この付近の魔物は、勇者への怨念が強い。
君たちが何をしようと関係ない。
見つかれば、ただ殺される。」
リオラは拳を握りしめた。
男は短く告げる。
「死にたくなければ――家の中にいろ。」
その言葉は脅しではなく、
ただの“事実”として突き刺さった。
アリアは唇を噛み、
リオラは静かに頷く。
堕天使はそれ以上何も言わず、
ノアのいる部屋へと戻っていった。




