第9章 重ならないはずのもの
カフェを出た後の空気は、少しだけ軽かった。
会話自体は途切れていない。
水瀬陽菜が中心になって、取り留めのない話題を転がしていく。
学校のこと。
テレビの話。
どうでもいい噂話。
どれも当たり障りのない内容。
けれど。
その“当たり障りのなさ”が、逆に違和感を強める。
さっきまでの空気。
あの一瞬の緊張。
それをなかったことにするように、会話は進んでいく。
「このあとどうする?」
水瀬が歩きながら振り返る。
「せっかくだし、もう少しどっか行く?」
「任せる」
俺が答えると、水瀬は嬉しそうに笑った。
「じゃあゲーセンとかどう?」
「いいんじゃないか」
「白石さんは?」
視線が向く。
白石はほんの少しだけ考える素振りを見せてから。
「……いい」
小さく頷く。
それで決まる。
軽い流れのまま、三人で歩き出す。
*
ゲームセンターは、騒音と光に満ちていた。
電子音。
人の声。
画面の点滅。
カフェとは真逆の空間。
「うわ、久しぶりかも」
水瀬が目を輝かせる。
「神谷、なんかやろうよ」
「何でもいい」
「雑だなあ」
笑いながら、クレーンゲームの前で立ち止まる。
「これ可愛くない?」
指差した先には、小さなぬいぐるみ。
「やる?」
「別に」
「じゃあやって」
「なんでだ」
「取ってほしいから」
理不尽な理由。
けれど断るほどでもない。
コインを入れて、アームを動かす。
位置を調整する。
狙いを定める。
――この手の操作は、嫌いじゃない。
一回目。
掴みが甘く、ぬいぐるみは途中で落ちる。
「惜しい」
水瀬が身を乗り出す。
「もう一回」
二回目。
少し角度を変える。
アームが下りる。
引き上げる。
今度は落ちない。
そのまま、景品口へ。
ぽとり、と音がする。
「おー、やるじゃん」
水瀬が拍手する。
俺は景品を取り出して、そのまま差し出した。
「ほら」
「ありがと」
素直に受け取る。
その横で。
白石が、ほんの少しだけこちらを見ていた。
何か言いたげな視線。
けれど、言葉にはならない。
「白石さんもやる?」
水瀬が声をかける。
「……いい」
小さく首を振る。
そのまま視線を逸らす。
やっぱり、距離はまだある。
無理に詰めるものでもない。
その後も、軽くゲームを回る。
水瀬が騒ぎ、俺が適当に付き合い、白石が静かに見ている。
バランスは悪くない。
けれど。
どこかで、ズレている。
*
帰り道。
空はすでに暗くなり始めていた。
街灯が灯り、人の流れも少し落ち着いている。
「今日は楽しかったね」
水瀬が満足そうに言う。
「たまにはこういうのもいいでしょ?」
「まあな」
「白石さんは?」
問いかける。
少しだけ間。
「……悪くない」
それだけ。
けれど。
最初よりは、ほんの少しだけ柔らかい。
「また行こうよ」
水瀬が笑う。
「三人で」
その言葉に。
白石の視線が、わずかに揺れた。
一瞬だけ。
こちらを見る。
すぐに逸らす。
その動きが、やけに意識に残る。
駅に着く。
それぞれの帰り道。
「じゃあまた月曜ね」
水瀬が手を振る。
「おつかれ」
「……また」
白石も小さく言う。
それで解散。
背を向けて歩き出す。
数歩進んだところで。
「……神谷」
呼ばれた。
振り返る。
白石が立っていた。
水瀬はもう少し先で、スマホを見ながら歩いている。
二人きり。
わずかな距離。
「……なに」
白石が、少しだけ迷うように視線を揺らす。
言うか、言わないか。
その境界。
やがて。
「……配信、見るの」
ぽつりと、そう言った。
核心には触れない。
けれど、確実にそこへ近づく言葉。
「ああ」
短く答える。
「よく見る」
嘘は言わない。
隠す意味も、もう薄い。
白石は、ほんの少しだけ息を吸った。
「……誰の」
昨日と同じ問い。
けれど、意味が違う。
試されている。
俺は少しだけ考えてから。
「色々だ」
あえて濁す。
白石の瞳が、わずかに細くなる。
――分かっている。
そういう反応。
言わないこと自体が、答えになっている。
数秒の沈黙。
やがて。
「……そう」
それだけ言って、視線を落とす。
会話は終わり。
それ以上は続かない。
白石はそのまま背を向けて歩き出した。
呼び止める理由はない。
言うべき言葉も、まだない。
ただ。
確実に何かが変わっている。
重ならないはずだったものが。
ゆっくりと、重なり始めている。
そして。
もう、元の距離には戻れない。




