第8章 揃いすぎた断片
約束は、思っていたよりもあっさり決まった。
週末の午後。
駅前で待ち合わせて、そのまま近くのカフェへ。
水瀬陽菜の提案は具体的で、迷いがない。
白石澪も、最初は少しだけ間を置いたが、結局は頷いた。
そして今。
俺はその約束の日を迎えていた。
*
駅前は、休日らしいざわめきに満ちていた。
人の流れ。
店の呼び込み。
どこか遠くから聞こえる音楽。
平日の教室とは違う種類の雑音。
俺は改札の横で立ち止まり、スマホの画面を確認する。
まだ時間は少し早い。
周囲を見回すと、すぐに水瀬の姿が見つかった。
手を振りながら駆け寄ってくる。
「おー、早いじゃん」
「お前もな」
「珍しく遅刻しなかったね」
「する理由がない」
「まあそうだけど」
笑いながら、隣に並ぶ。
いつも通りの距離感。
けれど今日は、場所が違うだけで少し印象が変わる。
「白石さん、もう来てるかな」
「どうだろうな」
その名前を出した瞬間。
背後から小さな声がした。
「……来てる」
振り返る。
白石澪が、少し離れた場所に立っていた。
私服姿。
シンプルな白いブラウスに、落ち着いた色のスカート。
派手さはないが、整っている。
学校で見るよりも、少しだけ印象が違った。
「おー、白石さんも早いね」
水瀬が明るく手を振る。
「……うん」
短く返す。
視線が一瞬だけこちらに向く。
すぐに逸らされる。
けれど、その動きは以前よりもわずかに自然だった。
「じゃあ行こっか」
水瀬が歩き出す。
俺と白石も、その後に続く。
三人並んで歩く。
不思議な感覚だった。
教室の中とは違う距離。
けれど、完全に外の関係でもない。
その曖昧さが、妙に意識に残る。
*
カフェに入ると、落ち着いた空気が広がっていた。
木目のテーブル。
柔らかい照明。
控えめな音楽。
騒がしすぎず、静かすぎない。
三人で席に座る。
「何頼む?」
水瀬がメニューを広げる。
「コーヒーでいい」
「大人だねー」
「普通だろ」
「私は甘いやつにしよ」
楽しそうに選ぶ。
白石は少しだけメニューを見てから、小さく言った。
「……同じでいい」
「コーヒー?」
「……うん」
注文を済ませると、少しだけ間が空く。
話題をどうするか。
その沈黙を、水瀬が軽く壊した。
「こうやって三人で遊ぶの、なんか新鮮だね」
「そうだな」
「白石さんはどう?」
「……あんまり、ない」
「そっか」
水瀬は特に気にした様子もなく頷く。
「でもいいでしょ? たまにはこういうのも」
「……うん」
短い返事。
けれど、完全な拒絶ではない。
少しずつ、距離は縮まっている。
コーヒーが運ばれてくる。
湯気がゆらりと立ち上る。
その向こうで、白石の指先がカップに触れる。
ほんの一瞬。
その仕草に、違和感が走った。
カップを持ち上げる角度。
口元に運ぶタイミング。
どこかで見たことがある。
――配信。
ルミナが、マグカップを持つ仕草。
画面越しの、あの何気ない動き。
完全に同じではない。
けれど、無視できないほど似ている。
「どうしたの?」
水瀬がこちらを見る。
「いや」
首を振る。
「なんでもない」
気づけば、意識が白石に集中している。
声だけじゃない。
仕草。
間。
反応の速度。
全部が、少しずつ一致していく。
断片が揃い始めている。
「そういえばさ」
水瀬が思い出したように言う。
「白石さんって、趣味とかあるの?」
「……ない」
「ほんとに?」
「……特に」
曖昧な答え。
水瀬は少しだけ首を傾げる。
「ゲームとかもやらない?」
「……あんまり」
「へえ」
興味深そうに頷く。
俺は、そのやり取りを静かに見ていた。
――嘘だな。
少なくとも、“ない”はありえない。
あの配信の頻度。
あの完成度。
何もしていない人間のそれじゃない。
問題は。
なぜ隠すのか。
理由は分かっている。
身バレ。
それがすべてだ。
けれど。
それだけじゃない気がする。
「神谷は?」
水瀬が話を振る。
「趣味とか」
「……まあ、色々」
「雑だなあ」
「説明が面倒なだけだ」
「なにそれ」
笑いが起きる。
その軽さに紛れて、俺は少しだけ踏み込むことにした。
「配信とかは見る」
何気ない一言のように言う。
白石の指が、わずかに止まった。
「へえ、誰見るの?」
水瀬が興味を示す。
「色々だ」
「例えば?」
逃げ場を塞ぐような問い。
少しだけ間を置いてから。
「ルミナ・レイとか」
口にする。
空気が、ほんのわずかに変わる。
水瀬は「あー」と頷いた。
「さっきも名前出してたよね。有名なんでしょ?」
「まあな」
視線を白石に向ける。
「見たことあるか」
昨日と同じ問い。
けれど、状況は違う。
ここは教室じゃない。
逃げ場が少ない。
白石は、ゆっくりとカップを置いた。
小さく息を吐く。
「……ない」
やっぱり同じ答え。
完璧な否定。
けれど。
その“間”が、少しだけ長かった。
ほんのわずか。
それだけで十分だ。
確信が、さらに強まる。
断片が揃う。
声。
仕草。
反応。
そして、この不自然な否定。
もう、ほとんど答えは出ている。
あとは。
――認めるかどうか。
その時。
店内のテレビから、小さく音が流れた。
ニュース番組。
何気なく流れる映像。
その中で、特集のテロップが目に入る。
『急増するネット配信トラブル』
一瞬。
白石の表情が変わった。
ほんのわずかに、眉が寄る。
視線がテレビに向く。
その反応。
――完全に、当事者のそれだった。
俺は、静かにカップを持ち上げる。
コーヒーの苦味が、やけに鮮明に感じられた。
もう、疑う段階は終わっている。
問題は、その先だ。
知っていることを、どう扱うか。
言うのか。
言わないのか。
踏み込むのか。
距離を保つのか。
三人で座るテーブルの上に。
見えない境界線が、はっきりと浮かび上がっていた。




