第4章 彼女の内側にある境界線
昼休みの喧騒が遠ざかる。
教室の一角、三人分の机を寄せた即席の島。
そこだけが、少しだけ別の空気をまとっていた。
「じゃあ、テーマどうする?」
水瀬陽菜がノートを開きながら言う。
グループワークの内容は、簡単に言えば“身近なテーマを一つ選んで発表する”というものだった。
自由度が高い分、まとめ方で差が出るタイプ。
「なんでもいいけど、無難なのにする?」
「無難って?」
「環境問題とか、SNSの影響とか」
水瀬がペンをくるくる回しながら候補を挙げる。
「SNSはいいかもね」
思わず口に出ていた。
自分でも少し驚く。
「お、珍しく積極的」
「別に」
「でもそれいいじゃん。みんな使ってるし」
水瀬が頷く。
そのまま、隣に座る白石に視線を向けた。
「白石さんはどう思う?」
「……いいと思う」
短い返答。
けれど否定はしない。
それだけで、この場では十分だった。
「じゃあ決まりね。SNSの影響」
水瀬がさらっとまとめる。
こういう進行の速さも、こいつの強みだ。
「役割分担どうする?」
「調べるのと、まとめるのと、発表?」
「そんな感じかな」
水瀬は少し考えるように視線を上げてから、にやっと笑った。
「じゃあ神谷、発表やってよ」
「なんでだよ」
「意外と喋れるでしょ」
「意外ってなんだ」
「普段はやる気なさそうだけど、やるときはやるタイプっぽいし」
妙な評価をされる。
「……別にいいけど」
「ほんと? 助かる」
水瀬は素直に喜ぶ。
断る理由もなかった。
人前で話すこと自体は、嫌いじゃない。
――慣れている。
画面越しとはいえ、何度もやってきたことだ。
「じゃあ私はまとめやるね。白石さん、調べるのお願いしてもいい?」
「……うん」
白石が小さく頷く。
それで役割は決まった。
話はスムーズに進んでいる。
問題は――
その沈黙の質だった。
水瀬がいれば、空気は軽い。
けれど、白石が加わるとどこか密度が変わる。
静かというより、音が抑えられている感じ。
言葉を選んでいるというより、最初から多くを出さない。
そのバランスが、妙に引っかかる。
「じゃあさ、SNSのいいところと悪いところ、ざっくり出していこっか」
水瀬が話を振る。
「いいところは……情報が早いとか、誰でも発信できるとか」
「悪いところは炎上とか、誤情報とか」
俺が続ける。
「……依存」
ぽつりと、白石が言った。
その一言。
短いのに、妙に重みがある。
「お、いいねそれ」
水瀬がすぐに反応する。
「確かに依存は大きいよね」
「……うん」
それ以上は続かない。
けれど。
その声のトーン。
言葉の置き方。
やっぱり、どこかで聞いたことがある。
頭の奥で、昨夜の配信が再生される。
“配信してると元気出るからさ”。
あの時の、ほんのわずかな揺らぎ。
似ている。
いや、似ているなんてレベルじゃない。
――同じだ。
そう思いかけて、すぐに否定する。
ありえない。
そんな単純な話じゃない。
「神谷?」
水瀬に呼ばれて、意識を引き戻す。
「聞いてる?」
「ああ」
「今ぼーっとしてたでしょ」
「してない」
「してたよ」
即答される。
ため息をひとつ吐いて、俺はノートに視線を落とした。
考えすぎだ。
たまたま似ているだけ。
それ以上の意味なんてない。
そう、自分に言い聞かせる。
*
放課後。
帰り道の空は、昨日より少しだけ曇っていた。
重たい雲が、光を薄く拡散させている。
家に着いて、いつものように部屋に入る。
制服を脱いで、椅子に腰を下ろす。
パソコンを開く手が、ほんの少しだけ遅れる。
理由は分かっている。
確かめたいからだ。
そして同時に、確かめたくないからだ。
「……くだらない」
小さく呟いて、電源を入れる。
配信の通知が表示される。
ルミナ・レイ。
開始まで、あと一分。
逃げる理由はない。
むしろ、逃げる方が不自然だ。
俺はヘッドホンをつける。
カウントダウンがゼロになる。
「こんばんは。来てくれてありがと」
その声を聞いた瞬間。
やっぱり、と思った。
昼間に聞いた声と、重なる。
完全に一致しているわけじゃない。
配信では少しだけ明るく、少しだけ高い。
けれど、根の部分が同じだ。
音の芯。
呼吸の間。
言葉の終わり方。
全部が、繋がっている。
「今日はね、ちょっとだけ疲れたかも」
昨日と同じような言葉。
同じようなニュアンス。
偶然で片付けるには、重なりすぎている。
コメント欄が流れる。
俺は、キーボードに手を置いた。
試すか。
それとも、やめるか。
一瞬だけ迷う。
そして。
『学校で何かあった?』
送信した。
あえて、踏み込む。
反応を見るための言葉。
数秒。
コメントが流れていく中で、その一文が沈みかける。
その時。
「あ……」
ルミナの動きが、わずかに止まった。
「……どうしてそう思ったの?」
画面越しに、視線がこちらを向いた気がした。
ただの演出。
ただの偶然。
分かっている。
それでも。
その一瞬の間は、明らかに“拾った側の反応”だった。
俺は、何も返さない。
ただ画面を見つめる。
逃げるように話題を変えることもできたはずだ。
けれど、ルミナは続けた。
「……ちょっとだけね。まあ、大したことじゃないよ」
笑う。
いつも通りの、柔らかい笑顔。
けれど。
ほんのわずかに、呼吸が乱れている。
それが分かる。
――確信に近いものが、胸の奥で形を取り始める。
まだ、決定打はない。
けれど。
点と点が、ゆっくりと線になりかけている。
そしてその線の先にある答えを。
俺は、まだ口に出せずにいた。




