第11章 隠しているものの重さ
翌朝。
空気が、いつもより少しだけ重く感じた。
理由は分かっている。
昨夜の配信。
そして、あのやり取り。
――白石って名前、どう思う?
あれは明確に踏み込みすぎだった。
境界線を、意図的に踏み越えた。
その結果がどう出るか。
答えは、もうすぐ分かる。
教室のドアを開ける。
いつもの光景。
いつもの雑音。
けれど。
ひとつだけ違う。
視線。
教室に入った瞬間、わずかに感じる気配。
誰かがこちらを見ている。
すぐに消える。
自然な流れで、散らされる視線。
その中に。
白石澪がいた。
一瞬だけ目が合う。
すぐに逸らされる。
けれど。
昨日までとは違う。
明確に、“意識して逸らした”動き。
――来たな。
そう確信する。
「おはよ、神谷」
水瀬陽菜が声をかけてくる。
いつも通りの明るさ。
「おはよう」
「今日なんか静かじゃない?」
「いつもだろ」
「いや、今日はなんか違う」
じっと見られる。
鋭い。
こういうところは、無駄に勘がいい。
「気のせいだ」
「ほんと?」
「ああ」
それ以上は追及してこない。
けれど、完全に納得したわけでもなさそうだ。
視線を外しながら、小さくため息をつく。
余計な心配はかけたくない。
この件に、水瀬は関係ない。
巻き込む理由もない。
ふと。
後ろから小さな音がした。
椅子が引かれる音。
白石が立ち上がる。
そのまま、こちらへ歩いてくる。
――珍しい。
普段、自分から動くタイプじゃない。
机の横で止まる。
視線を合わせないまま、口を開く。
「……ちょっといい」
小さな声。
「ああ」
短く返す。
「え、なに? 二人で話?」
水瀬が興味津々で顔を出す。
「……すぐ終わる」
白石が言う。
それだけで、水瀬は「あ、うん」と引いた。
空気を読むのが早い。
俺は立ち上がる。
白石の後について、教室の外へ出る。
廊下。
朝のざわめきが、少しだけ遠くなる。
人通りの少ない場所で、白石が足を止めた。
背中越しに、小さく息を吐くのが分かる。
「……昨日」
言葉が途切れる。
選んでいる。
慎重に。
間違えないように。
そして。
「……配信、見てたでしょ」
振り返らずに言った。
核心には触れていない。
けれど、ほぼそこにある。
「見てた」
隠さない。
もう意味がない。
白石の肩が、わずかに揺れる。
「……あのコメント」
「どれだ」
あえて、とぼける。
少しだけ時間を稼ぐ。
「……名前のやつ」
やっぱりそこか。
当然だ。
「ああ」
短く肯定する。
沈黙。
廊下の向こうから、誰かの笑い声が聞こえる。
現実感のある音。
けれど、この場だけは切り離されているようだった。
「……なんで」
白石が、ようやく振り返る。
目が合う。
その瞳には、明確な揺れがあった。
「なんで、あんなこと言うの」
責めているわけじゃない。
問いかけている。
理由を求めている。
俺は少しだけ考えてから。
「確かめたかった」
正直に答える。
ごまかす意味はない。
「……何を」
分かっているくせに、聞いてくる。
その時点で、ほぼ答えは出ている。
「お前が」
一瞬、言葉を止める。
選ぶ。
どこまで踏み込むか。
そして。
「……どこまで知ってるのか」
あえて、核心を外す。
完全に言い切らない。
白石の瞳が、わずかに細くなる。
「……知ってるって」
「俺のこと」
続ける。
「元配信者だってことも」
その瞬間。
空気が、変わった。
白石の呼吸が止まる。
視線が、わずかに揺れる。
否定しない。
できない。
それが答えだった。
「……誰から」
小さく問う。
「関係ないだろ」
即答する。
アリスの名前を出す必要はない。
今重要なのはそこじゃない。
数秒の沈黙。
やがて。
「……見てた」
白石が、ぽつりと呟く。
初めての肯定。
小さな一歩。
「前から」
続ける。
「……あなたの配信」
時間が、ゆっくりと動き出す。
点が、完全に繋がる。
ただの推測だったものが、現実になる。
白石澪は、ルミナ・レイで。
そして。
俺のことを、ずっと前から知っていた。
「……だから?」
俺は静かに聞く。
「だから、何だ」
責めるわけじゃない。
ただ、確認する。
その意味を。
白石は、少しだけ視線を落とす。
迷う。
言うか、言わないか。
その境界。
やがて。
「……別に」
短く言う。
「ただ、知ってただけ」
それ以上は言わない。
けれど。
その言葉が、すべてじゃないことくらい分かる。
隠している。
何かを。
それも、かなり大きなものを。
俺はそれ以上追及しない。
今はまだ、そこまで踏み込むべきじゃない。
「……分かった」
それだけ言う。
白石が顔を上げる。
少しだけ驚いたような表情。
「……それだけ?」
「ああ」
「……聞かないの」
「何を」
分かっていて、聞き返す。
白石は、言葉に詰まる。
やがて。
「……なんでもない」
視線を逸らす。
会話が途切れる。
けれど。
完全に終わったわけじゃない。
むしろ。
ここからが、本番だ。
隠しているもの。
言っていないこと。
それが何なのか。
もう、気づいている。
ただ。
まだ、言葉にしていないだけだ。




