第5話 群れ(2)
広場に行けば、より一層、食事のいい匂いがし始めた。
大人たちの楽し気な会話や、子供たちの笑い声で、広場はにぎやかだ。
秋になると、どうしても冬の気配を感じて群れの空気が重くなりがちだが、豊かな食材が並んだ食卓の前では、そんな空気もほころんでいた。
「ほれ、はよ連れてけ」
おばばがサクラにそう促す。
焚火の前で鍋を温めていたのを下ろして、簡素な作業台の上に置き、群れの女性がまず子供たちに並ぶように呼び掛けていた。わあっと子供たちが歓声を上げ、列に並ぶ。
サクラは焚火から離れたおばばの定位置に、おばばを連れていく。
丸太を横倒しにしたものだが、おばば用に座面が平らに削られて、座りやすくなっている。サクラが腕を支えながら、おばばがよっこいせと掛け声をつぶやきながら、そこに座った。
「はいはい、どうも。ほれ、はやくもってこい。おまえの分も無くなるぞ」
「……うん」
おばばに促され、サクラは振り返り、少し駆けて列へと並ぶ。列に並びながら、何となくレイの姿を探した。自分たちの巣の近くのほうで、ガルとライが並んで座り、リルがレイの上に座って、暴れながらもレイから嬉しそうに食事を口に運ばれている。リルはまだ匙が上手く使えないから、レイが代わりに食べさせている。ロダが群れに来てから、廃屋から持ってくる食器や調理器具を使うのが普通になった。特に汁物なんかの時は、皆それを使うようになった。
レイの柔らかな表情が目に映る。
おばばの言葉が脳裏によみがえる。
子供だの、伴侶だの。サクラにはまるで想像ができない。記憶の中の、幼い妹の姿がおぼろげに思い出される。そして、お腹の膨らみ始めたライのことも。
レイとふいに目が合いそうになってサクラは視線を逸らした。
考えていたことに、どことなく居心地の悪さを感じたからだ。
そんなことを考えていると、いつの間にかサクラの番になっていた。
鍋から汁物をお玉でよそう女性と目が合う。
「サクラちゃん。いつもおばばのお世話ありがとうね。おばば偏屈だから大変でしょう?」
「……ううん、そんなことないよ」
女性がにこりと笑うのを見ながら、サクラはかぶりを振った。
女性が器二つに汁物を盛ってくれる。
「はい、いっぱい食べてね」
そうやって、サクラの手に持たされた二つの器。
どちらの椀も半分くらいにしか盛られていない。サクラは一瞬顔を見上げて、女性の顔を見た。女性はにこりと笑いかける。
「…………ありがとう」
サクラはそう言って、目を逸らして列から離れた。台の上に山盛りに盛られた、サクラたちが採ってきた果物も見えたが、手を伸ばす気になれなかった。
しょうがないのだ。誰だって、自分の子供にたくさん食べさせたいに決まっている。そうでなければ自分の男に。あるいは仲の良い者に。
サクラは、そのどれでもないのだから。
サクラはおばばのところに戻る前に、おばばに気付かれないようそっと椀の中身を片方に移す。普通の量になった椀と、ほとんど残っていないほう。
「おばば、もらってきたよ」
おばばの前に戻り、サクラは量を多くしたほうをおばばの前に差し出した。自分のほうの椀が見えないように、立ったまま胸の前で抱えながら。座っているおばばに、椀の中身が見えないように。
そんなサクラのことを、おばばが椀を受けとらずにじっと見ている。
「……おばば?」
サクラがそう呼びかけると、おばばがふんっと大きく鼻を鳴らした。そしてサクラを押しのけて、よっこいせっと無理くりに立ち上がる。椀を持ったままで、支えになれないサクラは慌てた。
「おばば危ないよ。座ってて食べようよ」
「いらんっ! 今日は腹が減っとらん!」
ふんっとまた鼻を鳴らして、おばばが焚火のほうへと歩き始める。食事が終わると、おばばは子供たちにお話をしたり、群れの大人を集めて、群れの今後のことを話し合うために、焚火を囲んでおかれた丸太のほうに行く。
「おばば……」
お椀をかかえたまま、サクラはただおばばがそちらのほうに歩いていくのを見送った。
おばばが焚火のそばに座ると、我先にと食べ終わった子供たちがわらわらと寄ってきて、おばばにお話をせがんでいる。おばばが一人の頭を撫でながら何かの話をはじめた。
サクラは視線を落として、二つの椀を見つめて、そのまま一人腰を下ろした。
匙を一つ、地面に置いて、もう一つの匙でもそもそと食べ始めた。たくさんのキノコと、今日魚の干物づくりではじかれた、魚のアラがたくさん入った汁物は、とてもおいしかった。
温かい椀の汁が腹に落ちるたびに、なぜか、胸の奥のどこかが、ひどく冷えていくようだった。
椀の中身がすべて、お腹に入ったのに、なにか空虚な気持ちがサクラをさいなむようだった。
「食ってるか! サクラちゃん!」
でっかい声がふいに頭上から降ってきて、サクラはごふりとむせそうになった。
見上げればガハガハと笑うガルの姿があった。その大きな手に数個の果物を持っている。サクラが片手で一個持てるような大きさの果物を何個も持てるガルの手は、ずいぶん大きいんだなと思考の端っこでサクラは思った。
「それじゃ足らんだろ、もっと食え!」
そう言って、椀を地面に置いたサクラの腕に、どんどんと果物をのせていく。
「ガル、こんなにいらないよ」
「何言ってるんだ。子供はどんどん食べないとな!」
ガルの豪快さに、サクラは思わずふと息を吐いた。
ガルが、サクラの腕から果物の一つをとって、それをあの大きな手で、思いのほか丁寧に皮をむいて、サクラに手渡す。ほかの果物を地面に置いてから、サクラはそれを受け取った。
まるで幼子のような扱いに、サクラは少し戸惑った。
「私もう、子供じゃ、……大人にならないと」
「なんだぁ? なんか言われたか?」
おばばに言われたことが胸に重くて、無意識に語尾が暗く沈んでしまった。取り繕う暇もなく、にかりとガルがサクラに笑いかけながら問うてくる。
ガルの表情には、サクラへの憂いも心配も見えなかった。ただからかうような軽い口調が、どこかサクラの胸を軽くするようだった。
ほれ、食えと、ガルがさらに勧めるから、サクラは果物を口に運んだ。すっぱくて、甘い果汁が口いっぱいにつぷつぷと広がって、とてもおいしかった。
ほれ食え、ほれ食えと、ガルがさらに果物を剥くから、サクラは慌ててほかの果物を自分の脇に寄せて、ガルに剥かれないよう確保した。
そうしながら、ガルの目がサクラの目をじっと見てくるので、サクラは居た堪れなくなって、口を開いた。
「おばばが、……子供作れって」
ぼそぼそと、サクラは口にする。聞き取りづらいサクラの声を、ガルが丁寧に拾って、拾ったうえでまたガハガハと笑った。
「おばばは心配性だからなっ! お前はまだまだ子供だ、急いで大人にならんでいい」
思いがけず優しい声音でそう言って、ガルが頭をぼんぼんと叩いてくる。
レイの気持ちがわかるようだった。気恥ずかしさとこそばゆい感覚。そして、ちょっと残る鬱陶しさ。ただ、レイと違ってサクラは手で振り払えないので、頭をすくめるにとどめた。
うつむいたまま、サクラは喉に残っていた言葉にならないわだかまりの代わりに、言葉にしやすい言葉を選んで、口にした。
「……ガルは、どうして、外に行けるの? 怖くないの?」
聞きたいことと真逆のような、聞きたいことそのもののような。
サクラは群れの中でもう何度も冬を越えてきた。その間に、たくさんの子供たちが亡くなっていくのを見た。それと同時に、大人の男たちが、狩りに出かけてそのまま帰らなかったり、体が欠けて戻ってきてそのまま亡くなってしまう姿も何度も見てきた。
もやもやは喉元にとどまりながら、サクラはガルに聞いた。
「ん? そりゃあ怖いさ。だがなあ食いもんが無ければ、飢えるだけだからな」
ガルが顎に手を当てながら、少し遠くを見て考える。
「そうだな、……俺のおかんはな、俺の弟を産んだ時に死んだ。弟も、誰も母乳をあげられなくて死んだんだ。俺が前にいた群れは、こんなに大きくなかったからな。その時は他に母乳が出る女なんていなかったんだ」
あっさりとした口調で言う、ぐさりとガルの言葉がサクラの頭に突き刺さるように響いた。一瞬、記憶の中に残った妹を抱く、お母さんの姿が蘇る。
もし、自分の母親がそうなっていたら。
ぞわぞわと背筋を通るような冷たい感覚と、ガルのような大人に、そんなことを話させてしまった申し訳なさが沸き上がるのに、サクラは何も言葉にできなかった。
「よくあることだ。ただ、俺は男だからそんな目には合わない。だがな、子供ってのはどうしてこうもかわいいのか。もうかわいくてかわいくてしょうがないっ!」
豪快に笑いながらも、ガルの目に浮かぶのはいつくしむような柔らかい光だった。
「一緒にいればとても幸せになる。そんな存在を腹で育てて、産んでくれる。ライには頭が上がらんっ! だからこそ、元気に育つように、俺が守らねばなっ!」
ガルがサクラの顔を見ながら、大きな口をにやりと顔いっぱいに笑った。
「相手が命をかけるんだ。俺も命をかけねばっ!」
よっこいせっと、ガルがやたら大きな声を出して立ち上がった。大きな背の向こうで、ガルはライたちのいる巣のほうを見て、穏やかに微笑んだ。
「いろいろ考えるんだろうがな、あんま考えず食って寝ろ! 腹がいっぱいになれば、気分も晴れるさ! まあ、……俺はレイもいいと思うぞ!」
「レイはっ、……そんなんじゃない」
語尾が口すぼみながら、サクラは小さくガルに反論する。サクラは手に持っていた果物をおぼろげに齧りながら、小さくため息をついた。そんなサクラをガルがからかうように笑う。
ガハガハと、ガルが笑っていると、遠くでライが両手を振り上げて、なにか叫んでいるのが聞こえた。
なんて言っているのかはあまり聞こえないが、なにか怒っているのだけは伝わってくる。
「やべえな、……また怒らせちまった。じゃ、俺は行くぞ! それ食ったらクソして寝ろよっ! じゃあな!」
最後にとんでもなく下品な言葉だけ残して、ガルはどたどたと走りながら去っていった。遠くでライに怒られて、ペコペコ頭を下げながらリルを抱き上げるガルの姿は、なんとも情けなく見えた。
おぼろげに覚えている父の姿とは真逆のようなガル。それなのに、いつかの父に会ったような寂しさが、きゅっとサクラの喉を締め付けた。
ガルがいなくなった後、またぽつんと周りが静かになった。
子供。群れ。狩り。
ロダの願いに、レイの言葉。
そして、地下室で見たあの獣人の死体。
いろんなことが、今日一日だけでサクラの頭の中にあふれかえって、ぐるぐると渦を巻くようだった。
『そのうち、……全部取りこぼすぞ』
レイの言葉が、まるで呪いのようにサクラの思考をからめとる。
談笑する群れの内側の端で、サクラはガルが剥いてくれた果物の最後のかけらを口に入れる。
甘くてつぷつぷして、おいしい。
おばばとガルのおかげで、お腹はくちくなった。
それなのに、その小さな欠片を飲み込むのが苦しい。
それでもサクラは、それをごくんと飲み込んだ。
いらない、なんて言葉は、言ってはいけないのだから。




