第6話 ロダの”家”(1)
夜月が空に上がってきた頃、サクラはやっと夕食の片づけが終わった。
準備を手伝えなかったからと進んで後片付けに参加した。夕食の準備の当番でもなかったのだが、手が空いたものが自然と手伝う中、サクラだけロダやレイと外に行っているのだ。勝手をしているのは自分のほうだと、サクラはせわしなく動いた。
なんとなしに顔をあげて、夜空を眺める。
サクラはふう、と息を吐いた。
不意に吹いた涼しい秋風が、額の汗を撫でて心地が良かった。
夜空はすっかりと濃い藍色になり、星と星環線が輝いていた。見慣れた星空が、とても綺麗だった。
身体に溜まった疲れを飲み込んで、サクラはおばばの元へと歩く。
広場の焚火は真ん中の焚火だけになり、群れの子供たちはすでに寝ているようで、大人たちだけが女も男も混ざり、ぼそぼそと話しながら囲っていた。そのなかに、いつものようにおばばもいた。
サクラがそこに近づけば、そんな大人たちの陰鬱な話し声が聞こえた。
「山の向こうに、……もうすぐそこだよ」
ぱちりと薪がはぜる音が響く。
どの大人も、その話題になるとさらに口が重くなった。
「……どうする? 移動するには早いほうがいい」
さらに、口火を切った一人が言いつのれば、ぼそぼそとさらに不安の声が上がり始めていた。
まだ、話が続きそうだと思い、サクラは焚火の囲いには入らずに、端の丸太に腰を下ろした。
「だが、冬越えの準備をするにはいささか遅いぞ」
「前の冬越えの場所はもうすでに獣人どもの手が入ってしまった。あそこはもう使えない」
「……北山は?」
「あそこの風は厳しいでしょ? それに、近場の水が枯れたんだ。どう過ごすつもりなんだい?」
足をプラプラさせながら、大人たちの話をサクラは聞いた。
居場所が、どんどんと無くなっていく。サクラも肌で感じていた。
今ですら、歩いてあんな廃屋に行けるくらい、獣人たちの街に近づいている。
もっと遠くに離れたい、ただ離れれば水がない。山を下りれば獣人たちの住処に近づく。
群れをどこに動かすのか、それは群れにとって、常に悩みの種だった。
大人たちの中で、一番の年長者であるおばばが重い口を開いた。
「……北山に移動するしかなかろう。水は谷まで下りて汲むしかあるまい。なに、雪が降れば溶かして飲めばいい。……溶かすための薪は、より多く用意せねばならんがな」
おばばの言葉に大人たちは顔を見合わせて、暗く沈んだ。去年まで用意していた薪は、以前の冬越え場所近くの洞窟に積んであった。しかしそこは最近、獣人の手が入ってしまった。もう取りに近づくこともできない。近づけば、襲われた別の群れの二の舞だ。
「……なんとかなるだろう。枯れ枝を拾ってでも生き残らねば。さあ、今晩はこれで終いだ。北山に移動するんだ、さらに忙しくなる。今日は、……もう休もう」
おばばがそう声を掛ければ、それぞれが立ち上がる。
皆一様に考え込みながら、各々の巣へと戻っていく。
大人が皆、立ち去った後で、サクラは丸太から立ち上がりおばばのそばに寄った。おばばが深くため息をつくのを聞いた。
「おばば、お疲れ様」
「お前にねぎらわれるほど耄碌しておらんよ。早く連れてけ」
「……うん」
サクラはおばばに腕を貸し、来た時と同じように巣へと戻った。
ごすごすとおばばの杖の音と、足を引きずる音が響く。
暗くなってしまったが、いつもの通りに巣の間を通り、おばばと自分の巣の前へたどり着く。サクラはおばばを支えながら、熾火になった焚火の前の丸太に、おばばを座らせた。
おばばは慣れた手つきで近くの枝を掴むと、熾火をつつき、息を吹きかけ、薪を足して、再び火をつけていた。
サクラは肩にかけていた袋から、ガルに渡された果物を取り出した。
「おばば、これ、ガルが持ってきてくれたの。食べたくなったら食べて」
そう言って、おばばの座る丸太の端に置いた。
「……おばばは、先に寝ててね」
「ふん」
おばばは果物を手に取り、皺だらけの指で表面をなぞっていた。
おばばの様子にサクラはロダのところへ向かおうと足を進めようとした。
「……最近は毎晩じゃな」
「え?」
くるりと背を向けたサクラにぼそりとおばばの声が掛けられて、サクラは振り向いた。
おばばは、焚火を見つめたままだった。
「ロダのところだろう?」
なぜか、おばばがいつもよりも小さく、サクラには見えた。
「あまり、遅くなるなよ」
そうぼそりとおばばが呟き、サクラに対してシッシと手を振って見せた。
おばばがそうサクラを追い払うので、サクラはほんの少し首を傾げながら、おばばの前を後にした。
(どうしたんだろう)
サクラのことをおばばが引き留めるのはとても珍しかった。何か理由があるのだろうかと、おばばに気付かれない程度に、一瞬だけ表情をうかがおうとしたが、焚火の薄暗い明かりの中ではよくわからなかった。
調理の片づけをし、おばばを送り届けた頃には、いつもより遅い時間になってしまっていた。夜道を足音を立てないように気を付けながら、たたたと小走りに走った。
ロダの巣は、おばばの巣とは正反対の、群れのはずれにある。
群れの子供たちが起きてしまわないように、少し遠回りだが、葦を束ねた塀の内周に沿って、サクラは移動した。ほかの巣とは違い、ロダの巣は内側からほんのりと明かりが漏れているので、すぐに分かった。
巣は、穴を広く深く掘り、その上に木を組み、葦や葉を重ねて屋根を作る。
入り口は、葦を編んだ簡単な風よけを垂らす程度だ。
ただ、ロダの巣だけは少し形が違う。
他の巣にはない二段になった屋根。そして入り口には木で出来た戸まで付いていた。
夜になると明かりを灯すから、戸は地面と屋根の隙間をぴたりとふさぐように作られている。
それでも隙間からは、暖かな灯がほんのりと漏れていた。
サクラはこんこんと、小さく指の背でその戸を叩いた。
ロダにそうするように言われているからだ。
するとすぐロダが戸を開けて現れた。
サクラの姿を見ると、ロダがにこりと笑いかける。
「よかった、今日はもう来ないかと思っていたよ」
「遅くなってごめんなさい」
「気にしなくていい、さあ入って」
ロダが戸を大きく開けて招き入れる。
サクラはいつものようにロダの巣へと入った。
秋風が遮られて、それだけでも暖かいものだが、ロダの巣は他の巣よりもいっとう暖かい。
群れが移動するたび、あちこちの廃屋で見つけてきたろうそくが机の上でチロチロと光っている。そのままでは使えない獣人の道具も、ロダは器用に作り変えてしまう。火の灯るランプも作ってしまい、こうして巣の中に吊るしてあった。焚火などよりもずっと明るかった。
ほかの巣では中に明かりも灯さないし、焚火も起こさない。暗い中で寝るだけだが、ロダの巣では様子が違う。
ロダの巣に来るたびに、前の世界の“家”を思い出す。
こんな風に、夜でも明かりが灯っていたように思う。
夜は寝るだけなのだから、本来はこんな風に巣の中に明かりは必要ない。
ロダの巣は一人で暮らすには広すぎるくらい、穴が広く掘られている。
家族で住めそうなほどの広さがあり、掘り下げられて穴も深い。土壁に作られた段差が棚代わりになり、そこに様々なものが置かれているからだ。
レイやサクラも手伝って集めた獣人の本。
ロダ自身が前の世界の知識を書き留めた本。
筆記用具やまだ白いままの紙の束。
土壁自体にもロダが書いた何かの図や文字の紙が小さな杭で打ち込まれて貼られ、そのほか、拾い集めた道具や改造した器具が隙間なく並んでいる。
――また増えてる。
サクラはほんの少しだけ眉を顰めた。
棚は、前に見たときよりもさらに窮屈になっているようだった。
もうすぐ冬の移動だというのに、また本が増えている。今日の廃屋で見つけた本をいつの間にか持ってきていたのだろう。
前回の群れの移動でも、サクラとレイも手伝って運んだが持てる量ぎりぎりだった。
これ以上増えれば、もう三人では持ち切れない。
以前、もう少し減らせ、とレイがロダにぶつぶつ言っていた。
でもロダは『できれば、置いていきたくないんだ』と話していた。結局は捨てないまますべて持ち運ぶことになった。
――私からも、後で話そう。
サクラは見慣れたロダの巣をぐるりと見ながらそう思った。
「ほら、横になって。今日も始めようか」
ロダがマグカップを二つ手に持ったままサクラに近づき、そう促した。
ロダが巣の横に組み上げた小さな炉でいつもこうしてお茶を沸かしてくれる。たまーに見つける獣人たちの茶葉を大事に使いながらも、サクラがこうしてロダの巣に来ると、いつも出してくれる。
「ありがとう、ロダ」
サクラがそう言うと、ロダがにこりと微笑む。
サクラはマグカップを覗く。ろうそくやランプの明かりではよく見えないが、今日は緑色だった。そのことにサクラは少しホッとする。前にロダが出してくれたいい香りがする茶色の飲み物はとんでもない味がしたからだ。ロダはおいしいと飲んでいたが。
茶葉の香りがふわりと鼻腔をくすぐり、サクラは座る前に一口飲んだ。
口の中にすうーっとさわやかな香りが広がる。疲れて曇っていた頭が、すっきりとするような味だった。
一口飲んだ後、サクラはロダの敷いたシーツの上に横になる。カップは作業台の上に置いて、うつぶせになって両肘をついて上半身を起こした。
いつかの廃屋で見つけたシーツが敷かれた藁の寝床。布に服を詰め込んだだけのクッション。そして本が積まれた作業台が、足が折りたたまれたまま置かれている。巣の天井が低くて、作業台の脚は折りたたまれたままだ。
ロダが自分のカップを作業台に置き、そしてさらに数冊の本、筆記用具にノートを置く。そしてさらに書いている物が見やすいようにろうそくを灯して置いた。
ロダがサクラの横に寝そべる。
肩が触れ合うくらいの近さで、ロダの体温と、ロダの匂いがふんわりと香る。
このまま横で寝てしまえれば気持ちがいいんだろうなと、一瞬頭に過ぎったが、ロダがにこにこと筆記用具をサクラに持たせるから、サクラはけだるい眠気を何とか飲み込んだ。
ロダが作業台の上の本を開いていく。
ロダが書いて作ったものもあれば、廃屋などで見つけた獣人の本もある。
ロダがにこにことサクラに笑いかけた。
「さあ、昨日の続きからね」




