第2話 廃屋(2)
サクラは台所を後にしてリビングに出た。
木目調の室内は朽ち果てる前はきっと居心地のいい空間だったのであろう。巨大なソファに石造りの暖炉が壁面にあった。しかし部屋の真ん中は大きくくぼみ、そこから雑草が大きく生い茂っている。
ロダとレイの声が聞こえる。リビングから繋がる廊下の端にある部屋にいるようだった。
それを横目に、サクラも何個かあるうちの、ひとつの部屋に当たりをつけて入った。
そこは寝室のようだった。
部屋の真ん中に置かれたベッドは寝具がぐちゃぐちゃに乱れており、どことなくそこに生きていたであろう者の生活感を感じて、サクラは触る気にはなれなかった。しかし大きな布はなにかと使い勝手がいい。あまり触りたくは無いが、洗う手筈が整ったら手を付けようとサクラはいったん目を逸らした。
とりあえず壁面の収納であろう扉に手をかける。
開かない。
歪んでか錆びてかはわからないが、びくりともしなかった。
今は開けるのを諦めて、サクラはベッド傍に置かれた箱に手をつけることに決めた。厚い紙でできた箱は長い年月の湿気でふやけていたが、思いのほか頑丈に作られていたのか、蓋も壊れることなく持ち上げることができた。
「わぁ」
そこに入っていたのはピンク色の美しい生地でできた服のようだった。古ぼけて黴びているが、未だ光沢があり光をキラキラと反射していた。
サクラはそっとそれを手にとり持ち上げてみた。
それはどうやらドレスのようだった。身幅は大きいけど丈だけは合うようで、肩ほどの高さまで持ち上げれば、足元までふよふよと布が揺れた。
「獣人、……の子どものかな?」
なんとなく、写真で見たあの熊の獣人の子どもが思い浮かんだ。写真の子の服に着いていた装飾は女の子の物に見えた。サクラはそれを身に当てて、一回だけ、ふわりと回ってみた。まるで桜の花びらがひらひらと舞っているように、生地がふわりふわりと空気の動きで舞った。ドレスの裾が綺麗に翻ったのが美しかったが、同時にとんでもなく黴臭かった。
「……レイに怒られるかな」
二人に見せたいなと一瞬考えたが、先ほどのレイの舌打ちを思い出して、やめた。サクラは元の箱の中にそれを丁寧に仕舞う。
少し名残惜しく思いながらも、開かなかった収納扉に手を貸してもらうために、部屋を出て二人のところへ向かった。
リビングを通り廊下に出たところで、二人の声が聞こえて、サクラは部屋の前でドアノブに手をかけようとした。しかし聞こえてきた言葉に、サクラは思わず手を止めてしまった。
「サクラにだって知る権利はあるはずだ」
ロダの声だ。いつもより低い声の調子だった。それに苛立ちを滲ませたレイの声が続く。
「だから、見つけたら連れてくればいいだろう。あいつがいれば足手まといだ。俺とロダ兄だけなら、冬が来る前にエルフの里まで行ける」
「その話は何度もしただろう。別に春を待っても構わないんだ。そのほうが危険も少ない」
話している内容に、サクラは無意識にきゅっと唇を噛み締めた。
部屋に入るタイミングを逃してしまい、部屋から離れることもできず、サクラは立ち尽くした。
「春を待っていたら、エルフがどこまで移動するかわからないだろう。隣の群れも、獣人に襲われて壊滅したから、おばばは冬が来る前にもっと森の奥深くまで移動しようって言ってる。そうすればエルフの里まで遠くなるし、エルフも移動してしまうかもしれない」
「レイはなにをそんなに焦っているんだ」
「むしろなんで焦らないんだよ。これを逃したらもう二度とこんな機会は来ないかもしれないんだぞ」
ロダの諭すような声が、少し硬さを増すようだった。レイの語調がだんだんと強くなっていく。
「そうだとしても、レイには関係ない。これは僕とサクラの話だ」
レイの息を詰めるような声が聞こえるようだった。ロダの淡々と話す言葉が、なお一層レイの心を抉っているようで、サクラは居た堪れない気持ちになった。ロダの話す言葉は、レイにとっても、サクラにとっても、自身の思いとは、どこか遠いところにあるように思えた。
「レイには感謝している。僕だけじゃエルフの里まで行けない。魔物の餌になるのがおちだ。サクラも森には詳しいけれど僕じゃサクラを守れない。レイがいてくれたら心強い」
「……俺のことはいいように使うってことか?」
「そうなるけど、レイが嫌なら、僕とサクラ二人だけで行く」
「なんでそこまでして、サクラを連れて行くんだよ」
「……置いていかれる悲しみは知っているつもりだ」
きゅっとサクラは唇を噛んだ。
二人の足手まといになるのはわかっていた。それでもロダの優しさに甘えて、ついていこうとしていた。置いていかれることが何よりも怖かったからだ。二人が行けば、二人とともに里も移動して、もう二度と会えないかもしれない。おばばはいるが、家族もいないこの世界で、ロダとレイまでいなくなってしまったら、自分は本当に一人になってしまう。
「それに、もし元の世界に帰れるのなら、それはサクラであるべきなんだ」
「それならロダ兄は俺と一緒に……!」
私だけ? ロダの言葉に、疑問が脳裏をよぎった瞬間。
ガタンと、足が何かに当たり大きな音が鳴ってしまった。はっと振り返ると背の低い本棚が倒れ、数冊の本が足元に散らばっていた。無意識に一歩後ろに下がってしまい、たわんだ床板でもともと不安定だった本棚は簡単に倒れてしまったのだろう。
部屋の中の話し声が止まっている。サクラはどうふるまうか一瞬迷った。迷うこと自体が申し訳なくなって、サクラはそのまま取り繕うことをやめて、ただ扉を開けた。
「……ごめん。聞いちゃって」
部屋の中で向かい合って立つ二人に少し距離をとりながら歩み寄り、サクラは正直に謝った。
「……お前は俺の大事な妹分だから。……もう家族を失うのはいやなんだよ」
レイの視線がサクラの視線をからめとる。サクラの意志を鑑みない、強い目だった。
うそつき。とサクラは心の中だけでそっと呟いた。
妹分なのは確かだろう。家族として失うことを恐れているのも。だが、それ以外のレイの本心もサクラはわかっていた。しかし、優しい妹分であるサクラはそれをそっと知らないままに話す。
「私にとっても、レイは大事な兄さんだよ。ロダのことも」
言うべき言葉はわかっていて、サクラは胸の奥に押し込めるように深く息を吸って、ごまかすように自然と笑みを浮かべた。
「……ロダとレイが、冬の前に行きたいのなら、私のことは置いて行っても構わないよ」
足元が頼りなく、まるで底の無い穴の上に立っているように感じた。だが、群れの中で遠巻きにされ続けたサクラにとって、身を引くことは当然のことだった。むしろ、ここまで付いてきたことが我が儘なのだ。
「サクラ……」
ロダが一歩、サクラのほうに足を進めるのを、サクラは大きくかぶりを振って否定した。
「いいの。ここまで二人と一緒に居させてもらえただけで、十分だから」
サクラは二人からさらにそっと一歩距離を取った。
拒絶される前に、自分から離れる。それが、サクラにとって心を守る唯一の方法だったが、同時に胸に鋭い棘を残した。
どこにいても、誰といても、私は必要とされない。そう思ってしまう。
いつも笑って、相手の望む表情を選んできた。ーーそれでも、うまくいかない。
(頑張っているつもりなんだけどな)
サクラは思わず心の中で自嘲した。
重くなった胸の内を相手に悟られてはいけないと、サクラは二人に微笑み返した。
「ごめんね、わがままばかり言って」
サクラは、できるだけ軽い調子で話した。
「私のことは気にしないで二人で行ってきて。何かわかったら、いつか教えてほしいな」
相手に気負わせないように笑顔で取り繕う。自分の手首をぎゅっと後ろ手で掴んだ。こんなことは、なんてことはない。そう思い込む。
サクラが二人にそう言ったとたん、突然、レイがキッと眦を上げ、肩を怒らせた。
「……っ! 俺はお前のそういうところが」
レイの拳が震えている。ぐっとサクラのほうに足を進めるのをロダがレイの肩を掴んで止めた。
「レイっ、やめろ」
サクラはびくりと体を強張らせた。レイの態度に、サクラは困惑した。なぜ、レイの言うとおりに身を引くのに、レイがこんなにも苛立つのか。理解できなかった。
サクラの前で、二人がしばらくにらみ合い、ふいに視線を逸らしたのはロダのほうだった。
「この話はまたあとでしよう。……ほら、もうすぐ日が沈む。暗くなる前に早くこの部屋も見てしまおう」
ロダの視線を追って、レイも窓の外を見る。日は傾き始め、もうすぐ橙色の光に代わるだろう。間をおいて、レイが深くため息をついた。
「……わかった」
レイがしぶしぶ引き下がる。いらだちを飲み込んだのか頭を掻いて、レイが後ろを振り返る。二人の緊張がほどけたのを感じて、サクラは二人に気付かれないようにそっと息を吐いた。
「……この床、倒れた棚の下に扉があるみたいなんだ。ロダ兄、手伝って」
「うん、いいよ」
「……私も」
「お前は危ないから下がってろ」
レイに言われサクラは手をひっこめた。広い部屋は物で溢れていて、木箱が乱雑に置かれている。多分、物置のような部屋なのだろう。棚は二個ほど置いてあり、そのうちの一つが倒れていた。倒れた棚の下敷きになっている床を見れば、半分隠れているが、鉄輪の取手があるようだった。棚をどかせば、開けることができるだろう。
二人が棚を挟んでその横に立った。
「じゃあレイ、せーのでいくよ」
「おう」
二人が巨大な棚に手をかける。三段ほどの棚は重そうだが中身が全部落ちているから、二人でもなんとか持ち上げられそうだった。
「せーのっ」
二人が力を籠めれば、巨大な棚は元居た位置に戻っていった。部屋中に埃が舞い上がる。それぞれが口元を覆って咳き込んだ。
埃が落ち着いた後、三人は示し合わせたように床の扉を見た。足を引っかけそうな重苦しい鉄輪の取っ手が、そこで鈍く光っていた。少し風が通っているのか、冷たい空気が顔の横を通った。
三人は、無意識に互いを見やり、ごくりと生唾を飲んだ。
扉の向こう、底の見えない暗がりから、何かがこちらを見返しているような気さえした。




