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第3話 地下室

 鉄輪に手を伸ばしたのはレイだった。


 レイが何度か力を込めて引くと、錆た蝶番が甲高い音を立てて、床の扉は開いた。途端に何かのこもった独特の匂いと冷たい空気がぶわりと地下から吹き上がる。カビとも違う、湿った土の香りと、どこか油っぽくて古い匂いだった。


「なんのにおいだ?」


 レイが鼻を押さえて呟く。

 それほど強い匂いではないが、違和感を抱くには十分だった。

 ロダは応えず、じっと暗がりを見つめている。

 サクラは無意識に一歩、後ずさった。


――行きたくない。


 理由はわからないが、なぜかサクラはそう思った。地下から吹きすさぶ空気が、サクラの足をひるませた。言いようのない感覚に、サクラは腕をさする。


「……なあ、サクラ」


 ふいにレイから呼びかけられて、サクラは顔を上げた。レイのほうを見るが、レイは扉の奥を見つめたまま、淡々と言葉をつづけた。


「お前は、欲しいもんはちゃんと欲しいって言え」

「え……?」


 先ほどの話の続きだろうか。どこか脈絡のないレイの言葉に、サクラは思わず聞き返した。


「そうでないと」


 レイの真剣なまなざしが、サクラの視線をとらえる。そこに滲む、何かの諦観を感じてサクラは戸惑った。


「そのうち……、全部取りこぼすぞ」


 そう言い切ると、レイは視線を外し、また眼下の扉へと顔を向けた。


 どこか確信を持ったレイの言葉が、サクラの胸をざわめかせた。レイが何を伝えたいのかもわからないまま、レイがすっとサクラから視線をそらしてしまう。どうして、そんなことを言うのか、サクラが訊ねる隙も与えず、レイはすぐいつものレイに戻ってしまった。


「降りるぞ」


 迷いのない声でレイがそう言い、何事もなかったかのようにレイが、下に見える踏板へと足を下ろした。腐っていないか慎重に確かめながら、自身の体重をかけ、安全が確認出来たら、暗がりへと躊躇なく降りて行った。


「先行ってるぞ」


 ずんずんと先へ行くレイが頭をかがめて、下へと降りていく。

 頭の中で、レイの言葉が何度も反芻する。行きたくないと、二人に懇願するべきなのだろうか。サクラは言いたい言葉も思いも飲み込んで、先ほど感じた違和感に、ただ足を竦ませ、立ち尽くした。

ロダがサクラの様子に少しだけ目を細めた。


「……怖いなら、サクラはここで待っていて」


 優しい声だった。だが、その言葉にサクラの胸はざわめいた。

 

――置いていかれる。


 先ほどまでの二人がしていた会話が頭の中でよみがえり、感じた不確かな予感よりも、置いていかれる恐怖のほうが勝った。


「……私も行く」


 不気味な感覚を飲み込んで降りる決断をした。

 サクラは扉から地下を覗き込んだ。

 どこかに光源があるのか、薄暗いが、地下とは思えないほどよく見えた。底へと続く木材で出来た階段があり、その先にはゴロゴロとした石積みの壁が見える。


「……風があるから、ガスとかも心配無さそうだね」

「さっさと降りて来いよー」


 地下からレイの声が聞こえた。

 ロダが、わかったとレイに返事をして、レイと同じように慎重に踏板へと足を下ろして地下の階段を降り始める。床板に頭をぶつけないように背をかがめて、それから少し降りた先でサクラの方を振り返った。


「手すりがないから、僕の手を掴んで」


 ロダがにこりと微笑みかけ、サクラへと手を伸ばす。サクラはかぶりを振って遠慮した。


「いい、……大丈夫」


 これ以上、二人の足手まといにはなりたくない。

先ほどは置いて行っていいとは言ったが、本当は二人と一緒にいたい。役に立てなければ、捨てられる気がして、ロダの優しさは、今は受け取ることがサクラにはできなかった。


 そっか、とロダがさほど頓着なく、すぐに手を戻す。気を付けて、とサクラを気遣い、ロダはそのまま地下へと降りた。サクラもそれに続き、階下へ足を伸ばす。ギイギイと軋む音を立てながらも、踏板は折れることなくサクラを受け止めた。


「ロダ(にい)、……これなに?」


 レイの声が聞こえ、階段を下りながらサクラは階段下を見た。

思ったよりも広い空間が広がっていた。

地上の家の半分程度はあるだろうか。天井は低く、太い柱と石積みの壁が上階の家を支えているようだった。東側のほうに吊り下げ式の門扉があり、片方が傾いで隙間が空いている。風はそこから来ていたのだろう。

 さらに奥のほうにも窓があるのが見えた。薄暗いが、室内は地下とは思えないほどよく見えた。東側は地上に開け、反対側は山の斜面に埋もれているらしい。


 そしてその隙間から洩れる光に照らされ、巨大な塊が、サクラの視界に大きく映った。地下室のほとんどを占領した塊は、丸太のように丸いものがその巨体を支え、分厚い埃をかぶって白くなっていた。


「……ああ、車だね。人を乗せて走るんだ」


 ロダが事も無げにレイの問いに答えた。


「くるま? 鹿みたいに乗るのか?」

「中に入るんだよ」


 ロダの言葉で、サクラは思い出した。

 ここに転移する前、何度も乗った覚えがおぼろげながら思い起こされた。すこし雰囲気は違うが、車体とタイヤのついたそれは、見覚えのある車の形をしていた。

 レイが車の周りをしげしげと眺めながら、ぐるりと歩く。


「へえー、すごいなあうわっ!!」

「レイっ!」


 車の向こう側に歩いて行ったレイがふいに声を上げた。

ロダとサクラはすぐレイのところへ駆け寄ると、レイがバツ悪そうに頭を掻いていた。


「大丈夫だ、ちょっと驚いただけだ。……ほら見ろよ」


 レイが顎で示すので、ロダとサクラはその後ろを見やった。

それを認識したとたん、サクラはびくりと身を固めて、思わず眉をひそめた。無意識に口に手を当てる。


「……獣人、かな」


 冷静なロダの言葉にサクラは肯定も否定の言葉も出なかった。

 


 ――椅子に、誰かが“座っている”。そう見えた。



 西に傾いた日が、東向きの窓からわずかに漏れる薄暗い地下。

 その奥に薄ぼんやりと見える黒い塊。


 目を凝らすと、椅子に座ったまま動かない“何か”が――そこにいた。


 暗がりに目が慣れれば、それが形は人に似ているが、すべてが決定的に違うことが分かった。


 ――沈み込むように、椅子にもたれかかった姿勢で座った誰か。


 項垂れるように首を垂れているが、頭があるはずの位置にあるのは乾いた牙が並んだ白い塊。落ちくぼんだ空洞の眼窩が見えて、――ようやくそれが“頭蓋”だと気づいた。


 頭頂部にかろうじて残った皮膚は人間の頭髪などではなく、明らかに獣の毛皮だとわかるものだった。


 それだけならば、奇妙な獣が、椅子に座って死んでいるにすぎないのだろうが。なぜかその死体は衣服を着ている跡があった。ところどころ大きくほつれた服の残骸が、腕や、足の骨に沿って筒状に残されている。溶け出たなにかと毛が服の切れ端と混ざり合い、土のような塊になって足元にある。そこから広がる黒いシミを踏む気にはなれず、自然と足が止まる。


 森で、動物の死体にも見慣れているサクラにとっても、妙な薄気味悪さを感じて、息を吸うたびに胸の中にむかむかとした何かが込み上げた。その何かをこらえるように、サクラはきゅっと喉元を手で押さえた。


 ロダがサクラのように臆したりせず、一歩前に出て、距離を取りながらそれをしげしげと観察しはじめた。


「……やめろって、ロダ兄。けだものなんかほっといて、他の物探そうぜ」


 レイも同じように忌避感を感じているのだろう。ロダをそう言って止めたが、ロダの様子は変わらなかった。


「この死体、争った様子ではないね。なんで死んだんだろ……」

「聞いてないし」


 ロダが口元を押さえながら、首だけを伸ばして距離を取りながら、死体の様子をしげしげと眺め続ける。足元に残った何かを見て、ロダの動きが急に止まった。


「……ロダ?」


 何か見つけたのだろうか。動かないロダに、サクラは後ろから声をかけたが、ロダの返事はなかった。

 先ほどやめろとロダに言いながらも、ロダの横に立ち、同じように死体を眺めていたレイが、ふいに声を上げた。


「お、こいつ何か持ってんじゃん」


 死体の前なのにどこか軽薄にそう言い、レイが死体の足元に引っ掛かっている、長い棒のようなものに手をのばした。


「さわるなっ!」


 語尾が震えたような大きな怒声に、サクラはびくりと身を縮こまらせた。

 声はロダが発したものだった。いつも穏やかなロダの、こんな感情をにじませたような声は初めてだった。

 レイも隣から発せられた怒声に肩をびくりと跳ね上げ、その後、恐る恐るとロダのほうを見た。


「……っくりした。どうしたんだよ、ロダ兄」


 レイが少し苦笑いをしながらロダの様子をうかがい、サクラもロダの横に立ってロダの表情を覗き見た。ロダの表情はいつもの穏やかなものと違い、固くこわばり、何かを思案しているようだった。ぶつぶつと考えていることが口から洩れているが、よく聞き取れなかった。


「ロダ、どうしたの? 大丈夫?」


 サクラはそっと、ロダの背に手を添えると、はっと気づいたのか、ロダがサクラを振り向いた。さっと、いつもの穏やかな笑みが戻った。


「危ないから、触らないほうがいいよ。レイも」


 そう言って、ロダが後ろを振り返る。サクラとレイを交互に見ながら言葉を続ける。


「あまり、見ていても気持ちのいいものじゃない。早く帰ろう。もう、大体の物はさがしただろう?」


 先ほどとは打って変わって、ロダがそそくさと足を進めようとするので、レイがその肩をがしりと掴んで止めた。


「待てって。これが何か話してから行けよ」

「まあいいじゃんなんでも」

「よくないっ」


 どこかおちゃらけたように、にこにことそう言うロダに苛立ったのか、レイがキャンキャンと噛みついて言う。サクラもレイに続いてロダに問う。


「……危ない物なら、何か教えてよ。これからもあるかもしれないし」

「……」


 ロダがサクラを振り向いた。

 なぜだろうか。そこに一瞬冷たい光が宿った気がして、

 ロダが柔和な表情で顎に手を当てて、うーんと考えるそぶりをする。


「うーん。……見つけても絶対に触らない。見つけたら僕に必ず言うって約束できるならいいよ?」


 サクラは死体に立てかけられるようにある、その変わった形の棒を見た。

黒く光沢のある筒に木材のような取手? が付いている。この世界で見たことがない物だった。だが、どこかで見覚えがあるような気もした。

 サクラは記憶を探るが思い出せなかった。

 こういった時、これが何か聞けば、ロダはそれを嬉々として教えてくれた。それなのに、こうして教えるのに条件を付けるのは初めてのことだった。

 よほど何か理由があるのだろう。そう思い、サクラはロダに頷いて見せた。


「わかった、いいよ」

「俺もそれでいい」


 レイも一緒に同意するのを見ると、ロダが視線をその棒に落として話し始めた。


「――これは“銃”っていうんだ。誰かを傷つけたり、……場合によっては命を奪うものだよ。中から発射されたものが、相手の体を貫くんだ」


 “銃”。

 どこか聞き覚えがあった。見たこともある気がする。

 サクラはその足元にある銃を観察した。画面の向こう側で見たような、おぼろげな記憶が確かにあった。目の前にあるその銃は、転移する前に見たものとほとんど同じように思える。

 レイがロダの言葉にわずかに首を傾げた。


「それは、……ロダが作ってくれた弓のようなものか?」

「それよりも強力で、射程距離も長いんだ」


 ロダの発明する武器を一番楽しみにしているのは、いつもレイだった。

 案の定、レイの目がきらりと輝いた。


「すっげえ便利じゃん! 持って帰ろ、」

「だめだ」


 レイが再び銃に手を伸ばしかけるのをロダが鋭い口調で止めた。

 レイが顔をしかめる。


「なんでだよ?」


 不服そうに頭の後ろを掻きながら、レイがぶらぶらと体を揺らした。

 ロダはこれまで、たくさんの知識で、群れにいろんな恩恵をもたらしてくれた。これがダメな理由が、サクラにはよくわからなかった。


「なんでダメなの?」


 純粋な疑問から、サクラはロダに聞いた。ロダの表情の変化が、先ほどとは違い、わからない。ただ、ロダがここではない、どこか遠くを見ているように、サクラには感じた。

 ロダが緩く首を振る。


「さっきも言ったけど危ないんだ。持っているのも良くない。とにかく、触らないんだよ」


 そう言い切って、ロダはその銃から背を向けた。

 そしてサクラとレイの前で、パンと両手を打ち付けて音を出した。


「さ、この話は終わり。日が暮れてきたから帰ろう。レイも、僕に黙ってこれ持ってきちゃダメだからね。触れば暴発して、指が吹き飛ぶかもしれないよ?」

「……触んねえよ。約束破るのは群れの恥だっての。それに、どうせこんなとこに置いてあったやつなんか、壊れて使えないだろ?」


 レイの言葉に、ロダが地下の外のほうを見たまま、頷く。


「そう、……どうせ使えない。――とりあえずほら、今日はもう帰ろう」

「だな。しかし、座ったまま死ぬなんて呑気なやつだな。病気したり、怪我したんなら寝てればいいのに。なんか警戒してたのか?」

「…………そうだね」


 ロダが踵を返して、吊り下げ式の大きなドアの方へ行った。レイもそれについて行った。サクラも歩き始めるが、ほんの一瞬振り返った。


 ――壊れている、のだろうか。


 サクラは銃に視線を落とした。

 この家にあるどの道具も古ぼけており、使うことが出来なかった。しかし、それはどちらかというと、ロダの言っていた通り人間だから使えないのだろう、とサクラは思っていた。むしろこの長く重厚感のある銃は、鈍く黒光りし、薄汚れたその表面を拭えばすぐにでも使えそうな光沢がそこにはあった。


 レイはロダの知識を頼りにしているところがあるが、前の世界の話しについてはあまり聞きたがらない。ロダの話しを取りこぼしている事も多い。ロダから獣人の道具と“魔力”について聞いていないのなら、後で教えてあげよう。サクラはそう心の中に留めておいた。


「サクラ、早く来いよっ」


 レイが呼びかけているのが聞こえる。

 二人掛かりで扉を開けたのだろう、鈍い音が先ほど見た巨大な作業扉のほうで聞こえ、地下室にさらに明かりが差し込んできた。


 死体に、東向きの扉から差し込む、日が暮れた西日のぼんやりとした光がかかる。

 先ほどよりもはっきりと、その姿が浮かび上がる死体に、哀れみとも恐れともつかない感情がサクラの心に影を落とすようだった。わずかな罪悪感を残して、サクラはその死体から目を逸らした。


 翳り始めた地下室の中で、永遠に孤独のまま置かれた獣人が、死してなお何かを訴えてくるような気がして、サクラは、振り返らないようにして足早に二人の後を追った。


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