第7話 日常(1)
草を重ねた屋根は明り取りもなく、巣の中はまだ夜を残したように薄暗い。
それでも、たくさんの人の足音や、声、鳥の鳴き声で、サクラは目を覚ました。
大人たちの話し声、子どもたちの笑い声や駆けまわる足音が聞こえる。
ぶるりと肩を震わせて、サクラは上掛けをかぶりなおそうとしたが、隣におばばがいないことに気が付く。サクラはがばりと体を起こした。
「……寝坊したっ」
低い天井に身をかがめてばたばたと移動しながら、寝巻にしている古びたシャツの上から、腰に毛皮を巻きつける。それから、寝ている間にぼさぼさになった髪を手櫛で直し、革ひもで雑に一つに結い上げた。
入り口を塞いでいた藁の束を動かして、サクラは外に出た。
途端に東の山から半分顔を出した日差しが目を突き刺してサクラは目を細めた。
秋口の空気は冷たく澄んでいて、サクラは入り口から顔をのぞかせながら、肺いっぱいにその空気を吸い込んだ。鼻の奥がつんとする冷たさが心地いい。
未だ眠たい瞼を何とか開かせながらあたりを見回すと、すぐに焚火の前に座るおばばの姿を見つけた。
入り口から這い出て、サクラはおばばの元に向かう。
「ごめんおばば、寝坊しちゃった」
「……いいから、はよう連れてけ」
不機嫌な顔のまま、おばばがぼそりとそう言う。
わかったと頷きながら言い、サクラは群れの端にある捨て場まで、おばばの用足しのために連れて行った。そしてその足で、いつものようにおばばを広場まで連れていく。
広場にはもう焚火が焚かれていた。昨日と同じ場所におばばを座らせる。
お日様はもうすでにすっかり顔を出していて、群れの大人たちもぱたぱたと動き始めていた。
自分も早く動き始めないととサクラはおばばのほうを振り返る。
「今日は洗濯してくるね。昨日、結構汚しちゃったから」
行ってくる、とサクラがおばばに背を向けようとすると、おばばに呼び止められた。
「……昨日は、どこに行っていたんだ?」
今になって? と、サクラは疑問に思うが、おばばの問いに素直に答えた。
「えっと、森の奥の廃屋まで……。山の中腹の、地下室もある家だったよ」
そこまで説明して、サクラは脳裏に一瞬、あの白骨死体が蘇った。それを誤魔化すように腕をさする。
昨日着ていた服や毛皮がどことなく臭い。埃っぽい匂いとすえた油の匂い。
まだ洗うほどでもないが、昨日の痕跡をなんとなく消してしまいたかった。
「…………そうか」
おばばがそう呟き、それから深くため息を吐いた。
「……そうか」
なぜかおばばは、もう一度同じ言葉をつぶやいた。
どこか様子がおかしいおばばが気になり、口を開きかけたが、それよりも先におばばがまた口を開いた。
「まさか、……群れを出ようなんて思ってないだろうな?」
びくりと体が強張りかけるのをサクラは抑える。
昨日も廃屋で道具を集めて、エルフの里に向かう準備をしていました、なんて、おばばに言えるはずもない。
「……ロダの本とか、群れで使えそうなもの探していただけだよ? 冬になる前に、もっと布が必要でしょ? 大きな布も見つけたから、今度またとってくるよ。それに食料ももっと集めたいし、……おばばは、私が行く必要ないって言うかもだけど」
後ろめたさからか、口から言葉がぼろぼろとこぼれる。
ーー帰れるなら、帰りたい。
もう両親の顔も妹のこともよく覚えていないけれど。
でも、ただ黙っておばばを置いていくこともできない。
それだけは思っていた。
――いまはただ、ロダとレイが行きたいなら、ついていきたいだけだし……。
我ながら主体性がない願いだと、サクラは心の中で自嘲する。
おばばがじっと、自分の顔を見ていることに気が付いて、サクラはびくりと肩を強張らせた。
「…………無駄なことはするな」
そう一言だけいい、おばばはサクラから顔を逸らした。
(無駄、ってなんだろう?)
ロダの本のことかな? とサクラは考えて、「わかった」とだけ答えて歩きだす。
「………………地下には、……誰かいたかい?」
サクラの後ろから、ぼそりとおばばの声が聞こえた。
振り返って再びおばばを見る。
焚火をじっと見たままのおばばの姿。
「……誰もいなかったよ?」
とっさに、そう噓を言ってしまった。
白骨死体のことを“誰か“と言えばそうなのだろうが。
なぜだか、あの地下室のことだけは、誰にも話してはいけないような、そんな忌避感のようなものがどこかにあった。
「…………そうか」
またしてもおばばはそう呟いて、今度こそそっぽを向いてしまった。
焚き火を見つめるおばばの小さな背中。
どことなく不安な気持ちを抱えたまま、サクラは洗濯物を取りに行くために、おばばに背を向けて、歩き出した。
―――
巣から洗濯籠を持って、群れ全体の洗濯物も追加して、サクラは川べりに降りて洗濯を始めた。
秋になれば水も冷たい。
冬よりはましだが、それでも指がしびれるような冷たさだった。
服をよく濡らして、水場に置かれたままの洗濯棒を手に取り、灰を撒き、叩き始める。
茶色く濁った水がどんどんと川に流されていく。
濡らして灰を撒いて叩いて。たくさんある洗濯物をどんどん洗っていく。すすぎは後でするから端にまとめて寄せておく。
おばばと自分の服はそうやって簡単にきれいにしていった。
群れ全体の洗濯物は灰を煮出したお湯に一晩浸けていたもので、汚れなんかが強いものはこうしている。それを川の水に浸して、また洗濯棒で何度も叩いた。
遠くの方で他の人たちが仲良さげに談笑しているのを聞きながら、サクラは黙々とひとり手を動かしていく。
「ばあっ!!」
「わっ!!」
突然、背中に何かがぶつかり、サクラは声を上げた。しゃがんでいた体が川に倒れこみそうになって慌てて手をついて支える。
パッと後ろを振り返る。小さなリルが、満面の笑みでこちらを見ていた。
「ばあっ!!」
にこにことリルが同じ事を言う。脅かすことに成功してご満悦なのか、リルはサクラの背中にぐりぐりと鼻先をこすりつける。サクラの顔を見て、嬉しそうに笑うので、サクラも自然と笑みが溢れた。
「そうだね、ばあだね。びっくりしたよ?」
「さくねえっ!! あーそーぼ?」
リルは舌ったらずな言葉でサクラを遊びに誘う。
サクラお姉ちゃんが言えないリルは、いつも『さくねえ』と呼ぶ。たぶん、レイがロダのことを『ロダ兄』と呼ぶのも真似しているんだろう。
「ふふふ、ごめんね? 洗濯物しないと」
さすがに濡れたままの洗濯物をそのまま置いてはおけない。
サクラがそう言ったとたん、リルがガバリと顔をあげた。ぶうっと頬を膨らませて不満を露わにするさまは、まるで古木リスのようでなんとも愛らしかった。
「あーそーぶーうー! さくねえは、リルと、あそぶ!」
サクラの背中の服を引っ張って、リルがイヤイヤと駄々をこねる。
遊んであげたいのはやまやまだが、早く洗濯物を洗い終えて、日が出てるうちに乾かしてしまいたいサクラは困ってしまった。
「リルごめんね、せんたく、おわったあとでもいい?」
サクラがそう言うと背中の服を引っ張っていたリルは、しばらくして我慢することに決めたのか、ムウッと顔をしかめながら、サクラに正面から抱き着いた。サクラも優しく抱きしめ返す。
リルの体は小さくてぽかぽかで柔らかくて。サクラは胸の内がどこか暖かくなるのを感じた。このまま思う存分ぎゅっとし続けられたらいいのになあとサクラは思った。
「こらリルっ! お仕事の邪魔はしないんだぞ」
突然、頭上から声がして影が差した。
見上げた先にいたのはレイだった。
弓を肩にかけて毛皮を着こんだ姿だった。たぶん、狩りと周囲に異変がないか見回りに行くところなのだろう。群れの出入り口には、同じような格好をした男たちが集まっているのが遠目に見えた。
「みんなと遊んでな? 焚火周りでまたおばばがお話ししてるぞ?」
レイがそう言うと、リルがガバリと顔をあげた。
おばばのお話が大好きなリルは、行ってくるとも、さよならとも言わないで、そのまま広場に向かって走り出した。
「転ぶなよー!」
レイがとてとてと走るリルの後姿に向かってそう声を掛ける。リルはもう聞こえていないようで、そのまま行ってしまった。
かわいいなあ、とその姿が見えなくなるまでつい目で追ってしまう。
少しそうやってにまにまと笑って見ていたが、はっと洗濯している途中だったとサクラは思い出して、洗濯棒を持ち直す。と、視線を感じた。
再び上を見上げると、レイと視線がかち合った。
そういえば、隣にいたんだったと、サクラは思い出す。
レイの視線が、じっとサクラを見ていて、なにか怒られるようなことをしただろうかとサクラはどぎまぎした。
「な、なに?」
「お前……、また顔に隈ができてるぞ」
ばっと顔に手をやって目元を押さえる。
昨日、ロダのところで夜更かししたことは、たぶんレイも気づいているのだろう。レイが深くため息を吐いた。そのため息の音にサクラはびくりと肩を震わせた。
「お前さあ……、他のやつだってその半分くらいしか洗わないぞ? 押しつけられんなら、押し付け返せよ」
「だって……」
隈だけでなく、洗濯物の量にまで話しが及ぶ。
もごもごとサクラは言い訳を口の中で回そうとするが、上手く出てこなかった。
やらなきゃいけないことはたくさんある。みんなそうだ。サクラがほかの人よりは手が空いているのは事実だし、寝不足なのもほかの人にとっては関係ない。自分がやれることなんだからと、サクラは他の人の分まで、いいよと言って受け取ったのだ。
ふいレイの手がサクラの顔に伸びた。
隈を隠すように当てていたサクラの手の甲に触れ、そのまま無遠慮に、サクラの指ごしに隈をなぞる。
それからもう片方の頬へ手を移し、軽く頬を押さえ、そして親指の腹で目元の隈を何度も撫でてきた。それで隈が消えるわけでもないのに、レイの親指はごしごしとそこを撫でる。
優しいような、雑なような手つき。
なんでそんなことしているんだろう? と疑問に思いながらも、特に嫌でもなくて、レイのしたいようにさせようと、無意識に、サクラは両目を閉じた。
レイの指が止まった。
「……………チッ!」
特大の舌打ちが聞こえて、思わず目を開ける。
レイが苦虫を噛み潰したような顔で視線を逸らしていた。
頭をガシガシと掻いて、大きく息を吐くと、なぜかそのままサクラの隣にレイもしゃがみ込んだ。
レイがおもむろに口を開く。
「…………お前さあ、前はもっとこう、…………じゃじゃ馬だったじゃん?」
「はあっ?」
レイの突然の暴言に、サクラは思わず声を上げた。




