第6話 ロダの”家”(3)
いつものように、勉強会の片づけをしていく。
サクラは頭の中でもんもんとロダの言葉を反芻しながら手を動かす。
――どうして私だけ……。
ロダは、レイといるときのほうが楽しそうなのに。
一緒に何か作って、走り回っているほうが、ずっと。
――私を見るロダの目、……なんでだろう、なんだか怖い。
あんなにやさしいのに。
ロダの気持ちがわからない。それが怖い。
ロダは、私に何を見ているんだろう。
わからない。
――私が同じところから来た子だから?
そう考えるが、どうもそれだけではないようにも思えた。
――ロダはどうして……。
ふいに本を戻しているサクラの手に、ロダの手が触れた。
サクラはパッと手を引く。横を見てロダと視線が合う。
ロダは少しだけ驚いた顔をしていたが、すぐにいつものように微笑んだ。
「……その本、まだ読もうと思ってね。貸してくれる?」
サクラは頷いて、ロダに渡した。
手に持っていたのは、先ほどまで読んでいた恋愛小説だった。
紙は黄ばんで、端のほうはくしゃっとしている小さな本。
「面白そうだし、持ち運びにも便利そうだよね。……持っていこうかな?」
ロダがそう言う。
「持っていく」とは、3人でエルフの里を探しに旅立つ時のことだろうと、サクラはすぐに理解した。
今日、廃屋で見つけた使えそうなものも、誰にも見つからないように群れから離れた木の上に隠してある。いつでも出発できるくらい、旅支度は着々と進んでいた。
3人分。食料と道具。
少しの着替えと武器。
――『サクラだけでも連れていく』
廃屋で聞いた、あの言葉が蘇る。
サクラがまた、深く思考にはまっていると、ロダの顔がずいっと近づいてきて、サクラはびくりと体を強張らせた。
ロダが少し首を傾げた。
サクラの顔をじっと見つめる。
「……僕たちも、鼻先で、触れ合ってみる?」
ぐっと近づくロダの顔。
長いまつ毛の奥、つやつやの黒い石のようなロダの瞳。
――『鼻先を見つめていたい』
先ほどの小説の一文が頭に過ぎった。
(はっ、鼻!?)
サクラは思わずばっと鼻を両手で覆った。
その瞬間、ふっと空気が緩んで、ロダが口元に手を当てて、こらえきれないようにふふと笑った。
サクラはからかわれているんだとわかった。むっと口を尖らせる。
「し、しないっ!」
そう言って、ふいっと顔をそむけた。
気持ちをごまかすように、サクラは置かれていた作業台に手を伸ばした。
壁の端のほうへと移動させるために力を籠める。
「ああ、それは僕が運ぶから」
するとすぐにロダも手を貸してくれて、ぐいっと持ち上げて、むしろ取り上げて、サクラの代わりに運んでくれる。
「……あ、ありがとう」
サクラはぼそりとお礼を伝えた。
他に後片づけるものはないかと、周りを見回す。だが、もう手を付けるものは何もなかった。
手持ち無沙汰になったサクラは、自分の腕をさする。
この場にいるのが、どことなく気まずかった。
「……今日は帰るね。勉強教えてくれてありがとう」
サクラは扉のほうに振り返って帰ろうとした。
外へ続く扉まで、足を進める。
「……サクラ」
ロダに呼び止められて、サクラは足を止めた。
振り返ると、ロダは何か考えるようにサクラを見ていた。
すぐにふっと目元を緩めて、いつものように微笑んだ。
「今日、……いつもと違うね」
そう言って、ロダが一歩サクラに近づいてくる。
こうやって近づくと、自然と見上げるような形になることを、サクラはいま意識した。
いつの間にか、ロダは自分よりも大きくなっている。
身長も、体格も。
今までそんなこと、気にも留めていなかったのに。
――『レイが嫌なら、ロダでもいいだろう』
なぜかおばばの言葉が頭の奥で蘇った。
その意味を思い出した途端、サクラは顔が熱くなって、とても居た堪れなくなった。
サクラはかぶりを振ってロダの言葉を否定した。
「なんでもない。……おばばに変なこと言われただけ」
おやすみと言ってサクラは巣の外へ出る扉に手をかけた。
扉に、なぜかロダの手も添えられる。
「おばばって?」
ロダの声が背後からする。
「別に何も……」
「おばばが、何?」
ロダが、穏やかな声のまま、もう一度尋ねてくる。
逃がしてはくれないような雰囲気に、サクラはしぶしぶ半身だけ振り返って言葉を続けた。
「おばばが、……群れの一員になりたいなら、子ども作れって」
「…………は?」
低い声が、頭上から落ちてきた。
サクラはびくりと肩を震わせた。
その一言だけで、部屋の空気が変わる。
こうした圧迫感は、好きじゃない。
「誰と?」
ロダの声が低い調子のまま、さらに問いかけてくる。
答えようとしたサクラは、喉の奥がつかえるような感覚に襲われて、無意識に喉元へ手をやった。
「まだ、……決まってないけど」
サクラがそう答えると、ロダは黙ってしまった。
しばらくの沈黙が、重い。
ロダの体が、ほんの少しだけ、サクラに近づいてくる。
「……断ればいいじゃないか」
少しだけ、いつもの声の調子に戻る。
ロダと扉の間に挟まれて、サクラは身動きが取れないまま、ロダに問い返した。
「ロダは、群れの一員になることを考えないの?」
群れの中にいれば、いつかはそういう話になる。
ロダもレイも、サクラも。もうほとんど大人だ。きっとロダだって、そう声はかけられているはず。
「子どもなんか作るわけないだろ?」
珍しくロダが即答する。
その言葉には迷いがなかった。
むしろ、冷たく切り捨てるような響きがあった。
サクラは、何も言えなくなった。
また、重たい沈黙が落ちる。
「……サクラは、子どもほしいの?」
ロダの声は冷たい響きのままだった。
喉元に添えた手に、きゅっと力が入る。
「…………考えたことない」
欲しいとも、欲しくないとも思えなかった。
レイとロダが嫌いなわけではない。
ただ、群れの中に居場所を作るには、そうするんだとおばばに言われただけ。
そこに、サクラの意思はまだなかった。
また、静かな沈黙。
「…………そっか?」
ふいにロダがそう明るい声で返してくる。
ぱっとロダの体が離れた。
サクラが、いままで見られなかったロダの表情を見上げると、いつもの柔らかい微笑みを浮かべていた。
いままでの空気が、まるで何もなかったかのように変わる。
「今日はもう遅いから、休もうか。……送っていこうか?」
「……大丈夫」
サクラはそう答え、扉に手をかけた。
ロダは「そう?」とだけ返して、いつもみたいに微笑んだ。
ロダがひらひらと手を振った。
「おやすみ、気を付けて」
「おやすみ」
ロダに見送られながら、サクラは自分の巣に向かって歩き始めた。
来た時と同じように、群れの囲いの端をなぞるように。
振り向かなかったが、それでも、ロダの視線は背中に感じていた。
――――
途中から、サクラは走り出した。
言いようのない気持ちを、振り切るように。
それぞれの巣の間を縫うように、足音を立てないように気を付けながら。
みんなを起こさないように、息遣いまでひそめて。
月が高く昇って、長い影が伸びていた。思ったよりも、ずっと遅い時間になっていた。
おばばの巣が見える。
焚火の火も。
一瞬、おばばが珍しく消し忘れたのかと思ったが、すぐに違うことに気が付いた。
焚火の前に、おばばがいつもの場所に座っていた。
サクラは息を弾ませながら、駆け寄った。
「……なんだい。走ってきたのかい?」
おばばのぶっきらぼうな声。
その声を聞いて、なぜかサクラは泣きたいような気持になった。
「……おばば、まだ寝ないの?」
自分の気持ちを誤魔化すように、サクラはおばばに当たり障りなく聞く。
おばばがふんと鼻を鳴らした。
「お前がまた大きくなりよって。……前のじゃ入らんだろう」
おばばがぼそりとそう言う。
そこまで言われて、サクラはやっと、おばばが一日中、何を編んでいたのか気が付いた。
サクラは、なんだか胸がいっぱいになった。
サクラは何も言わずにおばばの横に無理くりに座った。
丸太の上は狭くて、お尻が半分落ちそうだが、構わずに座る。
おばばの小さな肩にほんの少し頭をのせた。
「なんだ邪魔だ、はよう寝ろ」
うざったそうにおばばが肩を動かすが、サクラは構わず目元をくりくりとおばばの肩に擦り付ける。
ふううと、おばばのため息が聞こえ、またおばばが編み物の手を動かし始めた。
おばばが手を動かすたびに小さく肩が揺れて、サクラはそっと目を閉じた。
ぱちぱちと薪がはぜる音と、おばばが糸をするすると伸ばす音が聞こえる。
おばばの干した草のような香りが鼻をくすぐる。
かさかさと音を鳴らす服の毛皮の向こうで、おばばの骨ばった軽い身体を感じる。
寄り掛かりきれば、簡単に傾きそうな、おばばの細い体。
サクラは頭をのせたまま、自分の体重をほとんどかけないように気を付けながら、おばばが寝るぞと声を掛けるまで、そうやっておばばの横に居続けた。
ほんのり暖かいおばばの体温が、冷たくなった指先まで、ゆっくりとしみ込んでいくようだった。




