24話(暴かれた嘘)
マリアンヌがジョアンナの元から帰ってきた日の夜。
彼女は父の執務室へ呼ばれていた。
「マリアンヌ」
「はい、お父様」
「先ほど、侯爵家の奥方から妙な手紙が届いたのだが……」
「え?」
その瞬間、マリアンヌの胸がドキリとした。
「侯爵家の奥方とは、ジョアンナ様のことですか?」
「ああ。先日の夜、ルカ殿が我が家に招かれたことへの礼だそうだ」
「……」
マリアンヌは、息をするのも忘れそうになった。
(まさか……)
「それで、お父様はなんとお返事を?」
「もちろん、そんな事実はないからな。『何かのお間違いかと。私どもは侯爵様をお招きした覚えはございません』そう返事をしておいたよ」
「……そう、ですか」
なんとか笑みを浮かべたものの、声はわずかに震えた。
(どうして……?)
ジョアンナが、父に手紙を出した。
それだけのことなのに、背中に冷たい汗が滲む。
(あの夜のことを、確かめるつもりだったのね……)
それもそのはず、ルカが伯爵に呼ばれたという話は、そもそもマリアンヌが作った嘘なのだから。
だけど、ジョアンナが直接、行動に移すとは思いもしなかった。
「マリアンヌ?」
「……はい?」
「どうした? 顔色が悪いようだが」
「い、いえ。少し疲れているだけですわ」
彼女は慌てて微笑んだ。
「そうか。ならば、今日は早く休みなさい」
「ありがとうございます、お父様」
マリアンヌは一礼すると、急いで執務室を出た。
扉が閉じた瞬間、笑顔が消える。
(まずいわ……)
廊下を歩きながら、必死に考える。
(ジョアンナ様は、どうしてお父様に確認したの?)
もしかすると、あの時の自分の態度で何かを察したのかもしれない。
確かに、焦って帰ってしまった。
それに、クリスティアナとの関係についても聞かれた。
(まさか、全部気づかれた……?)
胸が早鐘のように鳴る。
(いいえ。そんなはずはないわ)
マリアンヌは、ふと足を止めた。
(ジョアンナ様は、あの夜に何があったのかまでは知らない)
そうだ。父がルカを呼んでいなかったことが分かっただけ。
自分とクリスティアナが裏で繋がっていたことも、睡眠薬を使ったことも知られてはいない。
(……そういえば、クリスティアナ様は、私が勝手にジョアンナ様を訪ねたことを知らない)
一瞬、胸がざわつく。 知られれば、きっと怒られる。
だけど、今のところ何も言われていない。
(なら、まだ大丈夫)
マリアンヌは満足そうに目を細めた。
(それに……ルカ様は、本当のことを話せない。ジョアンナ様を傷つけたくないから)
その弱さこそが、彼の隙だと彼女は知っていた。
(私は何も知らないふりをしていればいい)
ジョアンナが疑い続けるほど、夫婦の間には見えない亀裂が広がっていく。
(焦る必要なんてないわ。私は、その時を待てばいい)
しかし、その一方で、ひとつだけ気がかりなことがあった。
(やはり……クリスティアナ様には知らせるべきよね。大丈夫。私が勝手にジョアンナ様を訪ねたことは言わなければ、ばれないわ)
今回のことを知れば、きっと彼女も何か手を打つはずだ。
マリアンヌは急いで自室へ戻ると、扉を閉めた。
(クリスティアナ様はどう動くのかしら……)
そして、誰にも見られないように、ゆっくりと笑った。
(……ここからが本番よ)
────
マリアンヌは自室へ戻ると、すぐに机へ向かった。
引き出しから便箋を取り出し、ペンを手にする。
そして、誰にも見られないよう、クリスティアナ宛ての手紙を書き始めた。
『先ほど、お父様から伺ったのですが、ジョアンナ様から先日の夜について確認する手紙が届いたそうです』
そこまで書いて、マリアンヌの手が止まった。
(あの時……お父様はどう思ったのかしら)
父は何も知らない。ただ、招いてもいないルカについて、侯爵夫人から突然礼状が届いただけだ。
そして、ルカも真実を話すことはできない。
そう思えば、恐れることなど何もない。
マリアンヌは再び筆を走らせた。
『どうやらジョアンナ様は、あの夜のことを不審に思っていらっしゃるようです。くれぐれもお気をつけください』
最後に名前を書き入れる。
便箋を封筒に入れ、封をすると、マリアンヌは息を吐いた。
(これでいいわ)
あとは、この手紙を誰にも知られずクリスティアナのもとへ届けるだけ。
その時、マリアンヌはふと、ジョアンナの前で口にした言葉を思い出した。
『私は、ルカ様を夜が明けるまで、ずっと寄り添ってお慰めいたしましたの』
そう話した時の、ジョアンナの顔。
(あの顔を……)
思い出すだけで、胸の奥がゾクゾクするような歓喜に包まれる。
(もっとたくさん見てみたい……)
ルカが自分を選ぶわけではない。
それでも、ジョアンナが不安に苦しみ、自分の存在を意識するようになれば、それだけで十分だった。
(ジョアンナ様がどれだけルカ様を信じていても、少しずつ不安を植え付ければいい)
マリアンヌは、封をした手紙を見つめながら微笑んだ。
(そして、いつかその不安が大きくなり、爆発するかもしれない……その時、私はルカ様の一番の理解者として、そばにいればいい)
────
その頃、クリスティアナのもとへ一通の手紙が届けられていた。
封を切った彼女は、そこに書かれていた内容を読み進める。
「……ジョアンナが、動いた?」
クリスティアナの表情から、笑みが消えた。
マリアンヌの父、伯爵に直接確認した。
それは、想定していたよりも早い。
(まったく……あの娘、思った以上に勘が鋭いわね)
しかし、しばらくすると、その口元に再び笑みが浮かんだ。
(どうせ、ルカは何も話せはしない)
そう、ルカが真実を話すということは、マリアンヌのことが明らかになってしまう。
何よりルカは、ジョアンナを悲しませたくないはず。クリスティアナは、手紙を机の上へ置いた。
(だったら、まだわたくしの方が有利だわ)
そして、ゆっくりと立ち上がった。
(さて、あの子を追い詰め、上手く伯爵に話を合わせてもらわねば)
クリスティアナは、しばらく立ったまま、窓の外を眺めていた。
あの子の性格からすれば妻の誤解を招くようなことを自分から口にするはずはない。
だからこそ、今回も利用できる。
(もう一度あの子に会って、今度はしっかり言い含めなくては)
そして、伯爵との話を受けるよう説得する。
クリスティアナは机の上に置かれた手紙へ目を向けた。
(ジョアンナに知られたくないのなら、わたくしの言うことを聞くしかないもの)
伯爵はルカと話せばきっと安心するはず。
まずは伯爵に気に入られ、婚姻を成立させること。そのためには、あの子に余計なことを話されては困る。
クリスティアナは、不敵に笑った。
(それに……もしルカが伯爵との話に応じないなら、あの夜のことをジョアンナに話すまで)
そう考えたところで、ふと何かを思いついたように目を細める。
(いえ……それだけではなかったわ。ルカを説得するには、子供たち……)
クリスティアナの口元に、再び笑みが浮かんだ。
子供たちの将来を考えればきっとルカは簡単には無視できない。爵位なんてあって邪魔になるはずはないのだから。与えるつもりはないが、それを悟られないようにしなければならない。
(あの時、帰り際に囁いておいた伯爵領のこと。もう一度あの話を持ち出せば、きっとルカも考え直すはず)
クリスティアナは、ゆっくりと口元を歪めた。
(あの子は家族を何より大切にしている。だからこそ、その情を利用すればいい)
そう信じて疑うことなく、彼女は次にルカへ会う機会を待った。




