21話(それぞれの思い)
その頃ジョアンナは、ほとんど眠れずに執務室で朝を迎えていた。
嫌な予感は、やはり当たってしまった。
昨夜帰らなかったルカを思うと、胸の奥がざわついて仕方がない。
(いったい、何があったのかしら……)
夕食を終えたら帰ると言っていたのに、結局、朝になっても戻ってこなかった。
何度も窓の外を見たが、ルカの乗った馬車が戻ってくる気配はない。
「……ルカ」
名前を呟いた、その時だった。
扉の向こうから、執事のジョセフの声が聞こえた。
「奥様、失礼いたします」
「どうぞ」
「今しがた伯爵家から使いの者が参りました」
「伯爵家から?」
「はい。旦那様からの伝言を預かっております。『昨夜は遅くなったため、そのまま伯爵家の客人用の宿泊施設に泊まった。午前中には戻る』とのことです」
「……そう」
ジョアンナは、ほっとしたように息を吐いた。
無事なら、それでいい。
それでも胸の奥に残った嫌な感覚だけは、どうしても消えてくれなかった。
(どうしてなの。でも……もしかしたら伯爵様と意気投合して飲み過ぎただけなのかもしれないわ)
そう思おうとしたが、どうしても引っかかる。胸のざわつきがなかなか収まらない。
────
ルカは迷っていた。
真実を話すべきか。
たしか、ジョアンナは産後うつだと言っていた。それなのに、こんなことを話してしまって大丈夫なのだろうか。信じてもらえるだろうか。
ここ最近は仕事をまた一緒にするようになって、前のように生き生きとしている。
そんな妻に、マリアンヌのことで不信感を抱かせたくはなかった。
本当のことを話すことで、不安にさせてしまわないか心配だった。
それに、帰り際、クリスティアナは耳元で囁いた。
「伯爵様に上手く話してくれたら、いずれわたくしが預かる伯爵領を、あなたの子供に継がせられるわ。それなら、子供が増えても安心でしょう?」
もちろん、そんなものを当てにするつもりはなかった。
だが、あの女のことだ。何かしら仕掛けてくるに違いないと警戒した。
今更、ジョアンナにあの女の名前なんて、聞かせたくもなかった。
(本当に呆れたものだ。父のもとから何も言わずに去っておきながら、もう別の貴族、それも身寄りのない年老いた伯爵を見つけて取り入っている。本当に、あのような者が母親かと思うと情けない)
それからルカは、マリアンヌのことも気にかかっていた。
(おそらく、彼女はあの飲み物に睡眠薬のようなものを入れたのだろう。そうでなければ、寝室へ運ばれている途中で目を覚ましていたはずだ。だが、それを証明するものは何もないしな)
ルカは深く息を吐いた。
(よりにもよって、あの女とマリアンヌ嬢がグルだとは……。どうせあの女から彼女に近づいたのだろうな)
いったいどうすれば、ジョアンナを傷つけずに、この状況を切り抜けられるのか。
いくら考えても、答えは出なかった。
────
マリアンヌは、ひそかにほくそ笑んでいた。
近いうちにジョアンナと会い、ルカと一晩を共にしたことを告げたら……。
そう考えるだけで、胸がぞくぞくした。
(あの女は、どんな顔をするのかしら。楽しみだわ)
早く、その機会を作らなくては。
そして、ルカに対してどう説明するかも、すでに考えていた。
『ルカ様のお母様が、奥様のせいで誤解されたままなのは、あまりにもお気の毒です。お母様はルカ様と会いたがっていましたわ。それに私のことも気にかけてくださいましたの。だから……』
そんなふうに話せば、きっとルカは、自分の母親のことをそこまで思ってくれたのかと感激するに違いない。
(そうよ。これは事実なのだから。なんといっても息子というものは幾つになっても母親のことは特別な存在のはずだわ)
クリスティアナがルカを思っているという話は、少なくともマリアンヌが聞かされている限りでは事実なのだ。
マリアンヌは、彼女のそんな都合のいい話を信じて疑わなかった。
だが、それはあまりにも短絡的な考えだった。




