20話(罠)
数日後。
マリアンヌは、ルカを伯爵領へ呼び出すことに成功した。
「実は今夜、父が領地のことでルカ様にお話ししたいことがあるそうなのです。夕食を用意しておりますので、どうかお付き合いいただけませんか?」
「伯爵、いやお父上が?」
「はい。隣領ですから、これからのためにも良い関係を築いていきたいそうですわ」
そう言われれば、ルカも断りづらかった。
今まで津波被害のことで散々お世話になってきた。
「それなら、少しだけお邪魔しよう」
「ありがとうございます」
マリアンヌは嬉しそうに微笑んだ。
しかし、それはすべて嘘だった。
────
その日の夕方。
一旦屋敷に戻ったルカはジョアンナに先ほどのことを告げた。
「今夜、マリアンヌ嬢の父親である伯爵様から、これからの友好のためにも一度話をしたいと呼ばれたんだ。食事にも招かれているから、少し顔を出してくるよ」
「……伯爵様から?」
ジョアンナは一瞬、言葉を失った。
なぜだろう。
ただ隣領の伯爵から招かれただけだというのに、胸の奥に不安を感じる。
「津波被害の件ではずいぶんとお世話にもなったのだし、隣領なのだから、こうした付き合いも大事にしなくてはな」
「……そうですわね」
ジョアンナは無理に笑みを浮かべた。
「お気をつけて。できるだけ早く戻ってきてくださいね」
「もちろん。夕食をご一緒にしたらすぐに帰ってくるよ」
そう言って、ルカは出かけていった。
馬車が遠ざかっていくのを見送りながら、ジョアンナは胸の中に残る、何とも言えない不安を振り払えずにいた。
そう、実際は伯爵がルカを呼んだわけでもなければ、領地について話を聞きたいと言ったわけでもなかった。
────
マリアンヌが、伯爵家所有の客人用の宿泊施設へルカを案内すると、そこにはすでに夕食が用意されていた。
「どうぞ、ルカ様。父も、もう間もなく着く頃ですわ。先にこれをどうぞ」
「ありがとう」
ルカが勧められた飲み物に口をつける。
その中には、あらかじめ睡眠薬が混ぜられていた。
しばらくすると、ルカの動きが少しずつ鈍くなっていく。
「……なんだか、急に眠くなってきたな」
「まあ……お疲れなのではありませんか?」
マリアンヌは心配そうな顔を作った。
眠気に耐えきれずルカは椅子にもたれ、そのまま深い眠りへと落ちていった。
その頃、別室ではクリスティアナが待っていた。
あらかじめ用意していた男たちに目配せをする。
「予定通りに」
「はい」
男たちは眠っているルカを抱え上げると、寝室へと運んでいった。
そして翌朝。
「……ん……」
ルカは重い瞼をゆっくりと開いた。
見慣れない天井。
「ここは……?」
身体を起こそうとした、その時だった。
「……え?」
隣を見るとそこには、マリアンヌが眠っていた。
「マリアンヌ嬢……?」
声をかけると、彼女がゆっくりと目を開ける。
「……ルカ様……」
マリアンヌは身体を起こすと、何も言わずに俯いた。
「これは……どういうことだ?」
「……」
マリアンヌは答えない。
その様子を見て、ルカの顔から血の気が引いていく。
「まさか……」
その時だった。
「まあ……お目覚めになったのかしら」
扉が開き、クリスティアナが姿を現した。
「あなたは……?」
「驚かせてしまったかしら?」
クリスティアナは、何も知らないかのように穏やかな笑みを浮かべた。
そして、マリアンヌをちらりと見た。
「どうやら、昨夜はずいぶんと親しく過ごしたみたいね」
「違う!」
ルカがすぐに否定する。
「僕は何も……」
「ええ。分かっているわ」
クリスティアナは優しく微笑んだ。
「だからこそ、わたくしがこのことをジョアンナに黙っていて差し上げます」
「……!」
ルカの表情が強張る。
その隣で、マリアンヌの肩が揺れた。
(……黙っている?)
彼女は俯いたまま、唇を噛んだ。
(そんなの、嫌ですわ)
本当なら、今すぐジョアンナに教えてやりたい。
ルカが自分と一晩を過ごしたと知ったら、あの女はどんな顔をするのだろう。
驚いて、泣いて、ルカに詰め寄るのだろうか。
そう思うと、胸の奥がぞくりとした。
(あの女が嫉妬で苦しむ顔を、見てみたい……)
だけど、今ここでルカにそれを悟られてはまずい。
マリアンヌは何も言わず、ただ俯き続けた。
クリスティアナがゆっくりと口を開く。
「その代わりと言ってはなんですが……少し、わたくしのお願いを聞いてもらえないかしら?」
ルカは警戒するようにクリスティアナを見つめた。
「お願いって……何を?」
「実は今、わたくしはある伯爵様のお世話をしているのです」
「……ある伯爵の?」
「ええ。もうお年を召しておられますから、身の回りのことなど、わたくしがお手伝いしておりますの」
クリスティアナは穏やかな笑みを浮かべた。
「そして……その伯爵様から、わたくしとの婚姻についてのお話も出ております」
「……!」
ルカの顔が強張った。
「伯爵様は子供がおりませんから、この先のことをとても気にしておられるのです。だからこそ、いずれはあなたにも会って、侯爵領のことや領地経営のことをいろいろと聞きたいとおっしゃるでしょう」
「だから……僕に何をしろと?」
「簡単なことですわ」
クリスティアナは、にっこりと微笑んだ。
「伯爵様があなたに会いたいとおっしゃったら、素直に応じるのです。そして、わたくしのことを悪く言ったり、昔のことを持ち出したりしないこと」
「……あなたという人は、父が思い通りにならないからといって、次は別の貴族ですか?」
「ふふふ。当たり前でしょう。それのどこがいけないのかしら? ここでもし、あなたが拒めば」
クリスティアナは、ゆっくりとマリアンヌへ顔を向けた。
彼女は何も言わず、ただ俯いている。
「わたくしが、今ここで目にしていることを、すべてジョアンナにお話ししたらどうなるかしら?」
「……!」
ルカの表情が凍りついた。
「あなたが何も覚えていないと言ったところで、信じてもらえるかしら?」
クリスティアナは、声を荒らげることもなく続けた。
「目を覚ましたら、隣にはマリアンヌ様がいた。しかも、あなたは一晩ここに泊まっていた。ジョアンナがそれを知ったら……どうなるでしょうね?」
「……」
ルカは何も答えられなかった。
隣にいるマリアンヌも、ただ俯いたまま、一言も口を開かなかった。
「わたくしは、別にあなたを責めているわけではありませんわ」
そう言いながら、クリスティアナの口元には薄い笑みが浮かんでいた。
「ただ、母親として、これからのことを少し手伝ってほしいだけですわ」
クリスティアナは、ルカをじっと見つめた。
「さあ、どうするの?」




