18話(決意)
その後、僕は大商人に大麦やテンサイなど、塩害に強い作物の種を大量に注文した。
ジョアンナも、防風林に適した木について詳しく聞き、海からの風や潮に強い種類を選んで苗木を手配してもらうことにした。
必要なものを一通り頼み終えると、僕たちは馬車に乗り込み、領地へ戻ることにした。
帰りの馬車の中でも、二人でこれからの領地について話し合った。
「……もっと早く、何かできたのかもしれませんわ」
しばらく黙っていたジョアンナが、ぽつりと呟いた。
「これまでにも何度も津波を経験してきたのに……自然の力には逆らえないものだと、いつの間にか、わたくし自身が諦めてしまっていたの」
ジョアンナは窓の外へ目を向けた。
「今回の津波は、今まで経験したことのないほど大きなものでした。だからこそ、わたくしがもっと早くから積極的に対策を考えていたら……ここまでの被害を防げたのではないかと思ってしまうのです」
「ジョアンナ……」
彼女が自分を責めていることは、すぐに分かった。
「でも、それは違うよ」
「……違う?」
「今回のことがあったからこそ、僕たちは今まで考えが及ばなかった対策に気づくことができたんだ。今度こそ、何が必要なのか、何ができるのかが見えてきた」
「だとしても……」
ジョアンナは違うと言いたげに首を振った。
「だったら、これから始めればいい」
僕は彼女の目を見つめた。
「今までの経験を無駄にするんじゃない。これまで何度も津波を経験してきたからこそ、僕たちには分かることがある。それを次の世代に残していけばいいんだ」
「ルカ……」
「これからは二人で一緒に考えていく。だから一人で悩まないで、まずはできることから行動に移していこう」
ジョアンナはしばらく黙っていたが、ようやく頷いてくれた。
「……そうよね。過ぎてしまったことを嘆いていても、何も始まらないものね」
その表情から、ほんの少しだけ張り詰めていたものが解けたように見えた。
僕はそんな彼女を見つめながら、改めて思った。
ジョアンナは、どこまでも優しく、そして思慮深い女性だ。
領民の苦しみを自分のことのように受け止め、過去のことまで自分の責任だと思ってしまう。
そんな彼女だからこそ、これからは僕がしっかりと支えなければならない。
自分自身が先頭に立ち、この領地を守っていく。
もう、何もかもを彼女が一人で背負う必要はない。
これからは二人で考え、未来を作っていけばいい。
それに、今はこの僕が、この領地を預かる領主なのだから。
「ジョアンナ、これからはもっと僕を頼って欲しい。貴女に頼られる男になれるよう精一杯努力していくから」
そう言いながら、自身にも言い聞かせ、僕は隣に座るジョアンナの手をそっと握った。
────
その頃。
伯爵家の応接室では、年老いた伯爵が深いため息をついていた。
「困ったものだ……私には子供がいない。この領地を継がせる者も、いまだに決まっておらん」
伯爵には、領地を安心して託せる親族もいなかった。
「このまま後継者が見つからなければ、私が死んだ後、この領地は王家へ返すしかないだろう」
そう話す伯爵の向かいには、ルカの母親が座っていた。
彼女は真剣な表情を作り、口を開いた。
「……でしたら、伯爵様。わたくしを妻に迎えていただけませんか?」
「君を……?」
「はい」
伯爵が驚いたように目を見開く。
「前にもお話ししたように、わたくしには侯爵家を継いだ息子がおりますの」
「ああ、その話なら覚えているよ。息子さんは侯爵領を治めているのだろう?」
「ええ。ルカと申します。あの子は若くして侯爵家を継ぎ、領地を治めております。わたくしも母親として、これまであの子を支えてまいりました」
彼女は、さも当然のように語った。
「ですから、領地を治めることについても、わたくしにはそれなりの知識と経験がございますわ」
伯爵は黙って彼女を見つめている。
「わたくしが伯爵様の妻となれば、これからもお側でお支えできます。それに、もし伯爵様に何かあったとしても……わたくしなら、この領地を守っていけると思いますの」
「しかし……」
伯爵は言葉を濁した。
「私はもう若くない。それに、君とはまだ……」
「もちろん、伯爵様のお気持ちも分かっておりますわ」
彼女は優しさを装い微笑んだ。
「ですが、伯爵様がお亡くなりになった後、この領地が王家へ返されてしまうことを思えば……わたくしは、この地を守るためならどんなことでもしたいと思っております」
伯爵は窓の外へ目を向けた。
長年、自分が守ってきた領地。
自分の死後、それが王家へ返されてしまうことを考えると、胸の奥に寂しさが込み上げてくる。
「……君に、この領地を任せてもよいと?」
「はい」
彼女は迷うことなく頷いた。
「もちろん、伯爵様がお元気なうちは、わたくしが何かを決めるつもりはございません。ただ……これから先もお側でお支えし、伯爵様がお築きになったものを守っていきたいのです」
その言葉に、伯爵の表情が少しだけ和らいだ。
子供のいない自分にとって、これほど心強い言葉はなかった。
「……少し、考えさせてくれないか」
「もちろんですわ」
彼女は穏やかに微笑んだ。
伯爵にはある意味、事実に近い嘘を吹き込んでいた。
クリスティアナは、若くして男爵家の未亡人となった。その後、侯爵と知り合い、二人の間には息子が生まれたものの、侯爵家からは結婚を認めてもらえなかった。
侯爵は親に命じられるまま、別の貴族令嬢と婚姻した。しかし、彼は長く戦地にいたため、白い結婚だったその令嬢から婚姻無効を突きつけられた。
侯爵はそれを受け入れ、その後、クリスティアナとの間に生まれた息子に侯爵位を譲って隠居した。今では、領地でひっそりと暮らしている、そう伯爵には話していた。
そして、侯爵位を継いだ息子は、あろうことか、その婚姻無効となった女性と結婚してしまった。
愛する侯爵だけでなく、息子までその女性に奪われた。
そのショックから、クリスティアナは侯爵家と縁を切り、屋敷を出た。
それが、伯爵に語っていたクリスティアナの過去だった。
この時、クリスティアナは心の中では、すでに未来を思い描いていた。
伯爵と結婚する。
そうすれば、自分は伯爵夫人になれる。
そして伯爵が亡くなった後は、この領地を自分のものにする。
(ルカの名前がこんなところで役立つなんて……。あの子の父親はさっさと隠居してしまったから、何一つわたくしの思い通りにはならなかった。ルカだけを認知して、わたくしには住む場所を与えただけなんて、本当にふざけているわ)
彼女は不敵に微笑んだ。
(まあ、それでも、あの時のことがこんなふうに利用できるなんて、やはりわたくしはついているわ)
侯爵家を継いだ息子を持つ母親であり、長年侯爵の相談にも乗っていた。当然、侯爵家の領地経営についても、それなりに知っていると思わせることができる。 その上、侯爵家を継いだ息子の母親なのだから、まさか金目当てだとは思わないだろう。
(この伯爵領さえ手に入れればそれでいい。まあ、侯爵夫人よりは劣るけど、もともとは男爵夫人なのだから良しとしなくてはね)
彼女は伯爵に向かって、慈愛に満ちた笑みを作った。
彼女の中には、伯爵への愛情など微塵もなかった。




