13話(不安)
「おはよう、ジョアンナ。もしかして、起こしてしまいましたか? 貴女はもう少し休んでいてください」
「おはよう、ルカ。わたくしも一緒に起きます」
「だめですよ、無理はしないでください。貴女は子供たちの世話で疲れているのですから」
相変わらずルカは優しく労わってくれる。
「もう大丈夫です。それよりも家族揃っての朝食にしましょう」
そんなわたくしの言葉に嬉しそうに頷きながら、彼は口づけを落とす。そして愛おしげに、そっと身体を離していった。
結婚して月日も流れ、二人の子供にも恵まれたというのに、彼は今でも変わらず優しい。
幸せに慣れすぎて、たまに怖くなることもあるけれど、それを当たり前だと思ったことは一度もない。
着替えを済ませ、二人で子供部屋へ様子を見に行くと、控えていたメイドがお辞儀をした。
「旦那様、奥様、おはようございます。お坊ちゃま方は、まだよく眠られております」
「あら、残念だわ。でもそれなら無理に起こさず、もう少し寝かせてあげてちょうだい」
そう告げると、隣にいたルカがそっと腰に腕を回した。
「だったら子供たちが起きるまでは、夫婦水入らずの朝食といきますか」
「ええ、そうね」
微笑み合いながら、わたくしたちは揃って食堂へと向かった。
食卓には、焼きたてのパンや美味しそうなスープ、肉料理が並べられている。
「さあ、ジョアンナ食べましょうか」
「ええ、いただきましょう」
だけど、来月の舞踏会のことを考えると……思わず手にしたパンをお皿に置いた。
ルカはいつも通り美味しそうに頬張っている。
わたくしは食卓に並んだお肉料理にはほとんど手をつけず、スープばかりを少しずつ口にする。するとルカはそれを見て、心配そうに眉をひそめた。
「ジョアンナ、それしか食べないのですか? 身体に良くないですよ。もっとしっかり食べないと」
「だって……子供を産んでから七キロも太ってしまったんですよ。少し痩せないと」
「もともとが痩せすぎていたんです。気にしすぎですよ」
「そんなことはありません。男性には女心が分からないのです。それに、来月の舞踏会は出産してから初めての参加なんですよ? 今のままではドレスだって入りません」
「はいはい。でも、あまり無理はしないでください」
あきれたように苦笑しながらも、ルカは席を立つとわたくしの背後に回り込み、愛おしそうに頬へ軽く口づけを落とした。
そして、名残惜しそうに、領内の視察へと出かけていった。
ひと月前に領地を襲った津波は、海岸沿いに広がる田畑に壊滅的な被害をもたらした。
押し寄せた海水の影響で今年の作物は全滅。
今やルカはその復興作業と領民の支援に追われ、目が回るほど忙しい日々を送っている。
彼は二人目の子供を出産したばかりのわたくしを気遣い、『今の貴女の仕事は身体を休めることです』と言って、過保護なくらい大切にしてくれるけれど……一人で領地を守るルカの姿を見るたび、支えになれない自分が歯がゆく思える。
それでも、そんな彼を心から誇らしく、そして愛おしく感じていた。
────
二人が結婚の誓いを交わしてから、五年の月日が流れていた。
そして、その翌年に生まれた長男はすくすくと育ち、今では四歳になる。
二ヶ月前には愛らしい長女も誕生した。
ルカとジョアンナは我が子にそれぞれ『リーガル』と『リリア』と名付けた。
一見どこにでもある普通の風景。しかし普通こそが一番尊く、難しいことをジョアンナ自身、身に染みて知っている。だからこそ彼女は日々感謝しながら過ごしている。
そんな二人とは対照的に、ルカの父と、母であるクリスティアナは、領地の外れにある古い館でひっそりと暮らしていた。
しかし半年ほど前、クリスティアナは何の書き置きも残さずに金目の物だけかき集め、黙って館を去ったという。
それ以来、彼女の消息は途絶えたままだった。
ルカはその理由を深く追究することはせず、時折、父の待つ館へ子供たちを連れて出かけている。
幼い孫たちの無邪気な笑顔だけが、残された父の孤独な時間にほんの少しの温もりを与えていた。
父の世話は本宅のメイドがすべてこなしているが、過去のわだかまりがいまだに残るルカは、決して妻のジョアンナを父に会わせようとはしなかった。だからここへ来る時は、いつも一人で子供たちを連れて来ていた。
────
(……そう。この舞踏会に参加する前のわたくしは確かに幸せだったのだわ。もうずいぶんと月日が経つというのに、ルカは父親にヤキモチを焼いていて、今もわたくしを会わせようとはしないのだから)
ふと我に返り、眩い煌めきに包まれた王宮のダンスホールを見渡す。
だけど、先ほどまで歓談していた友人の言葉を思い返すと、胸の奥が落ち着かない。
『ルカ様、とっても素敵ですもの。気をつけてくださいませ。あの伯爵令嬢のマリアンヌ様、ジョアンナ様がご出産で社交界を離れていた間、ずいぶんしつこく付きまとっていらっしゃいましたわ』
そんな話を聞かされれば、どうしても気になってしまう。
ダンスを終え、ホールから戻ってきたルカは、わたくしを見ると申し訳なさそうに苦笑した。
「……ジョアンナ、待たせてすまない。ん? ご友人は?」
「彼女はご両親のもとへ戻られましたわ」
「そうか。一人にしてしまって悪かった」
「いいえ。わたくしが『どうぞ』と促したのですから、貴方が気にすることはありません」
そう返すしかなかった。ひきつりそうな笑みを抑えるわたくしに、ルカはすかさず手を差し伸べる。
「今度はジョアンナ、久しぶりに僕と踊ってくれませんか?」
普段なら嬉しいはずの、優しい彼の言葉。それなのに、今のわたくしは素直にその手を取ることができなかった。その上可愛げのない言葉を返してしまう。
「……ごめんなさい、少し疲れましたわ。それに、今朝リーガルが熱っぽかったのが気になりますから、陛下のお言葉が終わりましたら先に屋敷へ戻りますわ。貴方はどうぞ、お仕事の続きをなさってください」
本音を言えば、あの若く愛らしい彼女をエスコートしたばかりの手で、わたくしに触れてほしくなかった。
そんなわたくしの態度に、ルカは寂しそうに言う。
「……なんだか、今日のジョアンナはいつもの貴女らしくないですよ」
その言葉が、わたくしの心に引っかかる。
「わたくしらしいって、どういうことです?」
(だめだわ。これ以上ルカと話をしていたら、本当に喧嘩になってしまう)
「とにかく、今日はこのあと失礼させていただきますわ」
それだけを告げると、わたくしは逃げるようにその場を離れ、化粧室へと向かった。
その途中、遠くの方からの視線を感じた。
見ると、そこには先ほどの彼女が薄ら笑いを浮かべていた。




