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森育ちの魔法雑貨店  作者: i
第一部

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3/7

第3話「看板と、焼きたてのパンの香り」


 翌朝。


 窓から差し込む朝日と、どこからか聞こえてくる鳥の声で、ランは目を覚ました。


 「……ん」


 ゆっくりと目を開け、寝台の上で小さく伸びをする。


 見慣れない天井。


 知らない部屋。


 そして、窓の外から聞こえてくる人々の話し声。


 数秒ほどぼんやりしたあと、ランはぱちりと目を瞬かせた。


 「……ああ、そうでした」


 ここは王都。


 昨日、森を離れてやってきたばかりの、自分の新しい家だ。


 そう思った途端、眠気がどこかへ飛んでいった。



 「今日も、やることがいっぱいです!」


 勢いよく寝台から起き上がり、身支度を始める。


 まずは朝ごはん。


 次に、お店の開店準備。


 そして、できれば今日中に看板も用意したい。


 昨日のうちに店内の掃除は終わらせたけれど、まだ店名も看板も決まっていないのだ。


 ランは身支度を済ませると、階段を下りて一階の店舗へ向かった。


 昨日きれいに並べた商品を確認し、窓を開ける。


 朝の空気が、店内にすっと流れ込んできた。


 「……いい朝ですね」


 遠くから、パンの焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。


 その瞬間、ランのお腹が、きゅう、と小さく鳴った。


 「…………」


 ランはお腹に手を当てた。


 そういえば、昨日は片づけに夢中になって、夕食を簡単に済ませてしまったのだった。


 「……朝ごはんにしましょう」


 うん、と一人で頷く。


 お店のことを考えるのも大切だけれど、ごはんも大切だ。


 母にも、よく言われていた。



 ――ラン、食べることは元気の源ですよ。ーー



 ランは鞄から小さなお財布を取り出すと、戸締まりを確認して外へ出た。



 ◇ ◇ ◇



 通りを歩いてすぐ、焼きたてのパンの匂いが強くなった。


 匂いをたどるように歩いていくと、木製の看板を掲げた小さな店が目に入った。


 窓越しに見える棚には、丸いパンや細長いパン、砂糖をまぶした焼き菓子が並んでいる。


「わあ……!」


 思わず足が止まった。


 森の近くにもパンを焼く家はあったけれど、こんなに種類が多いお店は初めてだ。


 しかも、店先には小さな魔道具が置かれている。


 その上には、焼き上がったパンの絵が淡く光っていた。


 どうやら、店内にある商品の種類を表示する魔道具らしい。


 「パンの種類まで、魔法で……」


 「おや、お客さんかい?」


 声をかけられ、ランははっと顔を上げた。


 店の奥から出てきたのは、ふっくらとした頬の女性だった。エプロンを身につけ、優しそうな目をしている。


 「いらっしゃい。何をお探しだい?」


 「ええと……」


 ランは棚を見渡した。


 どれもおいしそうで、なかなか決められない。


 「あの、初めて来たので、おすすめを教えていただいてもいいですか?」


 「もちろんさ!」


 女性は嬉しそうに笑った。


 「朝なら、この焼きたての丸パンがおすすめだよ。こっちは木の実入り。甘いのが好きなら、蜂蜜をかけたこっちもいいね」


 「木の実……蜂蜜……」


 ランの瞳が、きらきらと輝いた。


 女性はその様子を見て、思わず笑みを深める。


 「ふふっ。どれも食べてみたいって顔をしているね」


 「……分かりますか?」


 「そりゃあ、分かるとも」


 ランは少し恥ずかしそうに頬を緩めた。


 結局、木の実入りの丸パンと、蜂蜜をかけたパンを一つずつ買うことにした。


 「ありがとうございます!」


 「はいよ。またおいでね」


 店を出たランは、さっそく丸パンをひと口かじった。


 「……!」


 外側はほんのり香ばしく、中はふんわり。


 木の実の食感と、パンの優しい甘さが口いっぱいに広がる。


 「おいしい……!」


 自然と頬が緩んだ。


 こんなにおいしいパンを毎朝食べられるなんて、王都はなんて素敵なところなのだろう。



 ランは残りのパンを大切に包み直した。


 これは、あとでゆっくり食べよう。


 そう決めて、再び通りを歩き始める。


 今日は、看板を作ってくれる職人を探さなくては。



 ◇ ◇ ◇



 パン屋の女性に教えてもらった通りを進むと、金属を叩く音が聞こえてきた。



 カン、カン、カン。



 規則正しい音が、工房の並ぶ一角に響いている。


 その中の一軒に、木製の看板がいくつも立てかけられていた。


 ランは足を止めた。


 扉の横には、小さな文字でこう書かれている。



 ――看板・家具・生活道具。細工のご相談承ります。ーー



「ここでしょうか……?」


 そっと中を覗く。


 工房の奥では、小柄な男性が作業台に向かっていた。


 年齢は分からないけれど、立派な髭を蓄え、腕まくりした服の袖からは、鍛えられた腕がのぞいている。


 ランが入口で迷っていると、男性が顔を上げた。


 「ん? 客か?」


 「あっ、はい! 突然すみません」


 「いいや。用件は?」


 「看板を作っていただきたくて……」


 「看板か。どんなもんが欲しい?」


 男性は作業の手を止め、こちらへ歩いてきた。


 近くで見ると、身長はランよりずっと低い。


 けれど、その目には職人らしい鋭さと、どこか気さくな雰囲気があった。


 「お店を開くんです。薬草や、魔法の雑貨を扱うお店で……」


 「ほう。薬草と魔法雑貨ねぇ」


 男性は顎の髭を撫でた。


 「なら、何の店かひと目で分かる看板がいい。店の名前は?」


 「……それが、まだ決まっていないんです」


 「名前もまだか!」


 男性は豪快に笑った。


 「そりゃあ先に決めなきゃならんな。看板に文字を入れるんだからよ」


 「そうですよね……」


 ランはしゅんと肩を落とした。


 店の準備に夢中で、肝心なことを後回しにしてしまっていた。


 男性はそんなランを見て、少しだけ表情を和らげた。


 「まあ、焦るな。店の名前なんてのは、そう簡単に決まるもんじゃねぇ。どんな店にしたいか、まずは聞かせてみな」


 その言葉に、ランは顔を上げた。


 「はい!」




 ーーそして、ゆっくりと話し始めた。


 森で育ての両親と暮らしていたこと。


 両親が薬草店を営んでいて、自分も手伝っていたこと。


 薬草の知識や魔法を生かして、王都の人たちにも喜んでもらえるお店にしたいこと。



 男性は口を挟まず、最後まで話を聞いてくれた。


 「なるほどなぁ。森育ちの薬草店主ってわけか」


 「はい。まだ分からないことばかりですけれど……」


 「分からないことがあるのは当たり前だ。最初から何でもできる奴なんていねぇよ」


 男性は作業台の端に置かれた木片を手に取った。


 「で、看板には何を描きたい?」


 「えっと……薬草と、お花と……」


 ランは少し考えた。


 「できれば、魔法の光も入れたいです」


 「欲張りだなぁ!」


 「あっ、すみません。難しいでしょうか?」


 「誰も難しいとは言ってねぇよ」


 男性はにやりと笑った。


 「面白そうじゃねぇか。せっかくだ、腕の見せどころってやつだ」


 その言葉に、ランの顔がぱっと明るくなった。


 「本当ですか?」


 「ああ。ただし、店の名前が決まってからだ。名前が決まったら、また来な」


 「はい! ありがとうございます!」


 ランは深々と頭を下げた。


 男性は照れくさそうに鼻を鳴らし、作業台へ戻っていく。


 「それと、お嬢ちゃん」


 「はい?」


 「看板のことだけじゃねぇ。店を開くなら、近所の連中とも仲良くしとくんだぞ。困ったとき、助けてくれるのは案外そういう連中だからな」


 ランはその言葉を、胸の中でそっと繰り返した。


 「……はい。覚えておきます」



 ◇ ◇ ◇



 工房を出たランは、通りの端にある小さなベンチに腰掛けた。


 膝の上には、買ったばかりのパンの包み。


 目の前には、行き交う人々。


 王都に来て、まだ一日と少し。


 それなのに、もう何人もの人と話をした。


 パン屋の女性。


 看板職人の男性。


 馬車の御者。


 誰もが、初めて来た自分に親切にしてくれた。


 「……嬉しいな」


 ぽつりとつぶやく。


 森を出るときは、もちろん寂しかった。


 両親と離れるのも、慣れ親しんだ森を離れるのも、簡単なことではなかった。


 けれど、新しい場所には新しい出会いがある。


 知らないことを教えてくれる人がいる。


 そして、自分が誰かの役に立てる機会もある。


 ランは、残っていたパンをひと口かじった。


 「……おいしい」


 思わず笑みがこぼれる。



 ーーさて。


 看板のためにも、まずは店の名前を決めなければ。


 両親からもらった知識。


 森で過ごした日々。


 これから王都で出会う人たち。


 その全部を大切にできる名前がいい。


 ランは空を見上げた。


 青い空の向こうには、今日も明るい日差しが広がっている。


 「……よし」


 小さく頷き、立ち上がった。



 自分のお店は、まだ始まったばかり。


 きっと、これからいろいろなことがある。


 失敗もするだろうし、困ることもあるだろう。


 ーーそれでも。


 いつか、ここを訪れた人が笑顔になれるように。


 ランは、静かな通りを自分のお店へ向かって歩き出した。


 その小さな背中を、朝の光が優しく照らしていた。




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