第76話 崩洛の火‐変身‐
まるで時間が凍りついたようだった。
己の理性が、必死に現状の理解を避けようとしていた。
それは、意識が正常に保てなくなる瞬間だった。
先ほど蹴ってしまった肉塊は、地面の上で動けなくなったクレイドル王自身だった。
何か鋭利なもので背中を斬られているようで、大量の血を流し気を失っている。
だがクライシスは、変わり果てた父の姿を見て取り乱すよりも前に、目の前のジョアン・クレセントに対し戦慄を禁じえなかった。
「クレセント…。どうしてお前がここにいるんだ?私の代わりに、兵士たちの指揮を取っていたはずだろう」
「フォフォッ。坊ちゃま、今更なにをおっしゃいますか」
「……なんだって?」
「兵士なんて、もう、みんな死んでますよ」
「なッ!?」
そう告げたクレセントの声音は、今まで感じたこともないような底知れぬ冷酷さを孕んでいた。
姿かたちこそ同じであるが、これまでずっと身の周りの世話をしてくれた執事長クレセントの面影はどこにもない。
その瞳は人ならざる虚空であり、溢れる出る気迫はまさに魔獣のような禍々しさである。
全身の皮が一気に裏返るように、恐怖が体中を駆け巡る。
だが同時にクライシスには、彼が紛れもなくクレセント自身であることも理解できたのだ。
「どうしましたか? 坊ちゃま……」
何か、見てはいけないものを見てしまった気がした。クライシスは思わず後ずさりをする。
すると突然、後ろから足首を強い力で掴まれた。
ハッと振り返ると、そこでは意識を取り戻したクレイドル王が、歯を食いしばりながら立ち上がろうとしていた。
「……に…逃げろっ、クライシスッ! 奴に…っ、王家の証を奪われるな!!!!」
「えッ。しかし、あれはクレセントで…」
「いいから逃げろ!!奴は、人間じゃあないッ!!」
「父上。何を言って…」
だがそういって顔を上げると、すでにクライシスの前からクレセントの姿は消えていた。
その時彼は、人間の限界を超越した速度で移動していたのだ。
この時のクライシスでは視界に捉えることさえ出来ない。
いつの間にか、手の中の虹彩の観測者も消えてなくなっていた。
そして気づいた時には、クレセントは虹彩の観測者を携えた状態で元いた場所に起立していた。
「やった。手に入れたぞ! これが認象改変能力を持つSS級オーパーツか! ……ハハハ! ハーハハハハッ!!! これで私は永劫の支配者となれるッ!!!!」
「……どうしたんだ、クレセント。さっきから何を言ってる。それ返せよ……」
「フッフッフッ……坊ちゃまぁ、貴方にも感謝しなくてはなりませんね。貴方は私の思惑通り、あの結界の中からオーパーツを取って来てくれました。そのおかげで、長きに渡る私の宿願がこうして今ッ、ようやく叶うのですよッ!!」
「いい加減にしてくれッ。もうやめろぉーッ!!! ………お前は、誰だ?」
それを聞くと、クレセントはくすりと笑みを浮べる。そして胸元に手を当て、丁寧な所作で深々とお辞儀をしてみせた。
『これはこれは、失礼いたしました。……申し遅れました。私は、百面相のプロティエルと申します。フフフ、以後お見知りおきを』
着ていた黒い執事服には血痕のような赤墨の模様が浮かび上がり、また背中には蝙蝠のような翼が二対うまれた。
また彼が顔を上げると、そこには何の装飾もない無地の仮面が装着させられていた。
「百面相…プロティエル、だと???」
『ええ。とはいっても、私にとって名まえというものに大した意味などありません。ある時には流浪の吟遊詩人ダンデリオンとして巡業の旅へ、またある時には大海賊ガルガンチュアとして略奪の限りをつくしてきたのです……』
その後、プロティエルはくりかえし仮面をつけたり外したりして、その度に自分の顔が様々な人間の顔に変化させられる事を披露した。
少年、老婆、悪党、娼婦、貴族……。そして最後にお気に入りの老紳士の顔を作ると、それに無地の仮面で蓋をする。
『そして今日までは、執事クレセントとして貴方のお傍に仕えてきたのですよ』
「それじゃあお前は、今まで私を騙していたんだな。何年も。王国から証を奪うためだけに!」
『そうです!流石坊ちゃま、その通りでございます! そう、全てはこの日のために!』
クライシスの中にあった彼に対しての信頼は、もろく崩れ落ちた。
それと入れ替わりで、今度は騙されたことに対しての怒りが沸き起こってくる。
自分は奴に利用され、厳重に管理されたはずの秘密の部屋から、まんまとオーパーツをとってこさせられたのだ。
そして今まさに、王家の証は盗まれようとしている……。
クライシスは歯を食いしばり、剣の柄を強く握りしめた。
すると、それを見たクレイドルは言った。
「なんとしても奪い返すぞ。絶対に魔人なんぞに、虹彩の観測者を悪用させてはいけない!」
「私が爆撃魔法で通路を塞ぎます。その隙に父上が接近してください」
「分かった。だが奪取のチャンスがあればお前も狙え。王家の我々の方がオーパーツの示す興味は高いはずだ」
ある程度の距離にさえ入れれば、自然とオーパーツの方から近づいてくれる可能性があったのだ。
なぜなら虹彩の観測者には意思がある。
そうなれば後は、抱えたまま秘密の部屋に戻ればいいだけだ。
クライシスは頷く。
そして魔人プロティエルから意識を逸らさぬままに、自身に残されたマナをかき集め詠唱の準備をする。
『陛下、それに王子様も。まさか私と戦うつもりでございますか? あまりお勧めしませんが。お二人なら見逃してあげてもよいですよ?もちろんこれは特別です。なぜなら私は、サイッコーに気分がいいんですから!』
「ふざけるな! お前なんかに、これ以上好きにさせてたまるか!」
『そうでございますか。しかし大変申し分ありませんが、お二人の強さでは私と戦う資格もありませんし、私にそのような児戯に付き合うつもりもないのです。そして。…ああっ!なんということでしょう。これで、全てが終わるッ』
まるで狂信者のように、両手を大きく広げながら、大げさに天を仰ぎみるような仕草をしてみせた。
そして次にプロティエルがとった行動が、全く持って予想外で致命的なものだったのだ。
奴は魔人の力を応用し、自身の下顎を大きく変化させる。
そして文字通り大きな口を開けると、元気な賭け声と共にその中に、オーパーツを放り込んだのだ。
『いっただっきまーす!』
「た、食べた???」
目の前の老紳士は、実にうまそうにそれを頬張っていた。
だが数秒後、咀嚼を終えたプロティエルは、急に何かを詰まらせたような激しい嗚咽を始める。
そして、それが収まらないままに、奴はのたうち回りながら息絶えたのだった。
「これは……そんな」
魔人の奇行を目撃し、父王は隣で唖然としていた。
クライシスにも全く意味が分からず、ただただ困惑するしかなかった。
「奴は、何をしたかったんだ?」
先程までの激しい怒りは、突然の公開自殺の驚きのせいで、まるで霧のように掻き消えてしまっていた。
「クライシス!まだ近寄るんじゃない……もう少し様子をみるんだ」
「ええ。……奴は最後に「これで全てが終わる」と言っていました。本当にオーパーツを食べて死ぬことが目的だったのでしょうか?」
「迷惑極まりない話だが、今はそうであって欲しいと願っているよ」
クライシスは少し離れた位置から死体を眺めつつ、自決の理由の想像をめぐらした。
だがどうせ考えても人間である自分には魔人の考えなど分かるはずはないと思い思考を止める。
だが残酷にも、答えはすぐに判明した。
およそ一分が過ぎたところで、クライシスはその異変に気が付いた。
特別な魔法の才を持って生まれた彼は、現在のハイブラスター王国で一番のマナの保有者だった。
だがそこに転がっている死体に、自分よりも多くのマナが集まって来ていたのだ。
それも時間経過とともに段階をいくつも飛び越えているようなのだ。
─シュ…、カッ!
突如、プロティエルの肉体が激しい閃光を放つ。
それは事態が次のフェーズへと進行した合図だった。
死体はふわりと浮かび上がる。そして少しずつ、奴の体はべつの物へと組み変わっていった。
その時にはそれはもう死体ではなくなっていた。
魔人ですらない。もっと恐ろしい何かだ。
全てを悟り、クレイドルは青ざめる。
「あ゛あ゛っ。やはりそうだったのかー! ならもう、この世界は終わりだ」
「なんですって? 世界?? それはどういう意味ですか?」
「おそらく奴は、エキサイトになってしまったんだ!!!!」
神話のようなマナがそこにはあった。
プロティエルだったモノの進化に影響され、オルファファール周辺の天候は激しく変化していた。
空は赤黒い血のような色に染まり、常に病気を運ぶ恐ろしい風が吹き続けた。
またあれほど豊かだった森は枯れ落ち、清流は毒と化していた。
魔世界の住人たちも狂乱の宴に歓喜する。
「フハハハハッ!! スゴイ、スゴイゾ!!!!! チカラガムゲン二ワイテクルッ!!! コレガ、マナノチカラナノカッ!!!!」
まだたどたどしい発音で歓喜を表現する声が聞こえたが、二人はこの嵐の中で意識を保っていることで精一杯だった。
「エキサイトって、なんですか! 一体今、何が起っているんですか!?!」
途轍もない変化が起きている。それだけは十分肌で感じられた。
しかしそれ以上は、何か知っている様子の父王に尋ねるしかなかったのだ。
「エキサイトとは、オーパーツを体内に取り込み奇跡的な覚醒を果たした魔物のことを言うのだ。こうなれば元の強さに関係なく、ステータスは100倍になる……」
「そんな…」
「終わった。もう誰にも止められない」
クライシスは絶望した。




