Pilgrim
息苦しさを運ぶ秋の風は誠実な夏の空気を過去のものにしようと意気込んでは強く吹き付ける。
それの孕んだ哀愁の香りに感傷を抱くことは、意思のない機械が命令に従うことに似ていた。
高く、青く、澄んだ空はコンクリート・ジャングルを見下ろし、人工を嘲っているみたいだ。
空と海、僕らは青の狭間に生きる。
清冽な朝風に当てられながら、僕は本屋の自動ドアを潜った。
自分の名と新刊の題が飾られている。
結局、物語は完結した。理論や合理に従えば、物語を終わらせることは簡単だった。
正しさは答えでないから、それは芸術でないけれど。
昔から、作家のサイン会に需要があるとは思えなかった。
誰が書いたかを評価の軸に含んでしまえば、それは芸術の枠組みから逸れてしまう。
されど僕が覆面であることを選ばなかったのはやはり、それも一つの逃げであるからに他ならない。
社会は幻想だが、世界は妄想ではない。
静かに暮らしたいとか、チヤホヤされたいとか。絶えず生まれる欲求から進んだ先に芸術が待っているのなら当然、僕らはそれを迎えにいかなければならない。
それから、或いは、もしかすると、また――君に会えるかもしれない、からだ。
「デビュー作からずっとファンなんですぅ」
アラサー女性が言った。
あんなデビュー作の?
僕を声を押し殺して笑い、彼女の華奢な手をとった。
「今日、学校サボってきたんすよ」
制服を着た男子が言った。
義務を棄却するほどか?
僕は若人の将来を憂い、彼の固い手を握った。
「先生の作品に、救われた気がしたんです」
その子はそう言った。
僕はいつか見たアカウントのプロフィールを浮かべながら、差し出された手を握った。
湿っぽい手が僕へのエールを送っている。
「それで、私も、小説を書き始めたんです」
それだけで、僕はその子が大成しないことを悟った。
それが羨ましかった。
初めて書いた小説をネットに投稿して、0件のブックマークに絶望して、仲のいい友達に「こんなの書いてみたんだけど」って連絡してみて、慰めのような「凄いじゃん」を貰って、本屋に行って特設コーナーに置かれた適当な賞の大賞作を買ってみて、それに安っぽい感動を得て、小説アカウントを開設して、「#本好きさんと繋がりたい」って打ち込んで、人生で一番いいねされて、何を勘違ったかリプライに丁寧に返信を考えて、有象無象にフォローバックを返して、「フォロワーさん100人ありがとうございます」ってか?
「新連載始めました」って息巻いて暫く毎日投稿してみて、「面白いですね」とか「楽しみです」とか言ってたFFとも疎遠になって、PV数も見るからに落ちていって、惰性で週に一本なんとか投稿してみるものの何の反応もないSNSに嫌気がさして、また本屋に行って大賞作だけ買って読んで、「私もこんな小説が書きたい」とか、おいおい身の程を弁えろよ。
そんで見せかけの一念発起だけしといて、進学とか就職とか「人生に安定は必要だよね」ってレールに乗って、そこでの経験を小説に落とし込んでみようって薄っぺらな涙ながらに儚さ気取ったくだらねえ小説書いて、「共感しました」ってコメントに小躍りして、「私こういうのが向いてたんだ」とか、違うよ、芸術から、自分自身から、逃げ出したお前に待っているのは、山あり谷ありで塞翁が馬の平凡で幸福な人生だ。
僕はそんな人々をも救わなければならない。そんな人々の救いにならなければならない。そんな人々の支えとして、書き続けなければならない。
たとえ救われたという感情が当人の陶酔で、きっかけなどなんでもよかったとしても、そのきっかけになる契機の一つで在り続けなければならない。
芸術家とはいかにも――世間様の慰み者である。
「いつか、文壇で会えるといいですね」
僕は心からの願いを込めて、自分の名前を書いた。




