You
あの橋へ行った。
錆びた欄干は一層剥げていて、醜かった。下の清流を透明だと言いたかったが、僕の目には青く見えた。
あの美術館へ行った。
休憩所の配置が変わっていて、苦しかった。閑静な空間を懐かしいと言いたかったが、外の景色は別物に映った。
あの美術室へ行った。
水道は相変わらず絵の具に塗れていて、嬉しかった。願わくは、それをまた君と見たかった。
あの山へ行った。
必死に探した石も枝も見当たらなくって、悲しかった。霊園に隕石が落ちたら遺族はどんな気持ちだろう、とか、考えた。
今は夏だろうか。僕は考えるのをやめた。
「死にたいのかな」
それは僕の呟きだったかもしれない。
でも、僕は死にたくなんてなかった。本当だ。
この山のどこかに君の指が埋まっていた。
死んだ君は今も東京のどこかで生きているのだろうか。
楽しくやっているだろうか。時々、僕のことを思い出してくれているだろうか。
今も僕はこんな無益なことをやっているんだ。
誰のためでもない小説を、書いているんだよ。
「君を救いたいんだ」
底知れぬメサイア・コンプレックスが、度重なるヒーロー・シンドロームが、勘違いのノブレス・オブ・リージュが、僕にこれを芸術だと言わせた。
これは巡礼だった。
ただ、僕のためだけの巡礼だった。
死にたいとか、生きたいとか、そんな陳腐な感情に一喜一憂してしまう僕が、自らをまた慰めるための巡礼だった。
これは人生だった。
ただ、君のためだけの人生だった。
だから、僕は生き続けることができる。人生に意味がないことを、僕らはやはり知っていた。
魔女とか、君とか、僕とか、全部ただの幻想だよ。
妄想に憑りつかれた病人の自分語りだ。
そこに何を感じて、そこに何を託して、そこに何を願って。
何を想ったってそれは、思い違いだ。
死ねとネットに書きこんで何が悪いのさ。産んでほしくなかったと親に怒って何が悪いのさ。
死にたいという感情ほど、生に切実な想いを僕はまだ知らない。
真っ暗な部屋の中でただうずくまって頭を押さえ続けることが、痛い痛いと泣きながら自分の手首を切りつけることが、不細工な顔でビニール袋を顔に被ることが、意味もなく自分の髪を毟り取ることが、訳も分からず壁を殴りつけることが、嫌なのに食べ物を食べまくることが、辛いのに胃液を吐きだしまくることが、度数で選んだだけの酒を過剰に吞むことが、値段で選んだだけの煙草を過剰に吸うことが、かき集めた市販薬を過剰に摂取することが、公営ギャンブルに金をつぎ込むことが、消費者金融から返せない額の金を借りることが、ぐずぐずの性器を金に換えることが、どろどろの愛を金で買うことが、知らない誰かを誹謗中傷することが、身近な誰かを陥れることが、さして憎くもないような誰かを殺すことが。
そのすべてが君の生に必要であるのなら、僕はそれを芸術と呼んで絶賛しよう。
そこから生まれる全てが人生であるのなら、僕はそれを物語と呼んで感謝しよう。
君が死にたいと想ったその一瞬を僕が妄りに消費して、どこまでも高尚な本物として生産してやろう。
それは芸術のように君を苦しめて、魔法のように君を愛すよ。
それでもまた死にたくなったら、夏の終わりに僕の元へおいで。
巡礼の欲望が、時間の高潔が、感情の希望が、世界の博愛が、人生の救済が、どうしようもなく君を苦しめるなら、何度だって浴槽の底に手を伸ばすよ。
僕はここで、君の見たこともない景色を、読んだことのない小説を、ずっと書き続けるから。
夏が終わっていても、まだ続いていても、次の夏が来ることの約束されている、そういう世界が僕はとても嫌いだ




