95話 妹と持て余すパッション
先ほどまで饒舌に話していた頭領が不意に顔を天井に向ける。その直後、静かな部屋へ女の声が響いた。
「頭領、双葉ただいま参りましたわ」
声はすれども姿は見えず、俺たち以外に部屋にいないはずなのに部屋の中から声が聞こえた気がする。頭領が天井を見ているから天井裏にいるのか?
「ふむ、坂井様。一葉の妹が参りました、ご挨拶させていただいても宜しいでしょうか」
たしか、アメリカの公使館だかに忍び込んでたって妹さんだよな。
今更ながら本当に忍者がいることを実感して、謎の感動が思わず今まで見たことのある忍者のゲームや時代劇の場面を頭の中に浮かばせた。
手裏剣で敵を倒し、鉄アレイを避けてちくわを集めたり、隠密のはずなのに主人が大事な時にいつも風呂に入っているくのいちとかだ。
「坂井様?」
「あ、いやごめん。挨拶だっけ、入ってもらって大丈夫だよ」
頭領が手を叩くと廊下側の障子が開き、見た目高校生くらいの女の子が入ってきた。
普通にそこから入ってくるのか、天井からスッと降りてくるのかと思ってずっと天井見つめてたよ。頭領、さっきアンタ天井見ていたのは何だったんだ?
双葉と呼ばれた彼女を見てみれば、黒のワンピースドレスに白いエプロンとキャップを身に着けていた、つまりメイド服だ。
なぜにメイド服?
「初めまして、ではないのですが。私、一葉の妹の双葉と申しますわ。この度は姉の命と御庭番を救っていただきありがとうございました」
畳に手をつき、額がつくほど深々と頭を下げた。
「いやいや、顔を上げてくれ! 感謝するのはいいが、女の子に土下座されるとか気持ちも外聞も悪すぎるわ」
「ふふっ、姉に聞いていた通りおかしな御方ですわね。最初お会いした時は簀巻きにされておりましたし、どんな方かと思っておりましたわ」
そう言うと、姉に似た笑みを浮かべて顔を上げた。
お姉さんがどんなこと言ってたのか気になるけど、御庭番が大集合してた応接室にこの子も来てたのか。凜に簀巻きにされて吊されてるような男を守らなきゃいけないこの人たちが少し、いや、かなり不憫でならない。
「こら、双葉! 失礼ですよ! それにもう公使館の任務は終わったはずでしょう、その恰好はなんですか」
秋野が妹を呆れたように叱っているが、その目は優し気だ。
本当、妹さんも無事で良かったねえ。
「世の殿方はこの格好が滅法好きだと聞き及んでおりましたので、少しでも坂井様に喜んでいただきたいという、ささやかな私の感謝の気持ちですわ」
ね、好きでしょ? という表情でこっちを見られても困るな。いや、好きだけどさ。苦労人の姉に、自由奔放そうな妹。姉妹でもこんなに性格が違うものかね。
まぁ、それよりも頭抱えてる頭領の方を見ろよ。
片手にクナイ持ってんぞ。
◇
ほどなくして目の前に夕食が用意された。
食事はいたって普通で、焼いたニシンと塩漬け山菜の和え物で美味しかった。冬の魚は脂がのってていいよね。
気になったことといえば頭領含め、皆ニコニコしながら俺が食べるところを見ていたくらいか。なんだか、ちょっと食べづらかった。
食事を終え、お茶を飲んでいると頭領が部屋から退室する際に「本日はこちらに御逗留していただきたい」とお願いされた。すでに遠藤家には使いを出しているらしい。
まぁ、曲がりなりにも命を狙われたばかりなので言うことは聞いておいた方がいいか。忍者屋敷なら安心かな?
だが、困ったことがある。
……実際、今すごく、ものすごく困っている。
飯を食べる前もなんだか体が熱く、無性にムズムズするような感じがあった。もしや風邪をひいたのかと思ったが、飯を食ってからはそれが一気に膨れ上がったような気がする。
どう考えてもこれは風邪じゃない……性欲だ。
最近こんなに性欲が顔を出したことなんてないぞ。食事になんか盛られてたなんてことはないよな? だとしても、何のために?
いや、待てよ? 凜さんの部下が俺の護衛についてから、そういうお店には行きづらくて強制禁欲生活が続いていたからか? だってもう護衛してくれる兵士の皆は年若い女の子ばっかりだしさ、流石におっさんとはいえ弁えるよ……
冷静に考えようとする頭とは裏腹に、俺のイライラ棒はもう大変にイライラしている。
盛大なツケがついに来たとも考えられるが、やっぱりちょっとおかしい。
「ヤバいな、コレはヤバい。自分でどうにかするにも、流石に忍者屋敷だと誰が見てるかわからんし。本当にヤバくなる前にとりあえず腕立てを──」
内なる湧き上がる衝動に、もはや頭も回らず語彙力すら怪しい。
こいつはヤバい。
「──失礼致します」
腕捲りをして畳に両手をつけたところで、声とともに障子が開く。腕立ての体勢でそのまま顔を上げると秋野と双葉が三つ指を付き頭を下げていたのが見えた。
二人とも肌が透けるくらい薄く白い襦袢を身に纏い、顔を上げた秋野の唇には裸電球の光が反射して鮮やかな赤が妖しく浮かび上がっていた。




