90話 疑惑と見守るモノ
「五分の盃……だと?」
スピーカーから流れた遠藤の慟哭を聞き、ゆっくりと体を支えてくれていた秋野から離れ、壁に凭れかかった。
力なく顔を上げると、みんなの顔を見てぎょっとしてしまった。
秋本は天井を見上げて涙がこぼれるのをこらえ、鼻水をすすりながら、うわ言のように「仁義……男の絆……」などとのたまっているし、横の長瀬は「あ、俺そういう趣味ないんで」と言わんばかりにちょっと後ずさっていた。
さっきまで俺を支えてくれていた秋野に至ってはなんだか息が荒く、頬には血色が戻ってる。
あのさぁ、遠藤。言い方ってものがあるだろ、そりゃ誤解もされるよ。言っておくが俺に男色のケはないからな。
あー、なんだか皆の反応見てたら逆に落ち着いてきた。
とりあえず誤解は解いておかないとな。
「ちょっと皆さん? 誤解があるようだから言っておきたいんだけど、俺と遠藤はそういう仲じゃ──」
「わかっておる! わかっておるよ! エロティシズムな関係ではないんだろう」
ない。と続けようとしたら秋本が大声で遮った。
『エロティシズム!?』
レシーバー越しに聞いてる遠藤までびっくりしてるじゃねーか!
「いや、だから──」
「そうだろう! 穢れた肉体的な繋がりではなく真のプラトニックラブなのだろう! 肉欲を凌駕する想いとは素晴らしい! 何たる精神的な純愛か! この愛は葉隠にも通じるものがある!」
『プラトニックラブ!?』
「いや、違──」
俺の話を聞かずに勝手にヒートアップする秋本と、もはや砲撃室に入って顔を半分だけ覗かせて恐る恐るこちらを見ている長瀬、そして俺の顔を見てはハァハァと荒い息を吐きだす秋野。
「……遠藤、もう駄目だ。こっちの収拾がつかない。とりあえず降りてから話そうぜ」
『あ、はい』
飛行機は順調に高度を落とし、飛び立った滑走路への着陸を果たした。
出発前に地下の工場にいた奴らがあちらこちらから飛び出し俺たちを出迎えた。駐機した飛行機の周りでは帽子を空に投げる奴に、抱きしめあう奴、山に向かって吠える奴もいて、もうてんやわんやの大騒ぎだ。
そんな騒ぎの中、用意されたタラップを左手でぎこちなく掴んで滑走路へ足をつけると、少し先には何とも言えない表情の遠藤が立っていた。
「よう、遠藤。お前」
「……」
剣呑な俺の雰囲気に、遠藤が顔を引きつらせた。
「……俺にプラトニックラブだったりする?」
「断じて違います! そういうのじゃないです、信じてください!」
今まで見たこともないような慌てっぷりで首と手を振る遠藤を見て、一気に気が抜けた。
「だよな! そうだよな! よかったー」
二日徹夜した疲れと空の上での格闘戦、なにより尻を狙われなくなった安心感からか俺は気を失ってそのまま地面に倒れた。
◇
倒れた坂井はすぐに駆け付けた救護班に担架で運ばれていった。
本人は幸せそうな顔をして、いびきをかいてたから大丈夫だろう。
「ふふふ、なんて男だ。自分が人を殺した事実より私が男色じゃないことのほうが重要なのか」
おそらく、私が男色だったとしても頭ごなしに否定はしないだろう。
いや、そうじゃない。そんなことはどうでもいい。
おかしくなった思考を切り替えるために胸ポケットから出した煙草に火をつけた。
「ふー」
……あの男にとって初めて人殺しを決断したなんて、その程度のものだったのだろう。
自分自身の位置にまで引きずりおろして汚そうなど、烏滸がましいにもほどがあった。
なぜなら、坂井はもうすでに私と同じ場所に立っていたのだから。
安心したと同時に自分もこうなれるんじゃないかと希望すら湧いてきてしまった。
「プラトニックラブか……」
私が坂井に感じている感情は親愛だ! そのはずだ……。
「んんん-!」
頭を力任せにかきむしる。髪の毛がボサボサだ。
私もずいぶんと混乱しているな。愛とはここまで人を狂わせるものなのか。
いかんせん人を心の底から信用したことも、愛したこともない私には難しすぎる話だ。
「……遠藤社長」
背後から声をかけてきた秋野という女と私の間に、警護の男たちがスッと立ちふさがる。
「なにか御用ですか、私にはもうないですよ。貴方の雇い主も上司も綺麗さっぱりいなくなりましたから、どこにでも好きにいけばいい。ああ、社員証は守衛に渡しておいてくださいね」
「あの、私たちをここで働かせていただけないでしょうか」
厚かましい、この女のせいで坂井はあやうく死にかけた。
その反面、状況を利用して坂井に決断を迫り、本性を引き出すことができたのも事実だ。
「ふう、図々しいにもほどがありますね。ですが、いい度胸です。では貴方たちは何ができるんですか?」
「……見守ります。坂井様を殺そうとした女の言うことは信じられないかもしれませんが、あなた方を見守らせて欲しいのです」
なぜか、もじもじと体を揺らしている女をよく見つめた。
目は充血しており、赤くなった頬も寒さだけが理由ではないことは確かだ。
──ふむ、なるほどな。この女、坂井に助けられて恋をしたのか。
本来なら害を為す者は全て排除するのが当たり前だが、今ならわかる。
恋は盲目とはよく言ったものだ。なら、有象無象に任せるよりも安心かもしれないな。
「すぐに許しはしない。お前たちの献身を見せてもらってからだ。坂井相談役に話は通しておく、そちらの人数や技能などをまとめて提出しろ」
「ありがとうございます。またすぐにお伺いします。それでは!」
目の前から音もなく消える女に少し驚きながら、妙な違和感も覚えた。
「なぜ見守るのは坂井ではなく、あなた方だったのだ……まぁ、些細なことか」
大きく息を吐くと、長年降り積もっていた心の淀みが消えた気がした。




