9話 未来の酒
「あんた42歳って本当け!?」
すっかり夜も更けた駅逓所に玉蔵の声が響き渡った。
隣のキセルをふかした兄さんに睨まれたので会釈しておく。
「声がでかいよ。本当だよ、男がサバ読んでどうするよ」
「てっきり俺の10こ上くらいだと思ってたべ、親父と同い年じゃねぇが」
「マジ!? あの親父さんと同い年!? うわー、そっちの方がショックだわ、今から30歳って言い直したら駄目?」
「やかましい、男がサバ読むない」
「キセルの兄さん、うるさくて申し訳ないね。この豆でもつまんでくれ」
俺が出してしまった大声でまた睨んできた兄さんに食べていた豆を差し出した、受け取って怪訝な顔をしていたが豆を食うと満面の笑みだ。
うまいだろ、余った出汁醤油で炒った豆、この辛口の酒とまた合うんだわ。
「んだから、あんた何者だい? ポンプは直すし、村長からは口八丁で銭かっぱらうし、蕎麦も打てる。一体何してきたらそんなことになっちまうんだい」
「そんなの俺が知りたいよ、勝手にこうなってたんだよ。俺のせいじゃねぇ。あと村長からは快く銭を貰ったんだ、まったく人聞きの悪い」
茶碗に酒を入れて一気に飲み干した。
誰かに聞けるものなら、本当に何したら明治時代に飛ばされるのかを知りたいよ。
「そういや玉蔵って漢字は読めるし、計算もできるけど親父さんに習ったのか? 親父さんは会津から来たって言ってたけど」
「んだよ、わりぃが? あんたみたく外国の言葉はわがんねぇげんじょ、ある程度は親父に仕込まれたんだ。あっちさいた頃の話だがな」
「全然悪くない、ポンプの直し方だけじゃなくて考え方の土台がある玉蔵に任せりゃ安心そうだ」
「ふーん、わがればいいんだ、わがれば」
顔を赤くして、ぼりぼりと豆を頬張ると酒を流し込んだ。
親子だねぇ。
「あの、お二方ちょっとよろしいか?」
さっき睨んできた兄さんが小さいキセル箱に手を添えながら話しかけてきた。
「あ、すいません。うるさかったですか。まだ豆食います?」
「いや、まぁ豆は貰えるなら食べますが、そうじゃなくって今飲まれているその酒って飲ませてもらえませんか」
「えぇ? 流石に酒はただじゃ分けられないですよ」
「いや、ただ酒を飲みたいってわけじゃないんです、私実は旭川で酒作ってるんですけど、そんな酒を見たことなくて。どこの蔵元ですか、それ」
「えぇーと、これはとある秘蔵の酒でね。農民が細々と作ってるような酒ですよ、ええ」
やばい、杜氏かなんだか知らないけど未来の酒を飲ませるのはいかんだろ。
しかもこれ、俺が厳選してお土産に買った純米大吟醸だ。
ラベル剝がさないでそのままにしてたのがまずかったな。
それにしても俺が酒飲み始めてから20年くらいで、あり得ないくらい酒の味良くなってるんだから明治の酒の味は推して知るべしだ。
「お願いします。私の持ってる酒をお渡ししますから、どうか一杯飲ませてください」
「いいじゃねっか、一杯くれぇ」
黙ってろよ小童。
あんたも軽々しく頭下げるなよ、本当にもう。
「わかったよ、もう頭上げなよ、じゃあ兄さんの酒と一杯だけな」
男が胸元から出した大きめの猪口になみなみと注いでやった。
「あ、ありがとうございます!」
飲む前に香りを確かめ、口に含んだ瞬間男の動きが止まった。
10秒くらいして動き出し、また飲み、また止まって、また飲み始める。
「だ、大丈夫ですか? 口に合わなかったですかね」
そういうと猪口をそっと板の上に置き、すごい勢いで迫ってきた。
「うわっ、なんだ」
「なんなんですか、なんなんですかこの酒は!」
「いや、ちょっと。近いって」
「飲み口軽く、湧き水のように澄んでいるのに、どっしりとした旨さと後味のキレ! それでいてリンゴを思わせるこの香り! 意味が分からない、なんでこんな正反対なことができるんだ! 本当に酒なのか。こんな酒、どうやって造ったんだ……」
頭を抱えて蹲っていたが俺の一言で顔を上げた。
「落ち着けよ兄さん。ほら、兄さんの酒も飲ませてもらわにゃ」
「え?」
迫りくる猛烈な勢いが一瞬にして消えた。
「いや、交換だったろ。兄さんとこの酒も飲ませてほしいんだが」
「いや、いや。いや、いや、いや、これに比べたらちょっと出せませんよ、いや、勘弁してくださいよ」
顔を青くして今度は滑るように後ずさっていく。
いやいや言い過ぎだろ。
この時代の酒にも興味あるし是が非でも飲ませてもらうぞ。
「ほら、一杯は一杯で返杯ですよ。酒の一滴は血の一滴って言いますし」
「誰ですか、そんな怖いこと言った奴」
「昔の上司」
「苦労されてるんですね」
「うん」
苦労してたんだ、ほんとにね。
ちょっと昔のことを思い出して、酒に酔った俺の目にも涙が浮かんだ。




