10話 ミズナラスティック
「わかりました、そこまで酒で苦労されている方にならお渡しします」
「樽から酒を取ってきます」というと男は立ち上がり外に出て行った。
去り際、俺を見る目がやけに優しかったのが気になったが、初めて飲む明治の酒だ。
しかも、樽酒が飲める! と、わくわくしながら待っていると、しばらくして大きめの徳利を手に帰ってきた。
違和感を覚えて周りで酒を飲んでる他の客を見ると皆、大きめの徳利を手にしていて、ガラス瓶は誰も使ってない。
あれ、一升瓶とかってまだ使われてないのか?
「なあ、兄さん。この一升瓶ってもしかして珍しいのかい」
トクトクと猪口に注がれる酒を前に尋ねた。
「ええ、とても。灘の方ではガラスで作った瓶で売っていると聞いたことがありますが、実物を見るのは初めてでした」
やらかしてたのは俺でした。
そりゃこんな山奥で、ただでさえ珍しい一升瓶から酒を注いでたら目に入るよな、酒造関係者ならなおさらだ。
「しかも、農民が細々と作ってる秘蔵の酒なんて聞いたら居ても立ってもいられませんでしたよ」
適当なごまかしが逆に兄さんの心に火をつけちまったのか。
水で薄めた酒とでも言っておけば良かったか、まぁやってしまったものは仕方がない。
これから旭川に向かって行けばどんどん人が増えていくから未来の物を見せるなんて迂闊なことはできないな、トラブルの元だ。
「さぁ、どうぞ。これが私の酒です」
「いただきます」
猪口を口に近づけてもあまり香りがしない。
口に含むと最初に酸味がきて、それから苦みが出てきた。これは超辛口と言っていいのか悩むな。
アルコールもそこまで強くなく、俺の口の中で温められるとようやくコメの旨味が出てきた。
口の中の酒を飲み込み、もう一口飲む。
「ど、どうですか」
「うーん、どうですかと言われてもなぁ」
言いよどんでいると、既に酔っぱらった玉蔵が横から手を出して猪口に残った酒を飲み干した。
「あ、こら」
ぶふっーと酒臭い息を吐いて「いづも飲んでるやつだべ」と言って床に倒れいびきをかき始めた。
「この酒の味が一般的なんですか」
「ええ、私のところは父親と立ち上げて2年ほどしか経ってませんが他の蔵元さんたちと飲み比べてもそこまで味に差があるとは思えませんでした。でもそれでは困るんです。」
「困る、っていっても売れないわけじゃないんでしょう」
「それはそうなんですが……最近、旭川に衛戍地ができて兵隊さんのお客様も増えたんですが、その、上方出身の方たちも多くてですね」
「ああ、こっちの酒に文句つける訳ね。誰しも地元の味が恋しくなるからなおさらか」
「ええ、日々美味い酒を造ろうとしているんですが、これがなかなか。そんなときにこんな酒に出会うとは思いませんでした。でもここまで差があると何をどうしたらいいやら」
そう言うと自分の徳利を抱え、力なく笑った。
「うーん、ここで会ったのも何かの縁だし、なんかできることあればいいけど」
日本酒が好きでも詳しい作り方なんて知らないし、ましてや現代の酵母なんて手に入るわけもない。
この酒も火入れされてるから無理だしな。
じゃあ、日本酒以外で時間を稼ぐのはありかな?
「兄さんのとこって焼酎も作ってる?」
「え、ええ。作ってはいますが、あまり人気なくて。作るのに金がかかるのに水で薄めて売っても元が取れないほどで」
「なるほどねぇ、ん-、でも、あれなら少し味変わるかな」
「今は少しでも変化が欲しいんです、今までの当たり前をひっくり返すような手がかりが。是非教えてもらえませんか」
再び頭を下げようとする男を手で制し、俺は姿勢を正して座り直した。
その姿を見た男は少し驚いたような表情を浮かべた。
「兄さんたちみたいに真摯に酒造りをやってきた人にさ、素人の俺が口を出すのはおかしいし、これから話すことも正直邪道だと思ってる。それでもいいのか」
俺の目をしっかりと見て、少し考えて口を開いた。
「それでも、このまま立ち止まりたくないんです」
「わかった、ちょっと待っててください」
篝火の下で見張り番の人に札を見せ、ついでに豆を渡しといた、夜勤お疲れ様です。
俺は荷馬車に向かいあるものを握りしめた。
◇
「なんです、これ? 木の欠片?」
俺の渡したものを手に取ると、不思議そうに見つめていた。
「それはミズナラの木っ端です。200年以上経っているような大木から取った奴で、少し炙って蒸留酒に漬けこむと数か月で芳醇な香りになる」
「え、わざわざ樽を作らなくてもいいんですか?」
「だから邪道だと言ったでしょ。もちろん樽で熟成させた方がいいんだろうけど、結果もすぐわかって調節も容易だ。これは趣味のウィスキーで試そうと思ってたんだ」
「ウィスキー、薬問屋で売ってるあのウィスキーですか?」
「え? 酒屋じゃないの?」
「あんなものを置いたら酒屋のメンツは丸つぶれですよ。あれこそ酒と似て非なるまがい物です」
息を荒くしている彼に聞いてみるとアルコールに色々混ぜ物をして勝手にウィスキーと名前がついてるだけだという。
ウィスキーで有名な竹鶴さんはどこにいるんだ。隠れてないで出ておいで。
「うーん、目論見が外れた。俺の欲しいのはまがい物じゃないウィスキーだからな、残念過ぎる」
まがい物じゃないウィスキーにミズナラをぶち込もうとしてる俺も大概酷い奴だとは自覚してるので責めないでほしい。
あくまで個人の趣味だ、趣味。
「でも、お酒にお詳しいですね。外国のお酒にもお詳しいなんて、もしかして外交官とかされてました?」
「外交官は宿場で蕎麦打ってないと思うぞ」
「確かに」
二人して笑いあった。
「でも、この板っきれが」
そう言うとランタンのホヤ(ガラス)を外し少し板をあぶり始めた。
辺りに白檀のような匂いが漂った。
「流石、原生林を生き抜いたミズナラだな、香りがすごい」
「ああ、これはいい香りだ。こんなに強いものなんですね」
何を思ったか猪口に板を入れさっきの酒を注いだ。
猪口から木片が飛び出していてシュールな姿だ。
「焼酎に香りがつくなら、この酒でもと思いましたが難しいですね」
「兄さん、結構酔ってるだろ」
真面目な顔して突拍子もないことをやる奴は大体酔っ払いだ。
流石の俺も日本酒にミズナラを突っ込んだことはないな。
「まぁまぁ飲みましたからね、そうかもしれません。外国の酒の話をもっと聞きたいんですがいいですか」
「いいよ、俺が知ってることなら」
この北口という男は、東京から一念発起して親父とともに新天地へ酒造りをしているらしい。
酒の知識に貪欲でウィスキー談義から始まってワイン、日本酒、はては口噛み酒の話にまでなった。
多分に下ネタが入っていたがおっさんの飲み話なんて大概そんなもんだ。
互いの茶碗に酒を注ごうと徳利を傾けるともう中身が空だった。俺の一升瓶もとっくに空いてる。
「おや、酒が無くなりましたね。また取りにいってこようかなっと」
「そこに一杯残ってるべさ、その猪口」
「えぇ? さっき木を突っ込ん」
北口の言葉が止まり、静かに猪口を見つめ呟いた。
「色が、変わっている?」




