11話 職人魂
猪口の中で色の変わった酒を二人して見つめる。
北口がミズナラの木っ端を取り除き、震える手で猪口を口に寄せた。
「これは!? 坂井さんも嗅いでみてください」
猪口を受け取り香りを確かめる。先ほど木を火で炙った時に漂ってきた白檀ともなんとも言えない甘い香りが、酒の香りと合わさって落ち着く森の香りを作り出していた。
色だって少し前まで透明だったはずなのに、今はランタンの明かりを受けて薄い琥珀色に見える。
ミズナラの木っ端を入れてから、まだたいして時間は経っていないはずなのに日本酒はこんなに早くエキスが出るものなのか? それとも原生林のミズナラが強すぎるのか。
ウイスキーなら自宅で試したことがあるが、ここまで早く変わらなかった記憶がある、最低1ヶ月は入れていた気がする。
正直なところ趣味程度の知識しかない俺には、目の前で起きていることが正しいのかすら分からなかった。
「ずいぶん香りが移ってるね、まだそんなに経ってないのに、先に味見していい?」
彼が頷くのを見てから一口だけ含むと、尖った口当たりは格段にまろやかになり、酸味が隠れた代わりにスモーキーさと仄かなバニラの香りと甘みを感じた。確かに旨いのだが、これは日本酒から余りにも逸脱しているように思う。
どちらかというとウィスキーの風味に近づいてしまっている。
無言のまま、猪口を返すと彼もゆっくりと口に含んだ。
すぐには飲み込まず、舌の上で転がすように味を確かめ、何度も鼻から息を抜いている。
やがて嚥下する音と共に深く息を吐き、猪口を持たぬ手は固く握りしめられていた。
「坂井さん、あなたとても悪い人だ」
「……」
「これは私の酒なのに、もう私の酒じゃなくなってしまった」
「俺もこんなにすぐ変わるものとは思わなかったよ。だが確かにもう、あんたの酒を土台にした別の酒になっちまったな」
「……なのに、なんでこんなに旨いんだ」
杜氏としてのプライドなのか、酔いが回っているせいなのか北口の目尻には涙が浮かんだ。
◇
翌朝、朝靄の立ちこめる中で荷馬車の整備をしていると北口さんに声をかけられた。すっかり酔いは覚めたようで随分とスッキリした顔をしていた。
「おはようございます。北口さんも出発されるんですか?」
「ええ、ただ今回の遠征は取り止めて、急いで帰って仕込みの準備をしようと思っています、元々いろんな人の意見を聞きたくて飛び出してきたようなものですし」
その必要もなくなりましたしね、と呟いた。
「そうだったんですか、じゃあその荷台の酒はどうするです?」
「この酒は、このあたりで売り捌こうかと思っています。幸い駅逓所もありますし、そんなに時間もかからず捌けると思いますんで」
そう言うやいなや、一つ深呼吸をして深々と頭を下げた。
「昨日はありがとうございました。みっともないところ見せてしまって申し訳ありませんでした」
「いや、余計なことをした俺の方こそ、申し訳なかった」
俺の言葉に下げていた頭をガバッと上げ顔を近づけてきた。相変わらず顔の距離が近い。
「そんなことはないです! あの味に出会えたのは正に天佑でした。坂井さん、旭川に来られたときは是非にも北口酒造に寄ってください。まだまだ良くなる俺の酒を飲んでみて欲しいんです」
その目にはもう涙は無く、代わりにぎらぎらとした光が見て取れた。
「ああ、必ず寄らせてもらうよ。そうそう、これは渡しておくよ。研究にでも使ってくれ」
ミズナラの木っ端が入った麻袋を差し出すと覚悟を決めたような顔で受け取った。
「これは……ありがとうございます」
「北口さんの作った酒はこの時期、燗にして脂ものと合わせると格段に旨いと思う、鮭なんかとよく合いそうだから店に顔出すときは持っていくよ」
「はは、楽しみに待ってます、それではまた」
遠ざかりながら手を振る北口さんが朝靄に隠れて見えなくなる頃、荷馬車の荷台から、まるで幽霊のように呻く声が聞こえた。
「うぅー、うぇ! あ、頭さ割れるべ」
荷台に乗っかって顔を真っ青にしていた玉蔵だ。
「調子に乗って飲み過ぎなんだよ、加減しろ、加減。全く、今日は荷台で寝てろ」
「うう、みばわりぃ(みっともない)」
「ほれ、出発するぞ。ハイヨー」
「うう゛! もうちっとゆっくり走ってくれなんしょ」




